パパの花嫁

@d-van69

パパの花嫁

 幼い頃、父は私をひざの上に乗せ、訊いたことがあった。

「アヤ、お前は大きくなったら、何になりたい?」

 私はまだ世の中の道理も分からない年齢だったので、無邪気にこう答えた。

「パパのお嫁さんになる!」

 そうかパパのお嫁さんかと言って父は嬉しそうに笑い、その様子を母は微笑みを浮かべて見つめていた。

 そのときは思いもしなかった。まさかその言葉が現実のものになるとは……。



 物心ついたときから私は父が大好きだった。背が高くて格好よくて、すごくやさしい。なにより父からはいい匂いがした。あまりにも好きすぎて、このままじゃ道を踏み外すような気がして、あえて父と距離をとるようになった。中学生の時分だったと思う。

 それから間もなくのことだ。父と母の関係がぎくしゃくし始めたのは。夜中、不意に目が覚め、水を飲もうとキッチンに行くと、二人が深刻な表情で向き合っていた。私の姿を認めると急に取り繕ったように笑顔を浮かべたが、見るからに険悪なムードだった。一人泣いている母を見かけることもあった。父も家に帰らない日が増えた。半年ほどしてから、両親は離婚した。理由を訊ねても、誰も答えてはくれなかった。

 私は母に引き取られた。私に選択権はなかった。あんなに好きだった父に捨てられたショックは大きく、それまでの好きという感情は真逆に転じた。父のことを憎み、きっと離婚の原因もあの人にあるに違いないと思うようになった。他所に女でも作ったのだろうと。



 母は私を女手ひとつで育て、大学にまで通わせてくれた。その無理が祟ったのかもしれない。就職が決まった四年生の夏に、母はあっけなくこの世を去った。二人でささやかなお祝いパーティーを開いた翌日のことだった。

 その知らせを聞きつけ、私の元に父がやって来た。働き詰めで疲れきっていた母に比べ、父はあの頃とほとんど変わらぬ容姿だった。少し目じりのしわが目立つくらいで、背筋はピンと伸び、あの頃と同じいい匂いがした。彼は私の助けになりたいと申し出た。心は揺らいだが、私はそれを受け入れなかった。やはり捨てられたあのときの感情は忘れられなかった。あんなことさえなければ、母は今も元気なはずなのに。

 


 お通夜に葬儀に初七日と、人の出入りも慌しくて母の死を悼む暇もなかったが、ひと段落すると急に寂寥感に包まれた。

 そんな時、一人の男が私の家を訪れた。彼は井上洋介と名乗り、母の仏前に線香をあげさせてほしいと言った。できの悪かった自分を見捨てることなく親身になって相談に乗ってくれた上、時には個別で勉強を教えてもらったのだと彼は訴えた。こうして立派に成長できたのは母のおかげだとも。

 母は結婚するまで、高校で教師として働いていた。そのころの教え子なのだそうだ。

 このご時世、初見の男をすんなり家に上げるのはどうかと思ったが、私は彼を信用することにした。彼の容姿がどことなく若いころの父に似ていたことが影響していたのかもしれない。



 それからも井上洋介は時々私の元を訪れた。もちろん初めのころは母の仏前に手を合わせるのが目的だったのだろうが、やがて彼が私へ向ける視線に特別な感情が混じっていることに気づいた。

 そもそも私も彼には好意を抱いていた。肉親を亡くした寂しさを紛らわせてくれるのはありがたかったし、母の死後のさまざまな手続きを未熟な私に教えてくれる彼の存在は心強かったのだ。だから徐々に彼の気持ちに応えるようになっていった。

 ほどなくして私は井上洋介と正式に付き合い始め、それから一年後にプロポーズされた。一回り以上も年上だったけど、私はそれを受け入れることにした。

 そのとき、真っ先に頭に浮かんだのは父のことだった。こちらから連絡を取るようなことは一切なかったけど、結婚式には出てほしい。これを期に仲直りができるのではないか。そう思ったのだ。



 招待状を出しても父から返事は来なかった。それでも式に来てくれることを願い、席は作ることにした。どうしても父の介添えでバージンロードを歩きたかったのだ。

 だが、当日になっても父は姿を見せなかった。私一人のわがままで他の来賓を待たせるわけにも行かず、式は予定通りに始まった。

 皆が待つチャペルへ、父の代わりに叔父に付き添われ入場する。厳かな空気の中、ゆっくりと歩みを進め、最後は洋介とともに祭壇の前に立った。神父がお決まりの文句を口にし、指輪を交換し、そして誓いのキスを交わす。

 その直後だ。大きな音を立ててチャペルのドアが開いた。その場の全員が入り口のほうを振り返った。そこにいたのは、父だった。

 彼はまっすぐに私の元に歩いてきた。

「お父さん、来てくれたのね」

「すまなかった、アヤ。実はお父さん、ひと月ほど入院していたんだ。昨夜家に帰ってきて、今朝、招待状に気づいた」

「いいの。来てくれただけでうれしいわ」

「いや、だめだ」

「え?」

「この結婚を許すわけにはいかない」

「そんな。どうして?」

「他の男なら、どんな奴だろうとアヤが決めた相手なら反対はしない。だが……」

 父は洋介を睨みつつ指差す。

「こいつとだけは結婚しちゃだめなんだ」

 場が騒然となる。神父が片言の日本語でとりなそうとするけど、父はそれを無視して話を続ける。

「こいつはお前の母さんが私と結婚する直前まで、彼女と付き合っていたんだ」

 思わず洋介を見る。彼は気まずそうに視線をそらせた。

「アヤ」

 呼ばれて再び父を見る。

「お前が中学生のころ、私と母さんは離婚しただろ?あれは、私がDNA鑑定をしたからなんだ。お前と私のDNAを。そうしたら、血のつながりがないことが分った。母さんを問い詰めたら白状したよ。お前の父親は、元教え子の、この井上洋介だってな」

「は?」と声を上げたのは洋介だ。彼もそのことを知らなかったのだろう。呆然とした表情で父のことを見つめている。

 私だって頭の中は真っ白だ。混乱しつつも父の言葉を反芻するうち、ことの重大さに気づいた。

 つまり、私の本当の父親は井上洋介であり、その彼と、私は結婚しようとしているのだ。

 不意に子供のころの、父とのやり取りが甦った。

『アヤ、お前は大きくなったら、何になりたい?』

『パパのお嫁さんになる!』

 







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