22. パウロ
父のホテルについての説明に入る前に、私の祖父のパウロのことを少し話そうと思う。
私の祖父パウロは1971年、まだ20才のときにスペインからイギリスに船で渡ってきた、いわゆる移民労働者だった。そのとき乗り込んだ貨物船では謎の流行り病が蔓延していて、彼と一緒に海を渡ろうとした仲間の何人かが病に感染して命を落とした。
パウロは身寄りもない新しい国でホテルの従業員として働き始めた。最初は皿洗いから始まって、掃除や洗濯、その他言い付けられた雑用等日々のルーティンワークのみでなく、客の靴磨きや荷物運びなどお金になることは何でもやった。
祖父とともにイギリスにやってきた仲間の中に、ペドロという一人の男がいた。祖父と幼馴染の彼は純粋で、動物や子供をこよなく愛する優しい性格だった。彼はホテルの裏でゴミ箱を漁る貧しい子供たちにこっそり客が残した料理を持って行ってやったり、野良の仔猫にミルクをやったりしていた。だがペドロには先天的に知能に問題があり、他の人間たちより要領が悪く手先が不器用で仕事の覚えも遅いうえ、いつも失敗を繰り返していた。そのため意地の悪い先輩や同時期に入った同僚たちから酷いいじめを受けていた。祖父はそんな彼をずっと身を挺して庇い続けていた。例え自分の身が危険に晒されようとも。
あるときペドロは同僚たちからの暴力により、利き腕の右手に酷い怪我を負った。祖父は従業員用のトイレで傷だらけで泣きじゃくるペドロを発見し、空き部屋に連れ込んで手当てをしてやった。ペドロの怪我が良くなるまで祖父は彼の仕事を進んで手伝った。
ある夜同僚たちとペドロと5人で仕事終わりに街の酒場に行った際、酒に酔った同僚たちは例によってペドロの容姿をからかい、彼の仕草を真似ては下品な笑い声を上げた。そのうえ酒に弱いペドロに無理にウィスキーを飲ませようとし、酒が飲めない体質のペドロが拒否すると腹や頭を強く小突いた。それまでも親友への酷いいじめを度々目の当たりにしていた祖父は遂に我慢が利かなくなり、同僚たちを店の外に連れ出し一人残らずこてんぱんにやっつけた。
休み明け祖父が出勤すると、いつも一番に出勤して掃除をしているペドロの姿が無かった。同僚の一人に聞くと昨日付けで辞めたという。祖父は悔しさの余り厨房裏の食料倉庫に籠って泣いた。何故純真な心を持つペドロがあんな理不尽な酷い目に遭った挙句に、外国からはるばる海を渡り、苦労して手に入れた職を自ら手放さなくてはならないのか。彼はつくづくこの職場と世の中が嫌になった。
祖父がペドロを庇っていたのには、長年来の大切な友人だからという以外にも理由があった。祖父は元々無口であまり感情を表に出さない性格で、外で元気に遊ぶより家にこもって偉人の伝記や難しい小説を読むことを好んだ。幼い頃はそれが原因で周りの子どもたちと馴染めず、近所の子どもたちからいじめられ、大人たちからも変わった子と思われ理解されにくかった。イギリスに来てからも移民というだけで白い目を向けられ、自分の必死で覚えた英語の発音を、職場の先輩たちや他の人間たちから真似され笑われることもあった。そんな祖父はペドロの気持ちを誰よりも理解することができた。人から蔑まれ虐げられる彼を救いたいと思ったのだ。
翌日遂に祖父は総支配人の元へ出向くことを決めた。ペドロが同僚たちから受けていた仕打ちを訴えてやろうと思ったからだ。自分がクビになることなどそのときの彼にとっては屁でもなかった。仕事なら選ばなければ余るほどある。辞めさせられたら煙突掃除でも工場仕事でも何でもやってやろう。
彼は徒歩で半日かけて総支配人のいるホテルの本部のある場所まで向かった。しかし事務所に通して貰うまでにかなりの時間を要した。総支配人のジェームズの知り合いなのだと言っても、厳しい顔をした警備員2人に信じてもらえるはずもなかった。仕方なく彼は2人にこんな提案をした。
「私が君たちを笑わせられたら、そこを通してくれ」
警備員たちは互いに顔を見合わせたあと、その提案を呑んだ。
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