第50話 門

 俺は……  この人の、記憶を視たのか?


 ユウは一瞬で、今の状況を理解した。この目の前の女性は、もう生きてはいない。そして今まで、俺はこの人自身だった。


 髪の毛が逆立つ感覚を、項の辺りに感じた。そして紅葉が首にかけてくれたアミュレットが微かに震えているのも分かった。


 その時、ワンピースの女性とユウの間に青葉がスッと割り込んできた。女性が飛び退く様に後ろに下がる。


「先輩!」


 ユウの位置からは青葉の表情は分からなかったが、ワンピースの女性は明らかに不愉快な表情をしている。

 

 電車の発車を告げるベルが響き、続いて扉が閉まる音がした。電車がゆっくりと発車していく。だがユウには、そんな事を考えている余裕はなくなっていた。ワンピースの女性が、再び近づいてきたのだ。


 ユウ達の横を電車がゆっくりと進んで、徐々にスピードを上げていく。



「……消えて下さい」


 そしてあと数歩という所で、青葉の冷たい声が聞こえた。


 ぞわり!


 その瞬間、ユウの全身を今まで感じたことの無い悪寒が包み込んだ。全身の毛穴が粟粒の様にふくらんで弾け飛び、恐怖で両足が小刻みに震え始めた。   



 ズ…ズズ……ズズズ



 ‥‥なに? 何だ? あれ……何だよ?



 青葉の背中から、何かが出てこようとしている。黒いもやの様なは、段々と膨れ上がりながら何かを形づくっていく。



 ……ねえ、先輩? それは何? それは、いったい何なんだよっ!?



 憎悪、怒り、悲しみ、恐怖、色々な感情が雑じり合ったような真っ黒なは、あっという間に3m程の塊に膨れ上がり、円を作り上げた。


 ”ブラックホール”


 そんな単語が、頭に浮かぶ。



 ……門だ。


 あれは門だ。


 あれは絶対に近寄ってはいけない、何処か恐ろしい場所へと繋がる門だ。


 

 門という言葉が頭の中に浮かんだ瞬間、ユウをとてつもない恐怖が襲った。



 ……怖い。


 こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい!!!


 恐ろしくて、絶対に近寄りたくない!



 全身が恐怖で、ガタガタと震えていた。その場から逃げ出そうと後ずさるが、足に力がはいらず何歩か下がるのがやっとだった。情けなく腰を抜かして尻もちをつきながら、それでもソレから少しでも離れようとユウは足を必死に動かし続けた。


 そしてなんとか、5〜6m離れた時だった。


 ズゾゾゾ……!


 何の前触れもなく、真っ暗な門の中から白い何かが姿を現す。


 全身真っ白でうっすらと光っているそれは、人の赤ちゃんだった。ただ大きさは2mを優に超えているだろう。全裸で手足を丸め左手の親指をしゃぶっている。眠っているのか両目を閉じて、無心に親指をしゃぶり続けている。


 ふと、全身の震えが止まった。


 ……熱い。胸から下げたアミュレットが、門が現れてから異常に熱かった。


 

 スウッと赤子あかごの目蓋が開いた。目の前には、ワンピースの彼女が立っている。

 

 彼女は恐怖の表情を浮かべて、先程のユウと同じ様に全身を震わせていた。


 赤子の右手が、ゆっくりと女の子に向かって伸びていく。左手は、しゃぶったままだった。


 女の子は恐怖で体が動かないのか、赤子の大きな手が彼女の胴体を掴んでも何の抵抗もしなかった。ひょいっと片手で軽々と持ち上げられて、上下左右に揺さぶられてから彼女は初めて声にならない悲鳴を上げた。

 彼女はひどく暴れて抵抗したが、声は届かない。彼女が悲鳴を上げ続けているのが分かっているのに、ユウには聴こえてこなかった。


 まるで玩具で遊んでいるかの様に、赤子が女の子を振り回している。彼女の必死な抵抗など、まるで無意味だった。



 「……や、めろ」


 ユウは、やっとその一声を絞り出したのだ。


「やめろよ、先輩!やり過ぎだぞっ!!」


 ユウの言葉に、青葉がゆっくりと振り向いた。


「……何故ですか?この人はあなたに手を出しました。消えて当然です」


 無機質な彼女の声と共に、赤子が門の中に消えていく。その手にはまだ、女の子を掴んだままだった。


 ……まずい!


 あの中に引きずり込まれたら、二度と戻って来られない気がした。


 気が付くとユウは、女の子に向かって駆け出していた。力が入らない筈の両足で、前へ前へと走り出していた。そして女の子に抱きつくように、赤子の大きな右手に飛びかかっていく。


 ……彼女の体に触れた瞬間の感覚を、忘れられない。


 それはまるで、冷たい電気に抱きついたみたいだった。


 魂が麻痺していくような強烈な痺れを感じながらユウは女の子を抱えたままホームの上を数メートル転がり、そして止まると同時に彼女を背に庇う様にして体制を立て直した。


 ……真っ暗な門の中には赤子の右腕だけが生えていて、そして直に完全に消えた。すると黒い靄も段々と小さくなっていき、やがて完全に消えてしまった。


 後ろを振り返ると、女の子が自分の肩を両手で抱きながら震えている。そして彼女も、直にすうっと消えていった。



 ……助かったのか?


 気が緩んだ次の瞬間、ユウは意識を失った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る