実力も運の内 マイケルサンデル

貴族主義に対しての能力主義は、機会の平等という視点で、公平さがある。しかし、持つものと持たざるものという分断を明らかにしている現在の資本主義において、公平さはあると言えるだろうか。

能力を評価されるかどうかは、社会の価値観による。その価値観は、時代という偶然性を内包しているものであり、能力の正当な評価が、社会的地位に繋がるとはいいきれない。その意味で、地位への機会は、公平と言えるのだろうか。


資本主義と、成長主義と、能力主義による平等からの脱構築という視点の共同体主義。いや、共同体主義からすると、価値観と社会の構造を、そのように捉えるのかもしれない。


フーコーの権力をかじったくらいのものを付け足すと、

成長主義において、統治とは、経済成長のために有用な人間を労働に駆り立てること、という意味合いを持つんじゃないか?

そう見ると、生産と消費に影響の大きい人間を正常として、影響の弱い人間を排除していく対立構造があるように見えてくる。それを、統治が作り出している一面があるのではないか、という視点を持った。

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