第11話

夕方の大学からの帰り道。蒔乃は海岸線を走るバスに揺られながら、海を眺めていた。

砂浜で高校生たちが、学生服のまま波打ち際で戯れている様子が見て取れた。まるで青春ドラマのワンシーンを見ているようだった。

今日は、星ノ尾の手伝いがない。アルバイトの学生に上手くシフトに入ってもらえたらしい。

小さな溜息を吐く。今日は、一臣と二人きりの夜だ。彼から告白をされた時から、妙な緊張感があった。

一臣がまさか自分に恋を煩わせていたなんて、思いもしなかった。蒔乃が8歳で水瀬家に来た頃、一臣は7歳。まるで姉弟のように育ち、一臣のことは弟のように思っていた。

「…弟、か。」

だが、それを言うなら朔司だって蒔乃のことを娘にしか思えないだろう。一臣の恋を見ていると、まるで自分のことを見ているようで辛かった。

「ん…?」

バスの前を走る自転車見える。それに跨がる後ろ姿を見て、蒔乃は一瞬息を止めた。その人物は、今、思いを馳せていた一臣本人だったからだ。

バスをやがて並走、そして一臣が漕ぐ自転車を抜き去った。その瞬間、風で前髪が煽られた一臣の顔がしっかりと見えた。

「蒔乃!」

一臣と車窓越しに目が合うと、彼は嬉しそうに片手を上げて大きく振った。その表情は蒔乃が知る一臣そのものだった。

何故か、涙が零れそうになった。

思えば一臣は、この恋にいつだって前向きだった。私のことを好きと言い、またあきらめない旨までも宣言した。それに比べて、私は自分の中で想いを昇華しようとしていた。…そうだ。私だって、この恋をあきらめたくない!

停留所に着くアナウンスがバス車内に流れる。家の最寄りとはいくつか手前だが、蒔乃は迷わずに停車ボタンを押す。そしてバスから降りると、自転車でバスを追ってくる一臣に向かって大きく手を振った。

「おみくーん!!」

蒔乃の存在に気が付いた一臣は、立ちこぎになって速度を上げて彼女の元へと駆けつけた。その肩は大きく上下して、呼吸を乱していた。

「蒔乃…、どうした?まだ家の最寄じゃないだろ。」

「おみくんの、姿が見えたから。」

ふは、と一臣は笑う。

「それで、バス降りちゃったのか。」

「うん。久しぶりに一緒に帰ろう。」


閑静な住宅街を二人分の影が長く伸びていく。カラカラカラ、と一臣の自転車の音が空回るように響いていた。たまたま通りかかった家の前で、カレーの香りが鼻腔をくすぐった。元気の良い子どもたちの声も合わさって、きっと子どもの好物なのだろうな、などと想像力が働く。

「そういえばさ、初めて作った料理ってカレーだったよな。」

一臣も思うところがあったのだろう、カレーの話題を蒔乃に振ってきた。

「そうそう。食事係が回ってくると、二人ともカレーしか作れなかったから三日のうち二日っていう高確率で、カレーだったよね。」

「親父はよく文句を言わなかったなあ。」

一臣が苦笑しながら言う、親父、という言葉。そういえば、いつ頃から彼は朔司のことを親父と呼ぶようになったのだろう。幼い頃はたしか、お父さん呼びだったはず。

いつの間にか、男の子は青年に成長したと言うことか。

「…ね、おみくん。おみくんはさ、私が朔司さんのことが好きっていつ、気付いたの?」

「えー、いつだろ。うーん…。高校生ぐらいかな。」

今思えば、無遠慮だった問いも一臣はさらっと答えてくれた。

「そうかあ…。気持ち悪くなかった?その、自分のお父さんに惚れてる女なんて。」

「気持ち悪いわけ、ないだろ。」

蒔乃の自虐が含まれた問いには、一臣は厳しい顔をした。

「嬉しかったよ。自分の父親に惚れてくれるなんて。親父が誇らしかった。」

「…。」

「…ごめん。ちょっと、嘘。誇らしいけど、羨ましかった。」

一臣が立ち止まると、キイ、と自転車の車輪も軋んだ音を立てた。そして、蒔乃の瞳を覗き込む。

「俺は、蒔乃は好きだから。親父のことは…、少し憎い。」

「…おみくん、」

ごめんね、と言いかけて一臣は、蒔乃の唇に人さし指の腹を当てて止めた。

「謝るなよ。俺は、蒔乃のこと諦めてないんだから。」

蒔乃は一臣の人さし指をきゅっと握る。

「わ、私だって、諦めないから。」

意を決して、蒔乃は思いを言葉にする。言葉にして、発してしまえばもう後戻りは出来ない。

「朔司さんが好きな気持ち、無視は出来ない。無かったことには、出来ない。だから…、」

蒔乃の言葉を皆まで言わさずに、一臣は遮る。

「わかった。じゃあ、勝負だな。どっちが先に、両思いになるか。」

「…いいよ。受けて立つ!」

蒔乃は拳を作り、気合いを入れる。それは幼い頃に一臣にゲームを挑む時と変わらない仕草だった。蒔乃が気付いていない、無邪気な思い出が一臣は嬉しかった。

「よし。じゃあ、今からな。」

「うん!私、負けないから!」

一臣が告白する前の笑顔が戻った蒔乃の腹が、可愛らしい悲鳴を上げる。

「!」

途端に、頬を紅く染める蒔乃を見て、一臣は声を上げて笑った。

「戦をする前に腹ごしらえだな。今日の夕食は…、」

んー、と考える素振りを見せて、一臣は人さし指を立てる。蒔乃も、待って当てる、と言い、そして。

「「カレー。」」

同じ答えに、揃った声。合わさった笑い声を聞いていたのは、カクテルの夜空に浮かぶ一番星だった。

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