座椅子に座ったまま、俺はこりずに再度眠ってしまったらしく、また、さっきと同じ夢を見た。夢の中で手を差し伸べる女の人は、やはり母さんにとてもよく似ていた。ただ、その手が荒れているだけで。

 これは夢だ、と、すぐに分かった。分かって目を開けると、すぐ側にヨウさんのきれいな顔があった。

 俺はびっくりして、反射的に身を遠ざけようとして、そして自分の手がヨウさんの手の中にあることに気が付いた。どうやら俺は、夢の中のあの女の人に、手を差し伸べ返していたらしい。自分が寝ぼけていたことが恥ずかしく思えた。ヨウさんが、とてもまじめな顔をしていたから、なおさら。

 「昔、」

 言葉は勝手に喉から転がり落ちてきた。別に喋ろうとなんて思ってないし、喋る内容を考えてもいないのに、勝手に。

 「昔、友達のお母さんを、羨ましく思ったことがあるんです。……石鹸か洗剤かの、いい匂いの手をしてました。荒れた手……。俺の母さんの、香水の匂いのきれいな手とは、全然違った。」

 自分で言ってから、その記憶を思い出して、じりじりと胸が軋んだ。本当に昔の記憶だ。俺がまだ小学一年生か二年生くらいだった頃の。今になってそんなことを思い出すなんて、どうかしている。俺は、母さんを捨ててここまで来たのに。

 「……そう。」

 ヨウさんは、静かに頷いてくれた。彼の手も、きれいだった。母さんの手に、似ていると思った。

 そこまで思ってから、俺ははっとしてヨウさんの手を離した。起きた瞬間はヨウさんが俺の手を握ってくれていたのだけれど、いつの間にか反対になっていた。

 「まだ、疲れてるみたいだね。」

 ヨウさんが、すんなりと立ち上がりながら言った。

 「風呂を沸かしたから入れば。着替えはなんか探しとくし。」

 今更になって、遠慮の気持ちが湧き上がってきた、自分がどこまでも図々しいことをしているのは百も承知だったし、本当に今更なんだけれど。

 「……ごめんなさい。出て行きます。」

 俺がそう言うと、ヨウさんがこちらに首だけ向けて振り返った。

 「出て行くって、こんなに寒いのに、またカッターだけ持って?」

 「……はい。」

 俺は無意識にジーンズのポケットを探り、そこにまだカッターナイフが入っていることに気が付いた。ヨウさんは、ここにこれがあることを知っていて、取り上げもしないで放っておいてくれたのかと思うと、胸の奥のほうをじんわりと握りつぶされるみたいな、変な感じがした。

 

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