第78話 死後の世界 後編
もう何十回、男は殺されのだろうか?
暫くその凄惨な様子を黙って見つめていた青葉だったが、遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてくると動かなくなった男の魂に近付き、腕を掴むとズルズルと引きずってポールに縛ってある男の肉体へと放り込んだ。
青葉が近づくと、あの者達は一様に距離を置いた。それでも名残惜しそうに遠巻きに様子を伺っていたが、青葉にひと睨みされると一斉に何処かへと逃げ出していった。
「ぐはっ!ぐぇぇ……」
汚らしい声を上げて、男が目を覚ました。そして直ぐに青葉に気が付き、ガタガタと震えだす。どうやら男は、失禁してしまったようだ。
「もう…止め……止めて……」
男は泣きながら、懇願してきた。その顔にはもう、先程までの世の中を舐めきっていた態度は微塵も残っていなかった。
「……何を言ってるんです?私は何もしていません。今まであなたが生きてきた人生そのものが、招いた事態なんです。
あなたは自分勝手に、死ねば何もかも終わりだと思っていたかもしれませんけど、どう人生を生きてきたかで、魂になった後にどんな魂が周りに集まってくるのかが決まるんです。そして、それを決められるのは生きている間だけなんです。
……今、あなたが死ねば、先程体験した修羅場が何十年も何百年も続きます」
そこで言葉を止めて、青葉は男の前に膝をつく。
そして顔を近付けて、耳元でこう呟いた。
「……続き、視たいですか?」
男は全身をガタガタと震わせて、涙で濡れた顔を必死にブンブンと横に振った。
「い、いや!ぜったいに嫌だ!どうすればいい!!あんたっ!俺はどうすればいい!? 頼むから、教えてくれよ!」
「……さあ?自分で考えて下さい。だって、自分の人生なんですから」
その冷めた言葉を受けて、男はへなへなと力を失っていった。そして虚ろな目で、所在なく何処かを見つめている。
……この様子なら、もう大丈夫だろう。
そんな男の様子を見ていて、青葉はそう感じた。これで随分、警察に協力的になった筈だ。後はパトカーが到着するのを待ち、男を引き渡せば自分の役割は終わる。
―――筈だった。
だけど、どうしてだろう?青葉は、男に声を掛けずにはいられなかった。
「ただ……」
ぽつりと呟くと、男は虚ろな目を自分へと向けて次の言葉をじっと待っていた。
「ただ、今までの自分の歩んで来た人生をしっかりと見つめれば、これから自分がどうやって生きていけばいいのか、分かってくるんじゃないでしょうか?」
「……今までの、自分の?」
「はい、自分自身をちゃんと見るんです。分からなくてもいいから、何度も何度も見つめるんです。今までの自分がどんな生き方をしてきたのか、これからどんな自分でいたいのか、ちゃんと逃げずに考えるんです」
男は、黙って話を聞いていた。青葉は柄にもなく饒舌になっている自分に気が付き、うら恥ずかしい心持ちになって目を伏せた。
「……私もそうだから。 だから、きっとあなたも……」
パトカーが到着する少し前に、小野刑事が運転する覆面パトカーが現場へと到着した。小野は大慌てで車から降りると、現場に一人佇んでいる青葉の元へと駆け寄っていった。
「青葉ちゃん!大丈夫かい!?」
コクリと頷いた彼女の様子に安心し、小野はほっと胸を撫で下ろした。どうやら怪我などはしていないようだ。そして彼女の周囲を見回した小野は、息を呑む。
周囲には腕があらぬ方向へとねじ曲がって倒れている男達が何人もいたし、彼女の目の前には、血と吐瀉物にまみれた男が縛り付けられていたからだ。
「……君がやったのかい?君達は、相変わらず無茶するねぇ」
ポリポリと頭を掻いた後、小野は青葉の前で縛られている男に近づき、「警察だ。話を聞かせてもらおうか?」と手帳を見せた。
男はただ、茫然と青葉を見つめていた。しかし暫くすると意を決したように小野に向き直おった。
「……全部、話すよ。今までの事、あの人の事、全部だ」
そして男は、その言葉を聞いて驚いている小野から視線を外し、再び青葉へと向き直った。
「なあ、お嬢ちゃん。俺も、あんたみたいになれるかな?
……十年前に別れたっきりの女房とガキがいるんだ。許されるなんて思っちゃいねえが、一言でいい……死ぬ前に詫びを入れたいんだ」
男の言葉を聞いた青葉は少し驚いた顔をした。そして大きくコクリと頷く。
「……そうか。ありがとうよ、お嬢ちゃん」と、くくくっと笑う男。そして――
「それと…… お返しといっちゃあ何だが、一言言わせてくれ。
あんたなら大丈夫。だって、もう見付けたんだろう?これからの自分ってやつをさ」
その言葉に青葉は大きく頷き、はい!と元気な返事を返した。
「ははっ良い返事だ。だったらもう心配いらねぇよ。なぁに、あんたみたいな美人はどこにも居やしねえ。 ……何も、心配いらねぇからな?」
……だと、いいんですけど。
屈託のない男の笑顔を見つめながら、青葉は心の中で苦笑いしていた。脳裏には、優しい笑顔を湛えた姉と、尊すぎる親友の無邪気な笑顔が浮かんでいたからだ。
……自分が溜息をつく理由には身に染みる程に、素敵すぎる笑顔たち。
でも……
どんな結末だとしても、私……
目を閉じて、彼の笑顔を強くイメージした。
………いつからかな?
何時から、だったのかな?
私のこと、仲間だって呼んでくれた時から?
駅のベンチで、あなたが私の膝の上で休んでいる時からかな?
それとも初めて、あなたに出逢った日の夜に、私の知っているあの人が、あなたなんだって気付いた時?
ううん、もっとずうっと……
そこまで考えを巡らせて、青葉は首を振った。
……でも、そんなこと。もう、どうだっていいの。
私ね……
この気持ちだけは知っていた気がする。
生まれる前から、知っていた気がする。
私ね……
私は、あなたのことね。
もうずっと、ずっと、ずうっと……
大好き、なんだよ?
制服のポケットの中で大切に眠らせていた、黒いハンカチーフ。手の平の上で広げてみれば、夜空に輝く蒼い三日月が一つ。
その輝きが壊れないようにと優しい指つかいで包み込むと、青葉はその月の結晶をそっと髪に挿した。
流れるような黒髪の中で、その月は自分らしく慎まし気に輝いてみせた。
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