第三章
1
夢だと思ったのは、ここが合宿場ではなく教室だったからだ。
開けっ放しの窓から、風が吹いている。そのたびにクラスの女子としゃべっている海鳴のポニーテールが揺れ、キャラキャラと笑う声が耳に滑り込んでくる。僕はその話を耳にしながら、机にペタンと顔をくっつけた。
スクールカーストからしてみれば、僕は最底辺だ。
気が短いし、すぐにイライラする。チビだし、メガネをかけていてもただのゲームのし過ぎだから頭だってよくない。取り立てて目立つ長所もなければ、いじめのターゲットになるほど悪い短所もなく、ただ目立たないように息を潜めて生きている。
そんな根暗な僕にすき好んで話しかけてくる物好きは、せいぜい池谷くらいだ。池谷からしてみれば、小泉にひとりで話しかける勇気がないから、僕を盾替わりに使っている節があるけれど、そこを除けばまずまずいい奴だから問題ない。
それに対して、海鳴はどう考えてもスクールカーストの頂点だ。目立ち過ぎるグラビアモデルみたいなムチムチとした体に、誰とでも話ができる引き出しの多さ。転校生っていうのを差し引いても、女子を味方につけてしまって、敵をつくらない。
僕と海鳴は、本当だったら絶対に結びつかない関係性なんだ。
同じクラスにいても、同じ部活に入っていても、住む世界がちがう。
机でごろごろと寝返りを打っていると、ふいに女子グループとしゃべっていた海鳴と目が合った。思わず僕は身構える。またあの心臓が冷たくなるような無表情でこちらを見下ろしてくるんじゃないかと思ったんだ。
でも、海鳴が向けた顔は、そんなものではなかった。
ただいつも池谷や小泉に対して向けているような、曇りない笑顔だったんだ。
それを見た瞬間、僕の喉が無性に乾くような気がした。飢餓感、みたいなものがせり上がってきて、思わずガバリと起き上がって海鳴を睨む。
なんだよ、その顔。お前はいつだって僕のことを敵を見る目で見てくるじゃないか。もっとそんな顔をしてこっちを見て来いよ。誰にでも向けてるようなヘラヘラした笑いじゃなくって、もっと僕のことを睨めよ。無表情で見下ろせよ。なんでそんな顔してくるんだよ。
イライラして、暑くて、窓から吹いてくる風の冷たささえも、僕の苛立ちを冷やすことができなかった。
次にヒヤリ……としたものを感じたのは、意識がすっと覚醒したとき。
同室の小泉が、備え付けの冷蔵庫からペットボトルを取り出してきて、僕の首筋に引っ付けてきたときだった。
「うぎゃっ……!」
その冷たさで、僕は思わずカエルのような声を上げるのに、小泉はニヤリと笑う。
「ずいぶんと寝坊だな、もうそろそろミーティングがはじまるぞ」
「……うっす」
相変わらずこいつは空気を読まない奴だなと思ったものの、寝坊はどう考えても僕が悪いので、そのままのろのろと二段ベッドから降りて、あくびを噛みしめながらミーティングへと出かけて行った。
****
ミーティングを済ませ、野外炊飯場でご飯を食べはじめる。
鉄板で昨日炊いたご飯を焼きおにぎりにして食し、それに合うようにハムやベーコン、きのこなんかを焼く。女子にはスーパーで買ってきたマフィンを焼けばおおむね好評な朝ご飯だ。なんか国民的な映画でそんな場面がありそうだなと思いながら、僕は焼きおにぎりを頬張りつつ、空を仰ぐ。
昨日とは打って変わって雲の量が分厚く、地面の匂いがひどく濃い。
昨晩は星が多くって、そんなに詳しくない僕でもそれなりに星を満喫できたっていうのに、今晩は天体観測なんてできそうもない。
顧問はラジオを持ってくると、それのラジオの周波数を合わせて置きっぱなしにした。流れてくるノイズ混じりのニュースの中で『今晩は全国的に雨になることでしょう。山側の皆さんは、地盤の緩みにお気を付けください』と聞こえてくるのに、池谷は顔を曇らせた。
「えー……今晩はどうやって過ごそう? 天体観測もできないんじゃ、肝試しだってできないよね? 蛍狩り……は、ちょっと季節ずれてるから最初っから無理か」
「うむ、そうだな」
そう言いながら、小泉はベーコンを頬張りつつお茶に手を伸ばす。
「そうなんだ……」
海鳴があからさまにしょんぼりするのに気を使ったのか、池谷がお茶を飲みつつ小泉に尋ねる。
「それだったら、夜の時間は暇だよね。その間なにをしよっか」
「ああ。それだったらひとつ考えている」
そこであからさまに楽し気な顔をし出した小泉に、僕は内心げんなりとする。
天文部の部長が星に興味がないっていうのは知っているが、天文部に入っているのには意味があるらしい。本人曰く。
また一般庶民には理解できないような話をくっちゃべる気なんだろうか。そう思って女子ふたりをちらっと見る。ふたりが嫌がるようだったら、トランプでもしようとお茶を濁せるけれど、海鳴も池谷も目をすこしだけ輝かせている。
「え、小泉くんなんの話をするの?」
……イケメンは本当に爆発してくれ。
僕はイライラする気持ちをお茶と一緒に飲み干したあと、小泉はマイペースに顧問が一生懸命串に刺した肉と野菜を外しながら食べつつ、わずかに笑う。
「今日の合宿は女子が多めだから、女子が興味ある話だ」
そして小泉も変人なわりには、女子の扱いを心得ているからムカつくんだ。モテる自覚がある奴とか死ねばいいのに。
海鳴と池谷が顔を見合わせてキャーと悲鳴を上げるのに、僕はもう夜はパスして部屋にこもって寝たくって仕方がなくなったけれど、普通に小泉に釘を刺されてしまった。
「入江には興味がないかもしれないけれど、聞くだけだったらタダだから聞くだけ聞いていけ」
「……女子に興味があって僕には聞くだけだったらタダっていうのが、もう興味削がれるんだけど」
「世の中、全てがファニーじゃなくって、インタレスティングがないと張りがないぞ」
……笑えて面白いっていうのと、知的好奇心で面白いって違いかよ。わざわざ英語にしなくってもいいのに。
相変わらず鼻もちならない物言いをしてくる小泉にげんなりしつつ、僕は串の肉に齧りつく。
「とりあえず退屈しない話を頼む」
その嫌味も聞き流してくるから、本当にムカつくんだ。
「ああ、面白い話にする」
「うん。小泉くんの話ってちょっと難しいけど面白いね。楽しみにしてる」
海鳴は楽し気に小泉に話しかけているのに、僕はさらに苛立ちを悪化させていた。
今日変な夢を見たせいだ。普通だったらクラスメイトの美少女に笑いかけてもらえるなんて場面、いい夢認定なんだろうけれど、僕は嫌だった。
僕をずっと殺し続けていたくせに。僕をずっと無表情で見ていたくせに。なんでそんな顔してこっちを見るんだよと。
でもその顔を誰にでも見せていることが、なおのこと腹正しいんだ。なんだこれ。意味わかんない。女子か。粘着質の女子かよ。
どうにか苛立ちを抑えようと再びコップに口を付けるものの、もう中身は空っぽになってしまっていた。
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