とんでもない勘違い

 カーライルに休憩室に連れて行かれたヴィクトリアは、まだ少し体調が悪そうなアルフェリアに寄り添っていた。


「ごめんなさい。ヴィクトリア……せっかくのお招きだったのに」

「気にしないで。そんなことよりアルフェリア、もう体は大丈夫?」


 ヴィクトリアが尋ねると、アルフェリアは喉のあたりを撫でて笑った。


「さっきカーライル様がお薬をくださったの。それを飲んだおかげで、だいぶ良くなったわ」

「……そう。ならよかった」


 ヴィクトリアは、ほっと息を吐いてアルフェリアに微笑んだ。

 ただ、内心ヴィクトリアは胃が痛かった。

 一般的、魔素中毒の緩和薬は量産されているものではないため高価になるのだ。アルフェリアの治療の代償に、カーライルからなんらかの要求をされてもおかしくはない。


「カーライル様って笑顔が素敵で知的だし、お優しい方ね」

「……」


 それはどうだろう? 

 ヴィクトリアは苦笑いした。


 (本人には伝えていないが)おそらくアルフェリアが倒れたのはカーライルのせいだ。

 原因は彼にあるのに、症状が悪化しないように薬を事前に準備していたことに感謝するのは、少し違うようにヴィクトリアは思った。


「ヴィクトリアは大丈夫?」

「え?」

「だって、貴方と私は同じ人間じゃない。体が変な感じがするとかは、ない?」


 当然のように、心配そうに自分を見つめる瞳。

 ヴィクトリアはそんなアルフェリアを愛しく思った。

 自分が一番辛いだろうに、すぐに他人のことを思いやれる彼女は、やっぱり最高の幼馴染だ。


「大丈夫。それに魔素中毒は、なりやすい人とそうでない人がいるって話したでしょう? あの花が近くにあったからアルフェリアだって倒れただけで、この城にいるだけなら問題はないというはずだから」


「そうなの? ……でも、そういえばヴィクトリア、貴方がしばらくここで罰として働くと聞いたけど、本当なの?」

「――うん。本当だよ」


 ヴィクトリアは頷いた。

 時を遡ること少し前、ヴィクトリアは別室でイーズマリーの育成者(生産者?)から怒鳴られていた。肉の花の母に相応しいふくよかな女性だ。


『神聖なる魔王城で、カーライル様ご主催の場で、あんな野蛮な真似をするなんて! 貴方、一体何を考えているの!?』

『……』

 

 床に正座させられたヴィクトリアは黙って夫人の言葉を聞いていたが、引っかかるところもあった。

 

(神聖なるってどうなんだろう。私の記憶が正しければこの城は血塗られた魔王城なんだけどな……?)


 そもそも、この城の元の主は自分である。五〇〇年前のこととはいえ、この城のことは少なくとも彼女よりわかっているつもりだった。


『貴方を叱るなんて、ブクブク太った豚は、花の餌にでもなってくれたらいいんですがね』


 ヴィクトリアか下を向いてじっと耐えていると、頭上から囁くような小さな声で、物騒な言葉が聞こえてきた。


『え?』


(聞き間違いかな? いや、そんなはずは……)


『どうかしましたか?』

『……いえ』


 にこり。

 カーライルの笑顔を見て、ヴィクトリアは背筋が寒くなるのを感じた。理解する。この件は、これ以上聞いてはならない。

 

『彼女は私の招待客です。どうやら、イーズベリーのせいで友人が体調を崩してしまったらしく、とっさに花を切り刻んでしまったようなのです。せっかく貴方がくださったものなのに……。本当に残念です。ただ、彼女も大切に相手を思うからこその行動だったのです。申し訳ございません。どうか今宵は私に免じて、彼女を許してくださいませんか?』


 そっと、まるで壊れやすいガラス細工でも扱うような手つきで、カーライルは肉のついた女性の白い手をとって笑う。


『か、カーライル様がそうおっしゃるなら……』


 女性の頬が、恋する乙女のようにぽっと染まる。

 まるで詐欺師だ。ヴィクトリアはそう思った。


『わ、わかりましたわ。今夜のことは、カーライル様に免じてお許しします。それでも、やはり大事に大事に育てたローズマリーちゃんを、あんなふうに無残な姿にされたことには、どうしても腹が立つのです。あの子はカーライル様に召し上がっていただきたくて、丹精込めて育て上げましたのに。……彼女には、何かしらの罰を受けていただきたいですわ。そうでなくては、私の気がおさまりませんの』


『では』

 宝石の輝く扇で顔を隠しながら、婦人は静かに言う。

 するとカーライルは婦人と一度視線を合わせ、そのまま視線をヴィクトリアへと誘導した。


『では罰として、彼女には暫く私の下で労働してもらうというのはいかがでしょう?』

『カーライル様の下で……?』

『はい。そうすれば、貴方のお怒りも静まりますか?』


 カーライルは人の良さそうな笑みを浮かべていた。婦人は静かに頷いた。


『……貴方、まだ幼いようだけれど、苦労を知るのも大切なことなのですからね。しっかりカーライル様から教育していただきなさい』


 ローズマリー(故)の母君は、意外と子供思いの女性のようだった。

 魔族にしては温和な方だ。

 カーライル主催の夜会に参加していたということは、それなりの地位の女性なのだろうだけれど、子沢山のおかあさんという雰囲気がピッタリだともヴィクトリアは思った。


 ローズマリーという名前も、本当に大切に育てていたという証なんだろう。

 魔界では、イーズベリーは残飯処理で育てるものも多いとされるが、豚や牛など、調理されていない家畜などを食わせるほうが味はいいとされている。

 能力主義の魔界で、次期魔王と評されるカーライルのために育てた花。  

 大事に育て、漸くお嫁(物理)に出したら、即切り刻まれたとあれば、怒っても仕方が無いのかもしれない。

 

『着飾った女性が、そう床に膝をつくものではありませんよ。せっかく私が贈った服が、汚れてしまうではありませんか』


 完璧な紳士。

 カーライルはそう言うと、正座していたヴィクトリアの手を引いて立ち上がらせた。

 すると女性は、肉で押しつぶされてい瞳をかっと開いた。


『……彼女に服を贈られたのは、カーライル様でしたの?』


 その瞳は、好奇心でキラキラと輝いている。


『はい。彼女には、私の選んだ服を着てほしくて』

『……まあ!』


 すると女性は扇で顔を隠したまま、甲高い声を上げた。


『カーライル様にそんな方がいらしたなんて初耳ですわ。それではもう、指輪を贈られたのかしら?』

『いいえ。それはまだ受け取ってもらえていなくて……』


 指輪? ヴィクトリアは首を傾げた。


 セレネの、特に蜘蛛と雪女の一族には、婚約の際自分の心を示すために、契約を違えれば(不倫などの裏切りがあれば)、死さえ与えられる(一種の呪いの)指輪を相手に贈る風習があるが――計算高いカーライルが、風習とはいえ自分に指輪を贈るなんて、ヴィクトリアはとても想像ができなかった。


『ふふふ。それでは私、お二人の心の、黄金の矢の射手になれたかしら?』

『そうなることを願うばかりです』


 くすくすと楽しげに笑う女性に合わせて、カーライルは柔和な笑みを浮かべた。


 黄金の矢に胸を射抜かれた者は、燃え上がるような恋をするという話がある。

 女性は楽しげに談笑したあと、ひとり取り残されていたヴィクトリアの前でパチンと扇を閉じた。

 

『貴方、今後はカーライル様の顔に泥を塗らないよう、きちんとしつけてもらわなくては駄目よ? カーライル様は素敵な殿方なのだから、これを機会に、もっと素敵な淑女に、そして親しくおなりなさい』

『は、はあ……』


 なにを勘違いしたのか、女性は顔を赤らめていた。


『……ふふふ……。まさか夜会でこんな楽しい話を聞けるなんて。今日は来てよかったわ。思い出すわ。私が夫と出会ったのも、ちょうど貴方くらいの頃だったわ』

『……』


 魔族と人間の見た目年齢には乖離があるので、それはないだろうとヴィクトリアが冷静に思ったのは秘密だ。


 


「私のせいで……ごめんなさい」

「気にしないで。全部、私がやったことだし。ちゃんとしたイーズベリーは、育てるのに結構な値段がするものなの。だから怒られるのも仕方ないっていうか……」


 珍しく落ち込んだ様子のアルフェリアを見て、ヴィクトリアは慌てて否定した。

 そう。責任は全て自分にある。だからアルフェリアが、心を痛める必要などない。


「イーズベリー?」


 ヴィクトリアが何気なく口にした言葉に、アルフェリアは首を傾げた。


「とうしてそんなこと、ヴィクトリアが知ってるの?」


 まずい。墓穴を掘った。

 イーズベリーは人間と魔族が戦争していた時代、人間の殺戮に使われていた歴史もあり、今は人間界には植生していことをすっかり忘れていた。


「……って、カーライル様が言ってたんだよ! あはははは」


 ヴィクトリアは全力で、笑って誤魔化した。


「……そう」


 そんなヴィクトリアに、アルフェリアは沈黙の後苦笑いして、優しく彼女の髪を撫でた。


「ヴィクトリア。何か困ったことがあったらいってね。力になるから」

「……ありがとう。アルフェリア」



「はじめまして。本日から一緒に働かせていただくヴィクトリア・アシュレイです」


 翌朝、レイモンドに迎えに来てもらったヴィクトリアは、荷物を抱えて魔王城に訪れていた。


 しかし場所は城の中ではなく、馬小屋と野菜畑の近くである。 

 五〇〇年前の魔王存命の頃より、魔王城では食料の自給自足が可能な造りとなっている。

 それは魔王の地位を狙う者たちに狙われた際、結界内で籠城を行うためでもある。

 そして今、魔王城の台所を支えているのは、年の割には筋肉のついた男性と、丸みを帯びた女性の二人だった。


「よく来たね。私は、ここを任せられていミゼルカ・フィアス。こっちは夫の、ガルガ・フィアスだよ。私達は三〇〇年ほど前雇われてね。種族はご覧の通り、ドワーフと人間の混血さ」


 二人の外見的特徴は、人間の混血というせいもあってか、一般的なドワーフの身長とは少し異なっている。少し大きい。しかしその、童話の中にいそうな独特の雰囲気は、確かに二人の中からもヴィクトリアは感じられた。

 

「カーライル様たちより魔力が低くてね、年齢としては私達のほうが若いんだが、外見ではもうこのとおりさね」


 ミゼルカと名乗った女性は豪快にかっかと笑う。

 ガルガはそんなミゼルカの前を通り、無言でヴィクトリアが抱えていた荷物に手を伸ばした。どうやら妻と違い、彼は寡黙な

人間らしい。


「随分多い。何か持ってきたのかい?」

「あ、これは……」


 ヴィクトリアは荷に手を突っ込み、大きな包みを二人に手渡した。


「幼馴染と幼馴染のご両親が、私の仕事先の方々に渡してくれと」


 いわゆる賄賂的な。

 荷を受け取ったガルガが、クンクンと瓶の中身を確認した。


 「……ほう。これは良い酒だ」

 ガルガは関心したかのようにぼそりと呟いた。


「うちの旦那が褒める酒とは! よっぽどいいものなんだねえ! その幼馴染には、よく礼を言っといてくれ。あんたが里帰りするときには、私からもあんたに何か持たせようじゃないか」


 ミゼルカはそう言うと、また豪快に笑った。


「あんた、本当に人間とは思えないほどの怪力だねえ。顔に似合わずすごいじゃないか!」


 ミゼルカに割り振られた仕事を見事全て失敗した結果、ガルガの仕事を手伝うことになったヴィクトリアは、元気に薪割りに励んでいた。

 普通の女性が運べぬ量を、ひょいひょいと軽く担いで、重さを感じさせない動きをするヴィクトリアに、ミゼルカは呆れた声で言った。


「いや、ねえ。カーライル様が初めて女性を招かれるっていうんで、私達は遂に想い人を迎えられて魔王に就任されるのかと騒いでいたわけだけど、まさかあんたみたいな子が来るなんて、本当に驚きだよ。しかもあんた、夜会でイーズベリーをぶったぎったっていうじゃないか。その細い体のどこに、そんな力が隠されているんだい? 全くもう、恐れ入ったよ」


「村に戦える人があまりいなくて、私が一人で獣を狩ったりしていたら……こんな感じに?」


 ヴィクトリアは手を広げた。

 どこに隠されているのかと言われても、隠しているつもりはさらさらない。


「ふふっ。変わった子だねえ。でもいい子だ。私は、あんたのことは好きだよ」


 そう言うと、ミゼルカはヴィクトリアの手を自分の手で包み込んだ。

 まるで彼女を拾い育ててくれた、老夫婦が生前よくしてくれたように。ヴィクトリアは傷だらけの皮膚の厚いミゼルカの手を見て、静かに目を細めた。


「ありがとうございます」



「何故貴方が薪割りを?」


 カーライルがヴィクトリアのもとを訪れたのは、ちょうどお昼頃、昼食を済ませて作業を再開していた頃だった。

 いい汗をかいたと空を仰いでいると、突然声をかけられヴィクトリアはびくっと体をはねさせた。


「カ、カーライル様。こんにちは。これは……その、私、家事が壊滅的に昔から出来なくて……。それでこの仕事を任せてもらったんです。獣を捕まえるのと肉を焼くのと、果物を素手で絞るのなら得意なんですけど……」

「とても女性とは思えない発言で、いっそ清々しいですね」


 カーライルはそう言うと、くっくと笑った。

 ヴィクトリアは目を丸くした。いつもどこか冷めた笑いしかしない彼が珍しい。


「嫌いになりましたか?」

「いいえ。個性的でますます興味深く思います」


 にっこり。

 しかし次の問いをする頃には、カーライルはいつものような笑顔を浮かべていた。


「ルーファス。貴方もそう思うでしょう?」

「はい。野生的でとても素敵だと思います」


 カーライルの背後には、ルーファスも控えていた。

 ヴィクトリアは反応に困った。

 ルーファスは中身が狼なので、本気なのかお世辞なのかわからない。

 カーライルはヴィンセント時代から腹黒くて少し苦手だったが、ルーファスについては初めて出会ったのが子どもだったというだけに、今の彼は大きく育ったのに可愛いと思ってしまう自分に気付く。


(――こう……大型犬が懐いてくれたみたいな嬉しさが……。)


「何を黙っていらっしゃるんですか?」

「ええ、あ……いえ」

 ヴィクトリアは頬をかいた。


「まさか、好意的な反応が帰ってくるとは思ってなかったので」

「私はいつも貴方に好意的ですよ? だから貴方も、私にそう接してください」


 カーライルの言葉は、怒らせようとしているのか笑わせようとしているのか、それとも彼の気が狂っているのかヴィクトリアにはわからなかった。

 好意を持ってほしい相手の大切な人間に毒を盛るのは、どう考えても頭がおかしい。

 ヴィクトリアはカーライルから視線を逸らした。


 するとカーライルは、左手の人差し指を口元に当て、冷静に紫の瞳でヴィクトリアを観察してから、淡々とした声で彼女に言った。


「ここはもういいでしょう。午後は城の中の仕事をお願いします」


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