第六節 第四十五話 弱点

 目を覚ますと森の中にいた。

 正確にはここは森の中なのだろうと推測した。

 森の中でもユミがまだ見たことの無い景色が広がっていたからだ。

 ユミに覚えられない森の景色などない。

 しかし覚えていない景色は記憶にない。

 ユミが覚えて回るには森は広すぎたのだ。


「お目覚めですか?」

 景色とは対照的に聞き覚えのある声が聞こえてくる。

 それに応じる様にユミはゆっくりと上体を起こした。

 

「クイ?」

 寝ぼけまなこをこすり、声の主の姿を確認する。

 長身なクイの頭上からは木漏れ日が差し込み、眼鏡を白く光らせている。

 

 ユミの舌先にはまだ甘みが残っている。この甘みにも覚えがあった。

 少しずつ意識が鮮明になっていく様も、6年前の孵卵で眼を覚ました時とよく似た感覚だと言える。

 眠ったまま一晩明かしてしまったと言うことなのだろうか。立ち上がろうとしたが、まだ足に力が入らないようだ。

 

「……ういう状況?」

 舌の回りは怪しいが、何とか言葉をひねり出した。

 しかし、状況は考えれば分かる。

 

 この場所に来るまで、クイの自宅でヤミと会話をしていたはずだ。

 会話自体は実入りのあるものだった。

 ラシノでアイから虐待を受け続けるキリ。そんなキリを救い出すにはケンの協力が必要だと考えていたのだが、ヤミとの会話の中でケンが話を聞いてくれるだろうと希望を見出した。

 いざナガレへ出発という段にヤミから茶を渡されていたが、それは父に会えると興奮気味のソラを落ち着けるためのものだと思っていた。しかしユミも同じものを飲まされていたようだ。そして茶の効果で眠りについたユミを、クイがここまで運んで来たということだろう。

 

 なぜこんなことを、と問うべきだっただろうか。

 確かにクイと出会って間もない頃は、あまり良い関係だったとは言えないかもしれない。

 身勝手な行動の多いユミと、それを諫めながら余計なことを言ってしまうクイ。

 それでもクイはユミの特異性を知る数少ない理解者でもあったはずだ。

 

「ヤミさんの言葉なら大人しく従ってくれると思ったんですがね」

「ヤミさんの……、言葉?」

 ヤミから茶を受け取る前、ナガレにはクイを同伴すればどうかと提案された。女子おなごだけでは危険なその場所において、彼は頼りになるはずだと。

 しかし、それは本音では無かったのだ。

「ヤミさん、クイのこともナガレに連れて行ってくれない? って言ってた……」

 ユミらを気遣うような発言は建前だったのだろう。

 クイの目的の為に、ナガレへの道案内をしろと言うのが本音だったのだ。


「誤解の無きように言っておきますが、ユミさんとサイさんの安全を願う気持ちに嘘はありませんよ。私にもヤミさんにも」

「ヤミさんのことは信じる。というか信じたい。でもクイは……」

 やはりクイに対してはどこか胸につかえるものを感じていた。

 お互いに利用し合う仲だと割り切っていたところはある。しかし今は、一方的に利用されようとしているのではないかと感じてしまう。

 

「それでいいですよ。どうかヤミさんのことは嫌いにならないで上げてください」

「ヤミさんはクイの目的を知ってるの?」

「ええ目的については。自由な世界を作りたいと言うね。ただし、方法までは伝えていません」

「分かった。ヤミさんのことは信じる」

 誰かに疑念を持つことは危機回避に役立つ一方で、苦しいことであるとも感じていた。

 世に蔓延はびこる事象を疑い出したらきりは無いが、ヤミの柔らかな笑顔まで嘘であるとは考えたくなかった。


「で、ナガレに連れて行って欲しいの?」

「はい、話が早くて助かります」

 クイは飛びっきりの笑顔を見せた。ヤミの笑顔とは対照的だと言えるだろう。

「ダメに決まってるでしょ! ヤミさんに方法を伝えてないってことは後ろめたいことがあるからでしょ!?」

 先日のクイの発言を引用すれば、自由な世界を作るための方法にも見当がつく。

 すなわち、マイハに居る百舌鳥をナガレの烏らに売ることである。

 そして現地で子を出産させれば、ナガレへの帰巣本能を持つ鳩を生み出す可能性が生じるのだ。

 鳩の縛めの機能しない領域であるナガレを、クイの夢想する世界の拠点にするつもりなのだ、とユミは解釈していた。

 

 その旨を示唆するクイの発言については忘れて上げるとは言ったが、それはユミから話を蒸し返すことは無いと言う意味だ。

 クイ自ら行動に移そうと言うのなら、ユミが抑止力になるまでだ。


「その通りですね。後ろめたいからこそこのような手段を取ることになったのです」

 クイは辺りを見渡した。

「ここには誰も来ることは出来ません。遠慮は要りません。大声で私を罵っても構いませんよ」

 

「クイのばあああああか!!!」

 我ながら稚拙な言葉が飛び出したものだと感じる。しかし声に出さずにはいられなかった。クイに対して蓄積していた鬱憤が溢れ出していく。

 

「ハゲタカ! ハゲワシ! アオサギ! シラサギ! カルガモ! アイガモ!」

「……サギかカモかのどっちかにしてください」

 クイは頭頂部に手をやり、気にする素振りを見せながら呟いた。


「さてどうします? 置かれている状況は分かっているのでしょう?」

「……私の力じゃウラヤに帰れないってことだね」

 ユミは自身のもりすについて明確な弱点を自覚していた。

「ええ、無限の可能性を持つ森巣しんそう記憶ですが、道を覚えないことにはその真価も発揮できないのですね。従って今のあなたは、6年前に森で目覚めた時と変わらない状況にあると言えるでしょう」

 ユミを見透かすような物言いに腹が立ってくるが、それ以上に気になることがあった。

「やっぱりあの覚書、クイだったんだ……」

「ええそうです。ユミさん達はもりすと呼んでいたその能力ですが、本来は森巣しんそう記憶と読んでもらいたかったのです」

「クイが名づけたってこと?」

「はい。表面上ではあっけらかんとしていても、頭の深層しんそう領域には蓄積され続ける記憶。見たことを正確に覚え、ことの真相しんそうを追究しようとする意欲。森をまるで巣の如く振舞うユミさんとキリさんという比翼。そのような意味を込めてみました」

 クイはしたり顔をして見せた。

「面白いと思って言ってる?」

「おや、お気に召しませんでしたか?」

「……もりすって言った方が可愛いよ。ヤミさんも知ってるんだよね? その森巣しんそう記憶って言葉」

「ええ、彼女はかっこいい能力の名前だと褒めてくれましたよ」

 鴦の賞賛を思い出し口元を綻ばせたクイだったが、対するユミもにやっと笑う。

「それは良かったね! さっきはヤミさん、『能力』なんて13歳ぐらいの子が使いそうな言葉だって言ってたよ。きっと子供心を忘れないクイのことを褒めてくれたんだね!」

「なっ……」

 明らかに動揺した様子のクイを見て、少しだけ胸のすく思いがした。


「一体いつあの覚書を私に渡したの? やっぱりあんみつおごってもらってたあの時?」

「そうです。もう隠していても仕方ないですね。ちょうど奇術師の話が出たところだったので着想を得たのです。あなたは1つの物ごとに集中する力には優れているようですが、一方で視野が狭くなる傾向にあります。あなたの眼を盗んで懐に紙を忍び込ませるのは、さほど難しいことではありませんでした」

「……気持ち悪いこと言わないでよね。私に触っていいのはキリだけなんだから」

 ユミは顔に嫌悪感を浮かべ、胸の前で腕を交差させて見せた。


「なんでそんなまだるっこしいことしたの? 伝えたいことがあるなら真っ直ぐに言えばいいじゃない!」

「あの覚書の目的はユミさんに危機感を持たせるためのものでした。得体の知れない危険な存在を示唆することで、ユミさんの向こう見ずな行動の抑止力にしたかったのです。ユミさんをあのまま野放しにしていたら、好き勝手に森をほっつき回っていたかもしれませんからね」

「うるさいなぁ! 否定もできないけどぉ……」

 売り言葉に買い言葉と言えば良いのだろうか。両者の間に根強く残るわだかまりが、言う必要のないことまで言わせてしまっている。

 

「いいからウラヤへ帰してよ!」

「お? 私をナガレに連れて行く決心がつきましたか?」

「なんでそうなるの!?」

「逆に問いますが、私を納得させないでどうして帰れると思ったんですか?」

 クイは呆れた様子で両てのひらを体側で広げて見せる。


「困るのはクイの方だよ! クイ1人でウラヤに帰ったらどうなると思う? サイに殺されるよ?」

「その通りですね。烙印を押されるより恐ろしいことが待っているでしょう」

「分かってるんだったらさっさと帰しなさい!」

 帰る意志を示そうと、ここでようやく立ち上がる。足元はふらついていたが、内股気味にしてぐっと堪える。

「困りましたね……。これでは膠着状態です」

「いいもん! クイがその気なら1人でも帰ってやるんだから!」

 ユミはクイに背を向け、当てもなく歩き始めた。

「待ちなさいって……」

 クイもユミの後を追う。


「どれだけ時間がかかると思ってるんです? 闇雲に歩いたところで目的地に辿り着けないことは分かっているでしょう?」

「動かないよりましだよ!」

「それはどうでしょうか? 体力を失うだけですよ。道標となる私まで動けなくなってしまえば共倒れです」

「ふんっ!」

 背後から聞こえてくる声を無視し、ひたすら前に進む。


「……いいでしょう。歩いたままで良いので聞いていてください」

 ユミを見失わない様、クイの足で5歩程度の間隔を保ちながら背に向かって声を投げる。

 クイに対する棘のある言動に反して、ユミも歩調を速める訳では無い。クイと離れてはならないことは分かっているのだろう。


「ヤミさんと話された件について聞かせてもらいましたよ。キリさんには既に会われたんですね。ナガレを経由する必要も無かったとは……。それにソラさんはアイさんの娘さんだったんですね。そしてお父様はケンさんですか、ユミさんソラさん共に。お2人は何となく似ているとは思っていましたが、本当に姉妹だったんですねぇ。性格は全然違いますけど」

 ユミが黙りこくっているのを良いことに、クイの口から言葉がすらすらと流れ出していた。

「うるさいなぁ……」

 さすがにユミも無視できなかった。

 ユミとソラとの秘密が把握されてしまっている。ばらしてしまったのはヤミなのだろうが、悪気はなかったものと思いたい。

「それで何? 私達の弱みでも握ったつもり?」

 返答はしてやるが、振り向きもしないで歩き続ける。


「弱みだなんてそんな……。弱みなのだとしたらむしろ助けてあげたいと思っています。この思いまで信じて頂かなくても結構ですが」

「何でもいいよもう。どうしたいの? 言っとくけど、百舌鳥の方達に何かしようと言うのなら聞き入れないからね」

「いいでしょう。そう言うことであればより良いご提案が出来そうです」

「……本当に?」

 ユミは立ち止まり、クイへと振り返った。

「ええ、話を聞いて頂けるようで感謝いたします」

 クイは飛びっきりの笑顔を見せた。


「ユミさんはケンさんをラシノに連れて行き、アイさんと引き合わせたいのですよね。そうすればキリさんが解放されると考えてらっしゃる」

「そうだよ。何か反論はある?」

「いえ、なるほどなと思いましたよ。アイさんのことを深く知るわけではありませんが、あの狂気はケンさんへの執着に由来するものだったんですね」

「多分ね。正直、クイに納得してもらえるなら心強い」

 目的はどうであれ、鴛鴦文を集約する係に就任したクイなのだ。誰よりも人の気持ちを考えて来たに違いない。

 現にユミの欲しい言葉と嫌がる言葉と使い分けていると感じる。クイの掌の上で転がされているような気もして不快感も押し寄せるのだが。


「ありがとうございます。で、どうします? ケンさんをアイさんに引き合わせた後は?」

「キリを連れて行く。キリはアイとの決着をつけたがってた。アイが大人しくなればキリも納得してくれるはず」

「キリさんをどこへ連れて行くつもりですか?」

「それは……」

 言われてみれば、困る問いかけであることに気づく。

 恐らくは既に昨日の出来事。キリとは顔合わせするに留めるはずだった。

 しかしいざ会ってみれば、やはり我慢することなど出来なかった。ラシノから連れ出し、甘い時間を継続したいと願ってしまった。

 そして考えていたのはそこまでだった。

「ウラヤに……」

「妥当な答えですね。しかしウラヤに連れてきてどうします? 一緒に暮らすんですか? 鳩の眼に触れない様に」

「鳩の縛めを犯しても、門の外ではばれないって教えてくれたのはクイだよ?」

「確かにそうですね。キリさんを連れてきてもばれないかもしれません」

 クイはかけていたメガネを指でくいと上に押し上げる。

「とは言え、いざと言う時にはラシノに帰して上げなくてはならないでしょう。ユミさんの行動に疑いをかけられた時に、証拠隠滅を図る余地を残しておくべきです」

「すごいこと言うね……。でも確かに一理ある」

 クイの指摘は癇に障るが、キリを前にして衝動的で浅はかな思考に陥っていたのだと思い知らされる。

「キリさんが帰るべきラシノには誰が待っていますか?」

「アイとケン……」

「この問いと向き合う前に、ケンさんをラシノへ届けた後にどうするか考えるべきですね」

 ケンをどうするかに対する答えは二択。

 ラシノに置いていくのか、ナガレへ再び帰すのか。どちらにしても問題が伴う。

「まさか考えて無かったとは言わないですよね?」

「うう……」

 鳩の縛めを犯そうと言うのに、あまりにも計画性が無さ過ぎた。

 眼の前のキリを救い出すと言う課題に囚われ、その後のことまで頭が回っていなかった。考えることを避けていたと言うべきかもしれない。

「……キリの帰る場所にアイもケンも居て欲しくない」

 ソラへの気遣いを読み解く限り、ケンの理性について一定の評価を与えても良いはずだ。

 一方のアイは、ケンが傍に居るからと言って平穏で居られるわけでは無いだろう。キリへの暴力は収まるかもしれないが、むしろケンへの執着として狂気が増大するのではないだろうか。


「私も同感です。私の提案としては、ケンさんを使ってアイさんをナガレへと連れて行けないかと言うことです」

「それは……、確かに答えの1つかもしれない……」

 不覚にもユミは唸らされてしまう。

「全く問題の無いことは無いでしょう。アイさんがラシノからいなくなったらどう処理されるか、とか……」

「それは大した問題じゃないと思う。行った先がナガレなら鳩の眼にもつかないよ。狂ったアイが森に魅入られて、のこのこと足を踏み入れたぐらいに思われるんじゃないかな」

「それもそうですね」

 いつの間にか、2人の間には穏やかな空気が流れていた。

 それに気づいたユミは虚無感に襲われる。眼を覚ました時に抱いていたクイへの警戒心はこの程度で解消されてしまう物なのかと呆然とする。曲がりなりにもクイと過ごしていた時間が、彼に対する信頼を築いていたのだと思うしかなかった。

 未だ払拭されていないケンへの嫌悪感とは対照的だと言える。これを前向きに捉えるなら、きっかけさえあればケンのことも許せるのかもしれない。


「で、クイ…………さんは何をしてくれるの?」

「交渉役ですね。まず私が前に出て、子供であるハリの存在を匂わさないことにはナガレにやって来たことを納得させられません。またアイさんを連れて来る理由についての説明も複雑になります。その辺りは私に任せてください。それにユミさんも、ケンさんといきなり話をするのは気まずいでしょう?」

「……分かった」

 一応承諾はして見せたが、ユミにはまだ腑に落ちない所がある。


「このことはクイさんにとって何の得があるの?」

「私の目的に近づくことができます。自由な世界を作るというね。そのために先日は、百舌鳥さん達をナガレに連れて行けばよいとの旨の発言をしましたが、あれは軽率でした。心から反省しています。代わりにアイさんを使うことで、ナガレの鳩を生み出せるのではないかと考えているのです」

「なんか複雑……。あれでもソラの母親なんだよね」

「それは仕方ないですね。でも多分アイさんにとっても悪い話ではないと思います」

「確かに……」

 アイはケンの傍に居ることが何よりの望みのはずだ。ナガレは劣悪な環境でこそあれど、狂気に満ちたアイにとって些末な問題なのではないだろうか。

 一方でキリの父のことを思えば釈然としないところはある。しかし背に腹は代えられない。


「ねえ、どうしてそこまで自由な世界に拘るの? 曲がりなりにもハリと暮らすことが出来ているじゃない」

「言われてみればそうですね。何をここまで躍起になっているのやら……」

 クイは腕を組み、上空に眼をやる。しかし視界は枝葉に遮られ、彼方までは見通すことが出来ない。

「もはや私の自尊心によるものなんでしょうね。きっと誰かの幸せにつながるのだから、何が何でも成し遂げてやると言う。先のことまで考えられていないのは私も同じですね」

「……おかげで私がキリと会う算段も出来た訳だけど」

「その言葉に救われます。誰かの為になっているんだと言う事実に支えられているのですよ」

 クイから溜め息が漏れる。そこからは自虐的な色が伺えた。

「トキ教官は言ってたよ。他人のための行動というのは、殊勝な心がけのようで、自身の責任から逃れようと言う意識が働いているんだって」

「ああ、彼が言いそうなことですね。全く耳が痛い……」

 クイはこれ見よがしに耳を塞いだ。

 

「思うんだけど……。アイをナガレに連れて行こうなんて提案だったら、わざわざ私をこんなところまで連れ出さなくて良かったんじゃないの? 何なの後ろめたいことって?」

「この際ですからお伝えしておきましょう」

 クイは耳を覆っていた手をおろす。


「トキさんは私の協力者です。ユミさんの森巣しんそう記憶、いえ、もりすについてお伝えした上で雛の担当教官に就いてもらったんですよ」

「え……?」

「言いましたよね、トキさんの鴦のこと」

「あの……、サイのお姉さんのスナさんのこと? 亡くなったって……」

「そうです。ユミさんの力があれば救えたかもしれないのです」

 ユミにも思い当たる節があった。もりすについて明かし、人を救える可能性がある旨を述べた際にトキとサイが顔を見合わせていた。お互いにスナを偲んでいたということなのだろう。


「言ってしまえば、ユミさんは常に私の監視下にあったのですよ。人は束縛されすぎると、それに抗おうとする意欲が湧いてくるものだと思っています。七班の縛めというのも私の発案です。縛りつつも、ある程度の希望を与えることで、思惑通りユミさんは大人しく過ごしてくれていました」

「何それ?」

「私の計画はミズさんがナガレへの帰巣本能に目覚めると破綻します。またミズさんが鳩になれる可能性が失われるまでは計画を実行できません。その間、ユミさんには余計なことをしてもらいたくなかったのですよ」

「……ミズが落第するのを待ってたってこと?」

 ユミの眼から軽蔑の色が浮かぶ。

「そう受け取って頂いて構いません。後ろめたいことは何か、に対する答えとも言えるでしょう」

「はぁあああああああ……」

 自然と深い、ため息が漏れる。


「それともう1つ」

「まだあるの?」

「今後百舌鳥さんをナガレに連れて行くつもりはありません。しかし、依然としてウラヤとナガレを繋ぐことが出来るのはユミさんだけです。これからも協力して頂きたいのですよ」

 ユミは絶句する。

 クイの計画がここまで根深いものだとは思いもしなかった。トキが協力者だったと言う事実は衝撃的ではあったが、クイの根回しのおかげで良き教官に出会えたのだと言えなくもない。

 七班として過ごした日々の彩りを思えば、ユミの心境は複雑だった。


「先のことまで返事できない」

「それはそうでしょうね」

「でも、とにかく今はナガレに行かないと」

「ナガレへ行くにしてもまずはウラヤに帰らないといけませんね。どうします? ユミさん」

 ユミは頭を巡らせ妥協点を探す。

「ウラヤに帰ったら、ソラにもう一杯お茶を飲ませてあげて。それがクイさんを連れて行く条件」


 その条件は、ソラが烏と出くわすことが無い様にするためのものである。

 無意識の内にケンの願いに報いろうとしていた。

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