選択
「ルゥくん、ルゥくーん!」
ヴァージルから逃げる為に部屋を出たヴィクトリアだったが、髪飾りを探しに出たはずのルゥはどこにもいなかった。
「ルゥ! ルゥ、どこだ! ……全く、どこまで行ったんだ」
ルゥの捜索には、ヴァージルも参加していた。
名前を呼びながら不安げな表情をするヴァージルは、少しだけ慌てているようにヴィクトリアには見えた。
(なんだか、迷子の子どもを探すお父さんみたい)
だからだろうか――いつもより、少しだけ幼く見える。
「何故、私の顔をじっと見ている」
「……いえ」
魔族らしくない――吸血鬼族らしくないヴァージルの姿にヴィクトリアが思わず笑っていると、ヴァージルふと、こんなことを言った。
「こんなことなら、あの魔法をつけておくべきなのかも知れないな」
「あの魔法?」
「ああ。追跡魔法だ」
(……それ、私がつけられてる
本来子供向けの魔法をつけられていることを思い出し、ヴィクトリアは少し落ち込んだ。
「? 暗い顔をしてどうかしたのか?」
「い、いえ――」
ヴィクトリアが、ヴァージルから目をそらしたその時だった。
「その必要は無い」
ニ人の頭上から、重々しい男の声が響いた。
「ヴァージル。捜し物は『これ』か?」
(――……え?)
二人は顔を上げ――それから、声の主が手にしていた人物を見て、同時に声を上げた。
「ルゥ……!」
「ルゥくん!」
そこにはダン・モルガンとルイーズ・モルガン――そして、傷だらけのルゥがいた。
ルゥの顔色は悪く、ぐったりとした彼は、ダンに右手を掴まれて、ぶらんと空中に吊るされていた。
「ごしゅ、し、ん……さ、ま」
自分を呼ぶヴァージルの声に気付いたのか、ルゥはゆっくりとまぶたをおしあげると、弱々しくヴァージルの名前を呼んだ。
「全くお前がここまでひどい男だったとは思わなかったよ。俺の可愛い妹をずっと待たせたあげく、他の女を選ぶなんて。裏切りも良いところだ」
ダンは嘲るような口調でそう言うと、じろりとヴィクトリアの顔を見た。
「最後のチャンスをやろう。『これ』を助けたいなら、その女を殺せ。この子どものことを、お前は随分大事にしていただろう? 『白色コウモリ』なんて、碌に役にも立たないというのに」
ダンはハッと鼻でわらった。
「その女を殺してルイーズを選ぶなら、一時の火遊びだったと見逃してやる」
「ダン・モルガン……!」
ヴァージルは、ダンを睨み付けた。
「その剣で、さっさと殺せ」
そんなヴァージルに、ダンは短剣を投げて寄越した。
地面を打つ金属音。カーンという高い音とともに、場がしんと静まり返る。
そしてダンの妹であるルイーズは、今日は兄の暴言と悪行を止めることなく、その場に佇んでいた。
ヴァージルは落とされた短剣を広い、ぐっと手に力を込めた。
剣を持つ手は小さく震える。
その時だった。
「花嫁様をお選びください!」
静寂を切り裂いたのは、高い子どもの声だった。
「御主人様に……花嫁様は、必要なお方です。御主人様は花嫁様をずっと、探していらしたはずです」
傷だらけの子どもは、ぽつりぽつりと話を始めた。
「出来損ないの僕を、大事にしてくださった。ご主人様のおそばにお仕えできて、僕は、ずっと幸せでした」
そして子どもは、まるで心から自分の人生に満足したかのように、ヴァージルを見つめて微笑んだ。
――だが。
「……誰がお前に、『喋って良い』と言った?」
ダンは冷たい瞳で子どもを見つめると、その子どもの腹に拳を叩き込んだ。
「……っ!」
「ルゥ!!!」
ルゥの表情が苦痛に歪む。かはっという小さな声と共に、宙吊りにされたルゥの体から力が抜ける。
意識を失った子どもを見上げ、ヴァージルは叫んだ。
ヴィクトリアは、そのやり取りを見て唇を噛んだ。
(昔の私なら、代わりになるとすぐに言えた。でも、今のこの状況で『
自分の命にさほど執着がないのは、今も昔も変わらない。
けれど今のヴィクトリアはもう簡単に、『死ぬ』なんて言えないのだ。
ヴィクトリアは眉間の皺を深くした。
今のヴィクトリアに魔法は使えない。カーライルとの連絡も途絶えた今、不用意に動くことは難しかった。
(どうしよう。どうするのが、今の私の最善なの……?)
ヴィクトリアがぎり、と唇を噛んだ時、ダンの後ろに隠れていたルイーズが、唐突に口を開いた。
以前会った時より、どこがくたびれた印象を抱く。彼女は目の下をはらして、静かにこう言った。
「……ヴァージル様は、騙されていらっしゃるのですわ」
(……ルイーズ、さん?)
「彼女に、貴方が守る価値などありません」
「……騙されている、だと?」
ルイーズの言葉に、ヴァージルは顔をしかめた。
「そうだ。これを見ろ」
ダンはニヤリと笑うと、ヴィクトリアの髪飾りを掲げた。
「その女は、お前の花嫁なんかじゃない。お前なら分かるだろう? その女は――カーライル・フォン・グレイルの女だ」
髪飾りの中からは、カーライルの銀の蜘蛛糸が垂れていた。
「もう、おわかりになったでしょう? ヴァージル様。彼女は、私たちにとって邪魔な存在です。この子どもを助けたいなら、彼女を殺して、この血を飲んでください」
ルイーズはそういうと、赤い液体の入っていた瓶をヴァージルに見せた。
「この中には、私の血が入っています。貴方がこれを飲めば、私が貴方の『花嫁』になる。貴方はこれからずっと、私と共に生きるのです」
「それが、君の望みなのか?」
「……
わずかな沈黙ののち、ルイーズは答えた。
「ルイーズ・モルガン。私からも一つ質問させてもらおう」
ヴァージルはヴィクトリアを責めることはなかった。代わりに、厳しい声でルイーズに尋ねた。
「何故君は、デュアルソレイユに行った?」
「……人間の血を得るためです」
ルイーズは、静かに言った。まるで感情のこもっていない声だった。
「吸血鬼族は、かつてデュアルソレイユへの侵攻際、その血を得て力を強化した。人間の血は、吸血鬼一族が再興するための、最も有効な手段なのです」
「禁を破ってまで、その血は必要だったのか?」
「戦争のためです。……私たち吸血鬼族が、再びこの
ルイーズは、自分の手を胸に当てた。
「貴方は、選ばれし方なのです。今、貴方が王にならなければ、私たちの一族が、返り咲ける日はきっと二度と来ない。かつて『夜の王』と呼ばれた私たちが、今後ろ指を差されるのは、全て魔王――グレイス家のせいだと、貴方もご存じの筈ですわ」
ルイーズの言葉は正しかった。
ルチア・グレイスの血脈――今のセレネで力を持つ者はその子孫なのだから。
「この血を飲めば、きっと貴方にもわかるはずです。私たち一族の本能が、どんなものなのか。貴方の本能が、本当に求めるものを」
ルイーズの声は、涙混じりで震えていた。
「……そうでしょう? だって、血を好まない吸血鬼なんて、この世にいるはずがないのですから」
「私を王に据えてどうするつもりだ?」
「カーライル・フォン・グレイルを打ち倒し、全ての扉を開き、デュアルソレイユに侵攻します」
ルイーズの言葉に、ヴィクトリアは目を瞬かせた。
そんなこと――絶対に、させるわけにはいかない。
「貴方は、二つの世界の、全ての生き物の王となるです! 貴方ならそれが出来る!」
まるで神を崇める信奉者のように、ルイーズはヴァージルを見つめていた。
だが、平静さを失ったルイーズとは違い、ヴァージルは彼女の言葉を聞いて、左手で顔を覆って、深くため息を吐いた。
「私は、誰も殺さない。それが私の、あの方への思いの証だから。……それでも」
ヴァージルは、ルイーズを見上げて言った。
「ルイーズ・モルガン。私は、君がいつかそれを分かってくれるなら、君を『花嫁』にしてもいいと思っていた。君だけは、ルゥを心から蔑むことはなかったから」
ルイーズはヴァージルの言葉に、ぴたりと動きを止めた。
「だが、あの日君の行いを知って、そんな日は一生来ないのだと分かってしまった。私は、争いは好まない。『花嫁』を得て、強い力を得たとしても、私はルーファスたちと敵対するつもりはなかった。だからあの手紙が届いた時に、君が私の手を取ってくれるなら、それでもいいと思った。もう十分待った。私のわがままで、この世界を乱すことはできない。でも違った。君は私ではなく、君の兄の手を取った。結局君が最後まで愛したのは、課せられた期待にこたえることであって、ずっと私ではなかった」
(ヴァージル、さん……)
一族の悲願と、自分の想い。
ルゥを大切にしてそばに置くヴァージルは、吸血鬼僕の中では異質だ。
ヴァージルは、セレネで生まれ育ちながら、人間のような慈愛の心を持っている。
だが先祖返りである彼は、セレネにおいて争いの火種になる。
だからこそ、『花嫁』を選びたいという自分の思いを犠牲にしてでもセレネの平穏を守ろうとした時に――自分の許婚の少女が兄の言いなりになり、戦争を起こそうとしていたことを知った時。
彼は一人、どんなに悲しみを抱えたのだろう。
ルイーズ・モルガンに――自分の願いを諦めて、信じたいと願った相手に裏切られたのだとしたら。
「――何故。何故今、そんなことを仰るの……!」
ヴァージルの告白を聞いたルイーズは、手を震わせて涙をこぼした。彼女の血の入った瓶が、地面に落ちて割れる。
そしてその瞬間、誰かが舌打ちする音が響いた。
「え?」
その場にいた誰もが、何が起きているのかわからずに、そう口にすることしかできなかった。
なぜならルイーズの体は、巨大な爪によって貫かれていたのだから。
ルイーズは、ごぽっと血を吐いた。心臓に手を当てて、彼女は振り返り、信じられないという表情でその男を見つめていた。
「おにぃ……さ、ま」
途切れ途切れに男を呼んで、ルイーズはその場に崩れ落ちた。
爪の抜かれた体から溢れた血が血溜まりを作っていく。
息も絶え絶えな様子の妹を、ダン・モルガンはまるで足元に這い回る虫でもみるかのような顔をして、冷たくこう吐き捨てた。
「――まったく、女はこれだから」
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