第98話 夏のはじまり


 ―― 手紙を届けた、翌日 ――


 昼休み……窓から差し込む強い日差しを避ける様に、ユウは教室の真ん中で流と並んで弁当を広げていた。いつもなら中庭の木陰で優雅に昼飯を楽しむのだが、疲れきった身体と心が、そこまで歩いていくのを望まなかったのだ。


 それに今日は、暑い。今朝の情報番組で、梅雨が明けたと天気予報のお姉さんが笑顔で教えてくれた。 


 ―――つまり、今は夏なのだ。



 ふあーと欠伸をして眠い目を擦っていると、すっかり見慣れた夏服姿のながれが心配そうに尋ねてきた。


「………大丈夫か?部活、そんなに大変なんだ?」


「ん?……ああ、大変って訳じゃないんだけどさ、最近……根を詰めて活動してたからな。でも、それも昨日無事に終わったんだ」


 言いながら…… もう一度、大欠伸をするユウを笑顔の流が見つめる。


「……その様子じゃ、相当に根を詰めてたらしいね。で?何をやってたの?」


「何って……、そんなの決まってるだろ?」


 そこでユウがニッと笑顔で、人助けさ―――と、言い。


 流が、親友の笑顔をふーんと見つめ―――ご苦労さま、と同じ笑顔を返す。

 

 一見、微笑ましさを感じる二人のやり取り。だけれどその笑顔には、いつもの二人が感じられない。いつも通りの真昼時―――楽しそうに語らい合うクラスメイト達の声が、二人を素通りしていった。



 結局……


 先週は一度も、彼女の姿を学校で見かけることは無かった。週が明けた今日―――月曜日になっても、教室に彼女の姿は無い。



 ……あいつ、本当に辞めるつもりなのかな?


 結局のところ、ユウの言葉は彼女には届かなかったのだ。己の無力さを感じ、ユウの心の中は情けなさで一杯だった。


 今日の帰り――


 もう一度、彼女に会いに行こう。


 そう―― ユウは、心に決めていた。



 その時だ。バァンッ!と、勢いよく扉が開け放たれた音が教室内に響き渡り、漏れなく全員の視線を入口へと集中させた。


「―――ッ!水崎!?」


 その場所には、確かに制服姿の彼女が立っていた。


 約三週間ぶりに教室に姿を見せた彼女を、クラスメイト達の驚きの視線が迎える。そして彼女の変わり様に、皆が皆もう一度驚くこととなった。


 何故なら明るい胡桃色くるみいろだった彼女の髪色が真っ黒に染め上げられていたばかりか、肩までかかる長めのボブカットがバッサリと切られて、ベリーショートになっていたからだ。





 水崎翔子は無言のまま、暫く教室内を見回した。そして教室の真ん中で椅子に座っていたの姿を見つけ、ツカツカと近寄っていく。


 ポカーン……と間抜け面で、箸を片手に固まっている、そいつを見下ろす位置まで歩いていくと、翔子は腕を組んで威圧感タップリに睨みつけた。



「……よ、よう水崎。ずいぶん、男前になったのな?」


 漸く引きつった笑顔を見せた、そいつに、翔子は刺すような視線を送った。



「――お前が、見届けろ」


「は、はい?何を………だよ?」


「あたしが自分を許せるようになるまで……如月、お前が見届けろ」


 そいつを睨みつけたまま、翔子は続ける。


「あたしは、お前が大嫌いなの。口もききたくないってのが、正直な気持ち。だからこれは――あたしが、自分に科した罰なの。

 お前……さ、あたしに言ったよな?学校で待ってるって…… その言葉が、口先だけじゃなかったって証明してみせてよ」


 その凄みを利かせた口調に、暫しの間……沈黙が教室を支配した。


 そんな重い空気の中、暫くポカンと間抜けな顔をしていた、そいつだったけれど、突然ニヤリと不敵な笑みを浮かべて、小馬鹿にした様な口調で、こう言いやがったの。



「―――ああ、いいぜ。 水崎……お前こそ、その罰とやらに耐えられるのかよ?」


「―――ッ!上等だ、如月。後で、吠え面かくなよ?」


 だから翔子も、負けじと不敵な笑顔をそいつに送り返してやった。



「……それじゃあ、今日は帰るわ。明日から楽しみにしとけよ、如月」


 翔子はそう言い残し、ツカツカと教室を出ようと入口に向かって歩き出す。

 すると―――


「――おい、待てよ水崎。クラスメイトに挨拶も無しか?皆、心配してたんだぞ」


 そんな翔子に向かって、そいつが話し掛けてきた。


 ……あん?と翔子は、機嫌の悪い顔を周りに向ける。そこには、二人のやり取りを唖然とした顔で見つめる、クラスメイト達の顔がズラリ……と並んでいた。



「……ハハッ。やっぱりさ、如月。あたし、お前のこと本当に大嫌いだわ」


 翔子は引きつった笑顔で、そいつをかえりみた。



 それから大きく息を吸い込み――



「ご心配を、お掛けしましたぁ!明日からも、宜しくお願いしまぁ――スッ!」



 ―――と、大声で皆に挨拶をし、頭を深々と下げたのだった。




 その様子を見届けたユウは、チラリといずみへ視線を送った。


 ―――いずみも、ユウを見ている。


 そして、やれやれだよ………。と、お互いに苦笑いを浮かべてから、彼女の背中に大きな拍手を送ったのだった。









 ガチャリ――と鍵を開けて、翔子は一人で暮らすマンションの扉を潜った。


「………ただいま」


 小さく、誰もいない家に声を掛けた。………もちろん、返事なんて無い。



「あのクソ野郎…………!」


 翔子は、またその台詞を口にした。すっかり如月のペースに乗せられてしまった自分に、ずっと腹を立てているのだ。


 スクールバックを空いている椅子へと置き、翔子はそのまま窓へと歩いて行った。そして閉まっていたカーテンと窓を、全開にする。


 帰宅中に降り出した夕立は、今は小降りになって…… 代わりに、雲の隙間から太陽の光が差し込んいた。


 ふわり……と、気持ちの良い風が、開け放った窓から入り込んでくる。



 思わず翔子は、靴下を脱いで裸足でベランダへ踏み出していた。

 そして、一歩二歩。



 ―――――虹。



 言葉を失くして、翔子はその光景を見つめた。雲の隙間から差し込む光に照らされた空に、大きな大きな虹が架かっていたのだ。

 


 ―――長かった梅雨は、終わったよ?


 と……その虹は、翔子の心に語り掛けてきた。



 夕立で冷やされた心地の良い風が体を通り過ぎ、リビングへと流れ込んでいく。

 その風は、花びらを優しく揺らした。


 その部屋の中で唯一、美しい彩りを湛える仏壇に飾られた花たちが、そっと揺れる。夏の晴天の様に、澄んだ天色をした優しい花たちだ。


 その花たちは送り主達が帰って一週間が過ぎても、まだその部屋に美しい彩を届け続けていた。そして――


 その傍らには綺麗に畳まれたハンカチーフが、

          その様子を嬉しそうに見つめている。

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