ZSPとは
「ざ、『残業マン』って……」
課長のおじさん――『残業マン』は異形に向かって歩き出す。
「そしてあの
課長がシンヤに学校の教師のように説明する。課長はこの状況を把握している。シンヤの頭の中は混乱していた。
『残業マン』が『残業獣』と対峙した。
すると、二体の姿が消えた。
「あっ」
二体が体を組み合った姿勢の残像が瞬間的に現れては消える。
そのあとに肉体がぶつかり合う音が残った。
それが数度繰り返された。
「か、課長があの化物と戦っている」
シンヤは息を飲んだ。自分が殺されそうになった化物と。
突然、金属が大きな軋み音を立てた。
『残業獣』がホームの屋根を支えている柱に巻き付くようにめり込んでいる。先ほどシンヤも同じことを『残業獣』にやられたが、威力が違う。
『残業マン』が両足を広げて踏ん張って右肩を突き出す姿勢で立っている。マンガで見たことがある
「あの時の炎だ」
シンヤの拳や体をまとった炎と同じだ。
課長は恐らく右肩に炎を集めて『残業獣』にぶつけたのだ。
「いいかい。『残業マン』の強さは『ZSP』の強さで決まる」
課長がシンヤに顔を向ける。
『ZSP』とはスマートウォッチに表示されていた刻印だ。
「『ZSP』をいかに効率良く出力できるかが勝負の鍵だ。そしてきみからは良質な『ZSP』を感じるんだ」
「あの……」
こんな状況にも関わらずシンヤはとぼけた声をあげた。
「なんだい」
「えっと、『ZSP』ってなんですか」
「わたしは『
「ざ、残業ストレス……。ずいぶんとネガティブなネーミングっすね」
ということはスマートウォッチの円形のゲージは残業ストレスのたまり具合を表示していたものだったのか。だから仕事帰りの疲れた時にしか変身できなかったということか。
「言ったろう。我々は『残業マン』だと。残業するほど強くなるヒーローなんだよ」
「我々。おれもヒーローなんですか」
「そうだよ。きみには素質がある」
「ちょっと待ってくださいよ」
金属の軋み音とともに『残業獣』が鉄柱から抜けて立ち上がった。
「さて。決着をつけよう。『
『残業マン』の無造作に垂らした右腕からスーツが溶けるように下に伸びる。みるみるとそれが独立した刀状の武器になり、『残業マン』はその柄を握った。
「『ZSP』をこのように武器として固定化することでパワーを持続できる」
なるほど。先ほどのように『ZSP』を炎のように放出するのは威力は強力かもしれないが瞬間的なもので効率が悪いのかもしれない、とシンヤは考えた。
『残業マン』は『残業獣』の懐に踏み込むと刀を斬り上げた。
「キシャア―!」
残った左腕を斬り飛ばされた『残業獣』が絶叫をあげる。
さらに『残業マン』は『残業獣』の右足の膝のあたりを切断した。
『残業獣』の手足の切断面から黒い灰が飛んでいる。
「効いている」
『残業獣』の体や『残業マン』のボディスーツが消失するときに黒い灰になる。つまり、黒い灰が出ないと『残業獣』へのダメージにはなっていないということだ、とシンヤは理解し始めた。
「これで仕上げだ」
『残業マン』の全身が金色の炎に包まれた。
あれはシンヤが『残業獣』に唯一ダメージを与えた技だ。もっともシンヤは力をコントロールしきれずに『残業獣』の片腕しか吹き飛ばせなかったが。
「正直、いきなりきみがこの技を使ったのには驚いたよ」
「そんなにすごいんですか」
「これは『残業マン』の必殺技というべき技だよ。でも『ZSP』の消耗が激しいから、相当残業していても二回使用するのが限度だろう。だから滅多に使うことはない。使うなら、このように『残業獣』の動きを封じてからだ」
『残業獣』は手足を切断されてホームの上でのたうち回っている。
「
輝きを帯びた『残業マン』は一直線に移動し、光は『残業獣』を貫いた。
「おおー!」
シンヤは
「すげえ!」
『残業獣』の全身が黒い灰となって散った。
金色の光が消えたあと、駅の蛍光灯の明かりの中に変身を解除したビジネススーツ姿の課長のおじさんが立っていた。
「えっと。ぼく、今頭が混乱していて……。これは一体何が起きているんですか」
「どこから話せばいいかな。そろそろきみが乗る電車が来てしまうからね」
「その前に、駅をこれだけ破壊しているのもまずいような」
「そ、そうだね。ちょっと移動しようか」
シンヤと課長はそそくさとホームの逆側――東京方面の進行方向の端に移動した。
「数日前にこの海浜幕張駅で駅員が失踪した事件を知っているかい」
「はい。ネットのニュースでも話題になっていましたね」
「それはさっきの『残業獣』が起こした事件だよ」
「え! ……そもそも『残業獣』って何ですか」
「人間の残業やストレスで生じた負のエネルギーが凝り固まって生まれる生命体だ。最初は子犬ほどの大きさだけど、負のエネルギーを吸収して成長していく。手っ取り早い方法が、残業ストレスを抱えた人間を捕食することだよ」
「人間を……食べる」
「そう。だから残業ストレスが集積しやすい場所に『残業獣』は生まれる。オフィス街、通勤電車、駅。海浜幕張もオフィスが比較的多いからね。きみのように毎日残業しているサラリーマンもいる」
シンヤは課長のおじさんの言葉を理解しようと努めていく中であることに気づいた。
「それって」
「気がついたかい。つまりは『ZSP』、残業ストレスパワーだよ。我々が変身する『残業マン』と『残業獣』は同じエネルギーで作られているんだ。『ZSP』の暴走した姿が『残業獣』。このスマートウォッチで『ZSP』をコントロールしているのが『残業マン』と言ってもいい」
右手に持ったスマートウォッチをシンヤに差し出す。
「これはもうきみのものだ。返すよ」
「いや、まだ分からないことが多くて」
シンヤが乗る電車がホームに入ってきた。
課長のおじさんがシンヤに優しい笑顔を向ける。
「そうだね。きみが『残業マン』の力をうまく使いたいのなら北口を出た先にある公園に来るといい。わたしは毎晩待っているから」
「課長……」
「なんだね。何度も言うけど、わたしは課長ではないよ。それにもう定年退職した身だよ」
「なんで定年退職したのに、スーツ姿でこんな時間にここにいるんですか」
「ははは。退職した翌日から再雇用で働いているんだよ」
「ええ!」
「しかも相変わらず残業の日々さ。給料は半分になったけどね」
「うわぁ」
「さ、電車に乗り遅れるよ」
課長のおじさんがシンヤの手にスマートウォッチを無理やり握らせて、電車に押し込んだ。
シンヤは抵抗できなかった。『残業獣』の話も衝撃的だった。だが、定年したあともまだ社畜を続けなくてはならない現実の方に大きな絶望を感じていた。
電車が発車する。
シンヤはドアの窓に顔を張り付けて、小さくなる課長を見つめた。
「か、課長ー。あなたはおれにとっての希望なのか絶望なのかはっきりしてくださいよー」
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