役に立たないとは?

軽い思考実験である。


役に立たない。

まず、主観的なものを、考える。

ある出来事が、別の出来事について、判断や、情動に影響した場合、その出来事が発生することについて、意味があった、つまり、役に立ったと言える。

また、その出来事を、忘れた状態のとき、それは、影響があったと言えるのだろうか。そのとき忘れていたとしても、忘れていないときの出来事は、影響を受けている。ということは、出来事aの影響を出来事bが受けているとして、出来事aが、役に立たないことの影響を受けていたとすると、役に立たないことは、間接的に影響していることになる。役に立たないことをまるっきり忘れたままいるということは、役に立たないことが起こらなかったときと同じことである。ある出来事が起こったときに、次の瞬間には、その経験をまるっきり忘れて、かつ、忘れ続けていることになる。


次に、主観的クオリアを排除した、完全に他人の価値観による効用や、感覚的ベネフィットを考える。これは、他人から、役に立たないと言われたときに、社会的な意義が存在しない場合と言い換えることができる。


二番目の役に立たないことが成立するにあたっては、役に立たない人間が認識されない状態であることが、考えられる。それは、物理的に透明であることのほかに、完全に風景と同化していて、その人の人格その他構成要素の一切が、他人に影響を及ぼさないことだと、考える。


また、ヘレン・ケラーの周りの人物を考えてみよう。ヘレン・ケラーは、目が見えず、耳が聞こえない人であった。それでも、コミュニケーションの方法を会得することができた。それは、周囲の人物との関わりにおいて、学習の機会を得ることが成立したためである。その周囲の人物が、その出来事を成立させるためには、また、その周囲の人物の影響があって然るべきである。

つまり、現在の出来事が、役に立たないと言いきるためには、未来の人物に対して、影響が全くあり得ないことを、証明する必要がある。それは、つまり、未来の人物との関わりにおいて、その出来事の影響はまるでない出来事だけが起こることを証明するということである。主観的には、現在の出来事によって、未来の出来事に影響があることは、疑いないだろう。


では、そもそも、役に立たないとは、何か。ここでは、影響という言葉を使った。しかし、その影響という言葉のここでの定義が不明瞭である。

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