昼下がりの妊婦達

 現在は皇紀2703年(西暦2043年)の四月。春の日差しが暖かく、過ごしやすい日が増えてきている。


「いくらビルを四棟連結させた建物だと言っても、外に出れないのは辛いですねぇ」


 しょうノ塔、室内空中庭園で美哉みや橘香きっか智枝ともえがお茶をしている。

 智枝は伊吹の専属医である加藤から正式に妊娠の診断を受けており、伊吹から仕事をしないように言いつけられている。


「私は辛くない」


「私も。いっちゃんがいればそれで満足」


「そう言われると私だけわがまま言ってるみたいじゃないですか……」


 伊吹は妊娠した妻達の退屈を解消する為に、本社ビル近くの建物や家屋などを解体し、新たに屋内プールの建設を進めている。

 が、この三人が出産するまでに完成するかどうかは未定である。


「赤ちゃんが生まれたら一緒にプールに行こうね」


「首が座ったらプールに入っても大丈夫だって育児本に書いてあった」


 美哉と橘香は侍女としての教育を受けているので、育児に関する知識を持ち合わせている。

 三人がお茶をしているそばで控えている、皇宮から派遣されている侍女達は苦虫を潰したような表情を見せているのは、橘香のお腹の子供が男の子である事が確定している為だ。

 この世界にとって非常に希少な男の子、それも男子皇族を、首が座ってすぐにベビースイミングをさせるなど、想定しているはずがない。

 何とか止めさせられないだろうかと考える侍女と、いかに安全にベビースイミングを行える状況を整えるか考える侍女と、ベビースイミングを始める時期を可能な限り遅らせようと考える侍女に分かれ、日々白熱した議論が繰り広げられている。


「ご主人様はご自分も子供と一緒にプールに入られるおつもりですから、止める事はないと思いますけどね」


 智枝は家中の様々な事柄を調整する執事という立場から、皇宮から来た侍女へそれとなく伝えるが、彼女達の表情は変わらない。


「子供のベビースイミングも良いけど、出産後の体型を引き締める為にも私達自身がスイミングしないとね」


「美哉も私もそれほど体重が増えてる訳ではないけどね」


「智枝さんがこれから肥えるかもだし」


「……気を付けます」


 元々の体型にもよるが、妊娠して出産するまでに増えても問題ない体重の目安として、十から十三キロ程度なら問題ないとされている。

 妊娠前にやせ型の体型であればもっと増やすべきだと言われるし、肥満気味であったなら増え過ぎないよう気を付けなければならない。

 美哉も橘香も智枝も、肥満体型ではないのであまり気にする必要はないのだが、人によってはつわりで吐くのではなく食べないと気持ち悪いという食べづわりという状態になる場合もあるので、その際は注意が必要になるだろう。


「そう言えば、藍子あいこ様のお加減はどうなのでしょうか」


 智枝が藍子を心配しているのは、藍子にも妊娠の兆候が見られている為だ。

 伊吹の夜のお勤めを一番多く受けていた美哉と橘香が妊娠し、その後を任されていた智枝も妊娠した結果、藍子と燈子とうこが受ける回数が増えていた。


 ついに第一夫人がご懐妊か、と期待の目で藍子を見てしまうとそれが負担になる可能性があるので、基本的には本人に対して何も言わずそっと見守っている状態だ。


「噂をすれば」


「たんぽぽコーヒーを」


 お腹をさすりながらこちらへ歩いて来る藍子を見つけ、美哉が藍子へ手招きをする。そして、橘香は三ノ宮家さんのみやけの侍女に藍子の分の飲み物を頼んだ。


「お邪魔して良い?」


「もちろん」

「大歓迎」

「お身体如何ですか?」


 藍子がゆっくりと椅子へ腰掛ける。その表情は少し辛そうに見えるが、智枝の問い掛けに対して笑顔で大丈夫と答える。


「無理はしない方が良い。お腹の中にいるかも知れないんだから」

「妊娠してないにしても、体調が悪いのなら無理はダメ。いっちゃんに怒られる」


 伊吹が堅苦しいのを嫌がるだろうという事で、藍子と燈子と美哉と橘香は身内しかいない場所では平等な立場で話し合える関係でいようと決めている。

 必要以上に気遣いをせず、言いたい事や言うべき事はお互いちゃんと言い合える事が、伊吹を支える上で重要な事だと判断したのだ。

 藍子の前に、橘香が頼んだたんぽぽコーヒーが運ばれてきた。


「うん、ありがとぉ。

 体調が悪いってのもあるんだけど、寝ても寝ても眠たいんだよねぇ。頭がぼーっとするんだぁ」


「寝づわりっていうつわりがあって、ホルモンの影響だって言われてる」

「妊娠四週目から出る場合がある」


 人によってつわりの症状は様々で、同じ女性でも妊娠するたびに症状が変わる事もある為、慣れるものではない。


「……妊娠してるのかなぁ。してたらいいなぁ」


 この世界において、自然妊娠を経験する女性はほんの一握りだ。そして、自然妊娠であれ人工授精による妊娠であれ、妊娠の確率はウイルステロが起こる以前に比べて低くなってしまっている。


「そのお気持ち、すごく分かります。私もこの子の心臓の音を聞かされるまで、ずっと不安でした」


 智枝が藍子へ自分の経験を語る。

 ノ塔にある診察室のベッドに寝て、お腹に超音波検査の機械を当てられて聞いた胎児の心音を聞いた時、ようやく自分が妊娠しているのだと確信し、智枝は涙を流した。


「心拍はだいたい妊娠六週目くらいから聞こえるようになる」

「もうちょっとの我慢」


 美哉と橘香がそれぞれ藍子の手を握り、励ます。


「うん、不安だけど皆がいるから大丈夫。

 それに、初期での……」


「「ダメ!!」」


 妊娠初期での流産は珍しい話ではない、と口にしようとした藍子を美哉と橘香が止める。


「聞いてるから」

「言っちゃダメ」


「そっか、そうだね。分かった、ありがとう」


 藍子は大きく深呼吸し、心を落ち着かせる。

 部屋で一人閉じこもっていると、期待と不安で変になりそうだったのでここに来た藍子。

 先輩妊婦の励ましのお陰で、少し気が楽になったようだ。


 その後、四人は空中庭園に設置された安楽椅子に座り、ゆらゆら揺られながらお昼寝をしたのだった。

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