35. チャド
携帯に知らない番号から着信があったのは、12月の中頃のことだった。いつもは迷惑電話とみなして着信拒否にするのだが、そのときに限ってなぜかそうしてはいけない気がして電話をかけ直した。
相手は電話に出るなり祖父の友人とだけ名乗りこう尋ねた。
「俺の映画に出ねえか」
彼はこちらの返事を待つこともなく、待ち合わせ場所だけ告げて一方的に電話を切った。
怪しい。
普通の人なら誰でもこう思うだろう。この電話の主が信用に足る人物かを判断するにはあまりに情報が少なすぎた。だが私が彼と会うことに決めたのは、祖父の友人という一言があったからだ。
♦︎
ロンドン郊外のスペイン料理店のフロアのちょうど真ん中あたりの席に彼はいた。
チャド・ベルナールというその老人は、祖父と同じスペインからの移民だった。炭鉱夫や掃除夫、映画館スタッフなど様々な仕事をしてお金を貯め35歳で大学に進学し、映画監督になるための勉強をしたのだという。浅黒い肌で笑顔が多く見るからに社交的な、よく喋る老人だった。
「君が出てるドラマの監督から君の連絡先を聞いたんだよ。題名は何だっけ、ライジングとかシャイニングとか何とか」
「ライトニングです」
そこで私は遅ればせながら、祖父の昔話にチャドという男性が出てきたことを思い出した。確か彼は、祖父の親友のペドロとカトレアを再会させるきっかけを作った人物ではなかったか。
そしてもう一つ思い出したことがあった。チャドが祖父の葬儀に来ていたことと、そのとき私に言った台詞だ。
『君が女優になったら、俺の映画に出てくれよ』
当時祖父の死の衝撃があまりに強烈だったために彼の言葉を真剣に捉える余裕がなく半信半疑で聞いていた私は、まさか本当に近い将来自分が女優になって彼の映画にスカウトされるだなんて思ってもみなかった。
「パウロは男の中の男だ。あいつは本当にいい奴だったよ。君にもあいつの血が流れてるんだから、誇りに思うといい」
彼は夢中でパエリアを頬張る私に向かってそう言った。ひとしきり祖父との思い出について語ったあと、チャドは本題を切り出した。
「それで、映画のことなんだが」
彼の話によると私の他に出演者はたったの5人で、全てインターネットで募った無名の俳優だった。脚本の配役の箇所を読んで愕然とした。なぜならあの宿敵ニコルの名前があったからだ。チャドが他にも色々説明してくれたが、映画の内容が昔のイギリスを舞台にしたコメディということしか頭に入ってこなかった。それほどまでにニコルとの共演がショックだったのだ。
私はショックのあまり、パエリアの他にトルティーヤとアヒージョとスペイン風オムレツまで喰らってチャドに目玉をひん剥かれた。食べた分は払うと言ったがチャドはご馳走すると聞かなかったので、あれだけ食べた手前かなり後ろめたかったが言葉に甘えることにした。
ご馳走してもらった感謝を何度も伝え、チャドの脚本家である旦那が書いたというスクリプトを手に私は帰路についた。もうここに来た時点で出演することは決まったようなものだ。
家に帰って台本を読んでみた。主役は私。しかも貴族の家に仕える変なメイドだ。ドジでそそっかしいうえに主人である伯爵の書斎に忍び込みコレクションのホラー小説を読み漁り、現実で起こる様々な出来事をホラーな妄想と結びつけて考えてしまうというユニークなキャラクターだ。ニコルの役は私をコキ使って嫌味を言ってくる伯爵の娘。何て嵌り役なのだろう。チャドはまるでニコルの冷酷で傲慢な本性を知っているかのようだ。
そういえばチャドがヘアメイクとスタイリストがまだ決まっていないと言っていた。主題歌も挿入歌も決まっていないらしい。この映画大丈夫なんだろうか。ジョーダンとルーシーにダメ元で頼んでみようか。自主制作映画というのは色々と大変だ。
ルーシーとジョーダンは当然の仕事のオファーを快く引き受けてくれた。気心知れた2人とまた一緒に仕事ができるのは非常に嬉しいことだ。
映画の挿入歌をウミが提供してくれると言ったのには私もチャドも驚いた。Umiという大スターの曲が流れるドタバタギャグ映画。果たしてどんな仕上がりになるのか、きっと誰も予想できまい。
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