第52話 紅茶のひととき


「遅くなって、すみません」


 ユウが部室に入ると、紅葉はティーカップを片付けているところだった。


「――お疲れ様。天野先生に、大分絞られた?」


 ユウの顔を見ると、紅葉は優しい笑顔で向かい入れてくれた。そんな彼女に苦笑いで応える。天野先生とは、通称『軍曹』の苗字だ。


「ふふっあの先生、本当に生徒想いだから」



 ……やはり昨日の青葉との一件は、大勢の学校関係者に目撃されていた。どうやら学校に、何件も連絡があったようだ。つい先程までユウは、担任でもある軍曹から事実確認と、キツイお叱りを受けていたのだ。


 まあ彼女が相手でなければ、こんな騒ぎにはならなかったのだろう。それだけ黒木青葉は、多くの人達からの注目の的なのだ。 ……私はお前が気の毒だよと、ポツリと呟いた天野先生の言葉がユウは忘れられなかった。


 今は当人が、軍曹に話を聞かれている最中だろう。


「打ち合わせ通り、部の活動中に俺が貧血を起こして先輩に介抱してもらった。と、言うことで天野先生には納得してもらいました」


「そう、良かったわ。本当のことを話しても、信じては貰えないでしょうからね」


 また優しい笑顔をみせた紅葉に頷き返しながら、それはそうだろうとユウは思う。実際に体験した自分ですら、信じられないのだ。


「……問題は、先輩ですね?」


 ユウの顔に、また苦笑いが浮かび……


「そうね。あの子、嘘が下手だから」


 彼女の笑顔にも、苦笑いが混じっている。



「……それでね如月君、どうだった? 昨日、妹と一緒に行動してみて、貴方の目に何が写り、何を感じたのか、私にも教えてくれる?」


 そう言って彼女は、新しい紅茶を注ぎながら着席を促す。ふわりと良い香りが二人を包み、その香りに誘われるようにユウは彼女の前に腰を落ち着かせた。


 紅茶のお礼を言った後で、ユウは掻い摘んで昨日の出来事を話し始めた。


 初めて視た霊達が、みんな幸せそうに視えたこと。


 その後、駅で出会った白い花柄のワンピースを着た女の子の霊に驚いたこと。



「ふふっ、それは大冒険だったわね」


 ユウの話を、彼女が頬杖を付きながら楽しそうに聞いている。その眼差しは、どこか母親を感じさせるものだ。遠足から帰ってきた子供から、今日起こった出来事を聞いている母親のような、温かい眼差し。

 

 いつしか夢中になって話している自分に気付き、ユウは気恥ずかしい心持ちになった。


「……でも、先生。俺が視た彼女の記憶は何だったんでしょうか?記憶を視たというか… まるで俺自身が彼女になったみたいでした」


「そうね。どうやら貴方は、記憶視が出来るみたいね。実は私も一度だけ体験したことがあるの。……あれは、貴重な体験だった。

 けれども記憶視は、なかなか体験出来ることではないのよ。もしかしたら、如月君にはその才があるのかもしれないわね」


 そこまで話して、彼女は心配そうにユウを見つめてきた。


「……ところで如月君、体調は平気?」


「え? ええ、特には何も……?」


「そう…… ならいいのだけれど。 記憶視はとても心が疲れるから、もうしない方がいい」


「え?あ、はい。でも自分の意志で出来る訳じゃないと思うので、もう視る事も無いと思いますよ?」


「そう、それならいいの」


 その言葉を聞いて、彼女は安心した様子だった。そして話の方向が青葉から出現した黒い靄と赤子の話になっていくと、場の雰囲気は一変する。


「……そう。貴方も視たのね、アレを」


「はい。先生、アレは一体、何なんですか?」


「私にも分からないわ。アレを視て、貴方はどう感じた?」


「はい。あの黒い靄はヤバイです。憎悪や怒り、悲しみや恐怖の塊と言うか……とてつもない悪寒を感じました。俺はあの黒い霧、どこか恐ろしい世界へ繋がっている門だと感じました」


「門か…… 確かに私も同じイメージを抱いたわ。異界へ繋がる、門」


「……そしてその世界から現れたアレは、きっともっと恐ろしいです。アレは青葉先輩が操っているんですか?」


 紅葉はコクリと頷いた後、こう言った。


「青葉は、アレを操れたりしていないわ。ただ彼女の身に危険が迫ると現れるのは確かね。アレは人が操れる様な存在じゃない。とても危険な存在よ」

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