第53話 忘れえぬ笑顔


 紅葉の言葉に、ユウはすっかり乾いてしまった喉をコクリと鳴らした。


「アレは青葉先輩の守護霊みたいな、ものなんですか?」


 紅茶を口に含んだユウを見つめながら、彼女は首を横に振る。


「……違う。そんな優しい存在じゃない。彼女に憑りついている化物よ。神に近い存在と言ってもいいかもしれない。もちろん神といっても、邪神の類だけれど」


「何で先輩に、そんな恐ろしいモノが憑りついているんですか?目的は何なんです?そんな存在が、先輩を守っているなんて……」


「確かな事は言えないけれど、目的だけは想像できる。……あんな邪な存在が、妹を無償で守る筈ないもの」


 紅葉はそれ以上を口にしなかった。いや出来なかったと言った方が正解だろう。

 

 しかし微かに震える唇が、彼女の感情を伝えてくる。



 ……にえだ。


 アレにとって、青葉は贄なんだ。


 期が熟すのを待っている。だから、それまでは彼女を守る。大切な生贄が横取りされない為に、彼女を守っているのだ。


 そんな恐ろしい考えがユウの思考を過った時、彼女の小さな呟きが聞こえてきた。


「……渡さない。あんな化物に妹は渡さない。私が必ず妹を守ってみせる。この命に代えても必ず守ってみせる」


 その独り言の様な小さな小さな声は、ハッキリとユウの心に届いていた。その時にユウは初めて、この掴みどころのない彼女の本当の姿を見た気がした。そして、昨日の青葉の涙の理由もユウは知る。


 ……きっとこの姉妹は、ずっとあの恐ろしい存在と闘ってきたのだ。

 

 ギュッと拳を握り締めながら、ユウは出かかった言葉を必死に飲み込んだ。安易に慰めや激励の言葉など、掛けられるはずもない。二人が闘ってきた相手の恐ろしさは身をもって感じていたし、先程の紅葉の言葉から彼女の本気さも、青葉がどれ程の闇とずっと向き合ってきたのかも十分に伝わってきたからだ。


「……御免なさい。貴方には関係のない話だったわね。この件に、貴方を巻き込むつもりは無かったの」


 そして目の前の彼女に、いつもの優しい笑顔が戻っていく。


「ごめんね、如月君。昨日渡したアミュレットを身に付けていれば、貴方が巻き込まれることは無いと私は思っていたの。……でも実際は、貴方を危険に遭わせてしまった。完全に私のせいなの。……本当に、ごめんなさい。

 私は貴方の目的である、記憶を取り戻すことに全面的に協力する。だから貴方は、もう部の活動には参加しなくていいの。貴方をこれ以上、危険な目に遭わす訳にはいかないから」


 そして彼女は、深く深く頭を下げた。



 暫くの沈黙の後で、重い口を開いたのはユウだ。


「……ねえ先生。昨日、青葉先輩の目を通して視えた世界は、俺にはとても美しかったです。先輩には、いつもこんな世界が視えているんだなって、思いました。先輩のお陰で自分には視ることが出来ない、あんな素敵な世界があることを知れて嬉しかった。……もちろん良いことばかりの世界じゃないってのも、その後に十分過ぎるくらいに、分かりましたけど…ね」


 苦笑いを浮かべながら、ユウは続けた。


「……もしお二人が許してくれるなら、俺はあの世界をもっと視てみたい。

 もちろん怖い気持ちもあるけど、それ以上の何かが俺はあの世界にあると思う。

 出会ったばかりの俺には、二人が抱えている問題をどうにかしてあげる力も資格もないけど、この部の仲間として一緒に活動してもいいですか?」


 その言葉を聞いた彼女は、ハッと顔を上げた。


「あれだけ怖い体験をしたのに……仲間でいて……くれるの?」


 彼女の声は、震えている。


「もし先生や先輩が俺のこと、そう呼んでくれるなら……」


 その時、彼女の瞳に光るものを見て、ユウは慌てて視線を逸らした。昨日もそうだったが、やっぱり女性の涙は苦手だ。


「……バカね。呼ぶに……決まってる。ありがとう如月君。あの子の……視ている世界を……美しいと言ってくれて……」


 震える声のまま、そう話した彼女。迷ったが、ユウは見ることにした。今のこの人を見なければいけない、そう感じたからだ。


 きっとこの人は今、忘れてはいけない表情を浮かべている。そして俺は、それをしっかりと見つめなければならない。そんな気がした。


 そして彼女に視線を戻したユウは、それが正しかったんだと確信した。



 やはり…… やはり……だ。


 

 昨日から降り続いた雨が晴れ、雲の隙間から漏れ出した光が降り注ぐ部室に涙を浮かべた彼女がこちらを見つめながら佇んでいる。


 

 その笑顔は


 一生忘れられないくらいに……


 美しかったんだ。

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