第四節 第四十三話 報い
「ケン!」
その大きな背中に向けて怒声が飛んでくる。
ケンと呼ばれた男はくるりと振り返り、声の主と対峙する。
「カラ……、か」
月明かりの下、赤く光らせたケンの瞳には、怒りに燃えるカラの姿が映っていた。
その憎悪の理由にもケンは既に気づいていた。
――――
ケンが不義密通の末にソラを授かったのは11年ほど前のことである。
そして初めてラシノへ足を運んだのがその1年前となる。
この村への訪問は、数ある鳩の務めの内の1つという認識でしかなかった。
実際一目見た際のラシノの印象は、辺鄙で過疎な村だというものだった。
唯一評価できる点があるとすれば、蓬香る共同浴場の存在だ。
ラシノまでの道中で蓄積した疲労も、湯舟に浸かることで癒されていくのを感じたのだった。
とはいうものの、それ以外については特に面白味を見出すことも出来ず、与えられた任務を済ませて早々にトミサへ帰りたいと思っていた。
しかし出会ってしまった。魔性の女とでも言うべき存在に。
それはラシノに滞在中の2日目の夜のことだった。
その日の仕事を終えたケンは、昨晩と同様に浴場で身を清めていた。すると隣の女湯から、耳をくすぐるような鼻歌が聞こえてくる。
それが妙にケンの琴線に触れてしまい、音を頼りに暫く女の様子を伺っていた。
鼻歌はやがて衣擦れの音に変わる。ケンも応じるように着物へ腕を通し、男湯側の脱衣所の戸を開き小屋から出た。
程なくして女も浴室から外へと現れた。ケンは女との邂逅を偶然のように振舞おうとしたが、その姿を見て息を飲む。
湯上りのアイは、頬を火照らせ、髪を湿らせていた。それはまるでこの世のものとは思えないほどの艶っぽさを帯びていた。
対するアイも、ケンに対して同様の感情を抱いたようだった。
お互いに名前だけは交わしたはずだった。それ以上の言葉は発するまでも無かった。
気づいた頃には、女と2人で朝を迎えていたのだった。
この時のケンはまだ、アイの内に眠る狂気など知る由も無かった。
実のところ、これはケンにとって久方ぶりの衝動であった。
これ以前の衝動体験ともなれば、さらに時間を1年前まで遡ることになる。
それはマイハでの出来事だった。
鳩の務めでウラヤに赴いた際、当然のように飛び込んだその場所で、1人の百舌鳥を見かけたのだった。
ケンがマイハへ通うのは初めてではなかったが、その百舌鳥とは初対面だった。明らかに他の者とは異なる雰囲気にケンは自ずと心惹かれてしまったのだ。
今にも折れてしまいそうな手足で、丁寧に洗濯物を干す様は儚くも美しさを感じた。また彼女の背後からは他の百舌鳥達が囃し立てていたが、彼女は真一文字に口を結び、必死で耐え忍んでいたようだった。その姿は健気であったが、それ以上に心の強い女性であるのだとケンは感銘を受けることになる。
ケンは居ても立っても居られなくなった。
有り金をその場に投げると、百舌鳥の手を引きヤマの医院まで引き連れて行く。
ケンはその百舌鳥を手に入れたいというより、美しいままでいて欲しいという衝動に駆られていた。
故にマイハから連れ出した後は特に手を出すつもりもなかったのだ。
しかしその後の百舌鳥の態度は、ケンに手加減させることを許さなかった。
そのことに負い目を感じ、結局ヤマには一連の出来事について話すことが出来ないでいた。
ケンが鳩になりたいと思ったのは、赴いた先の村で出会った者と鴛鴦の契りを結べると知ったことがきっかけだった。
鴛鴦の契り自体への関心は薄かったが、幼い頃からトミサの塀の内でも女に言い寄られることが多かった。故に鳩になれば、この世界のもっと多くの女と巡り合うことが出来るのではないか、そう考えたのだった。
そんな好奇心に駆られるまま孵卵を受験し、すんなりと合格を果たした。
鳩になって以来は、以前より暴力衝動と性衝動に駆られやすくなったと感じていた。しかし思い描いていた通り、女に不自由のない生活が現実となり、それらの衝動に頭を悩ませることもほぼ無かった。
また件の百舌鳥と出会って以来、かつてのような衝動が湧きたつこともほぼなくなっていた。百舌鳥を思えば、他の女に対して魅力など毛ほども感じられなかったのだ。
そして自身への縛めとして、2度とマイハに足を踏み入れぬよう、ウラヤへの出張は避ける様になっていた。
ところがアイは、恐ろしく魅力的だった。百舌鳥とは対照的に我が物にしたいという欲望に駆られてしまった。
既にアイが鴛鴦文で相手の決まった女であると知った頃には遅かった。
ラシノに赴く機会は多くなかったが、フデからアイの腹が膨らみ始めているとの報告を受けた時には青ざめた。
しかし対するアイの反応はあっけらかんとしたものだった。烙印を受けることになると言うのであれば、その前に森へ逃げ込み、親子ともども3人で暮らせば良いなどと言い出した。
もはやその頃のケンにとっての最優先事項は、我が子の安全を守ることになっていた。
何も罪を持たぬ我が子にそのような暮らしを強いる訳にはいかない。そもそも森の中で、子供が生き続けられるとも考え難い。
ケンは藁にも縋る思いで、ヤマに助けを求めたのであった。
ヤマによるソラの奪取計画は概ねうまくいったと言える。
未遂に終わったものの、アイがソラの眼を抉ろうとしたことは到底許せるものではなかったが。
ソラの身柄がラシノから離れたことで、アイとケンによる不義密通について罪に問われることは無かった。
しかし、アイには事後支援が必要だった。ケンがアイに会わない日が続けば、手に負えないほどの狂気を見せると聞いていたからだ。
それはソラに関する秘密の露呈につながりかねない。また鳩の縛めを犯してまで救ってくれたヤマに対する恩を、仇で返すことにもなってしまう。
故にケンは、定期的にラシノへ赴くという月日を重ねることとなった。当然、アイとの関係は拒否したが。
しかしながら、それも秘密を保持するための延命に過ぎなかった。やがてアイの本来の鴛も移住してくるし、鴛鴦の間で子も産まれる。
ケンの眼から見ても、カラは実に思慮深く、誠実な男と言う印象だった。
カラにとっては、我が子との平穏な暮らしを維持することが最も大事なのだとケンに感じさせた。故にカラが、ケンとアイとの関係についてどう思っているのか、判断することも出来なかった。
そのような生活も10年ほど続いていた。
長く続いた方だと言うべきだろう。
そして現在、カラと相対し歪な日々も終わりを迎える時が来たと予感していた。
――――
カラの憎しみを受け入れる覚悟はとうに出来ていた。
一方で、ソラの秘密を守り抜くという決意も揺るぎないものであった。
後者の方がケンにとって重要であることは言うまでもない。
どこまでカラに譲歩してやれるか、それが現状ケンに突きつけられた課題である。
「カラお前……。どこまで知っている?」
夜の静けさに、ケンの声が鈍く響き渡る。
「どこまで? お前、やっぱり何か隠してるんだな?」
カラの顔は険しいが、口調は飽くまでも冷静だ。
「ああそうだ。だが隠したいから隠し事なんだ。お前はこれまで、見て見ぬ振りをしてくれていたんじゃないのか?」
挑発とも取れるケンの言動だが、カラは苦虫をかみつぶしたような顔を見せた。
「……客観的な証拠はないからな。でもアイは僕を前にしても、眼を閉じたままケン、ケンって名前を呼ぶんだ。きっと僕はお前の代わりでしかないんだろうな」
カラは吐き捨てる。
「初めの内は僕に問題があるんだと思ってた。いくら鴛鴦文で心を通わせた者同士とは言え、対面で好きになってもらえないなら男として不甲斐ないなって」
諦めの色も含んだカラの呟きだが、むしろケンは劣等感を覚えてしまう。
かつて出会って来た女の多くが一夜限りの関係で結末を迎えた。二度目があったとしても、お互いに一度目のことなど忘れてしまう様な、そんな浅い関係でしか無かった。
「カラ、お前はそれでもアイのことを愛しているのか?」
「当たり前だ! お前なんかには分からないだろうけどな!」
カラの言葉が胸に刺さる。まるで全てを見透かされているような感覚に陥った。
たとえ相手に振り向いてもらえなくても、少なくともカラから一方的な愛情を向けることが出来ている。
ケンからアイに対してもはや愛情など向いていない。そしてアイから向けられているのは、執着とでも言うべき情念だった。
「オレにだって愛しているものはある」
つい、そのようなことを口走ってしまう。カラに対して積もりゆく劣等感がケンを突き動かしていた。
元来の短気な性格が災いし、早くもソラの存在を匂わせてしまったと言える。
「愛しているもの? アイでは……、ないんだろうな。お前を見てれば分かる」
カラは鼻で笑ってくる。
百舌鳥に封じ込められていたはずの、ケンの暴力的な衝動が疼き始めるの感じていた。
「まあいい。お前がアイを愛していようがいまいが、アイがお前を愛していようがいまいが、僕がアイを愛しているという事実は変わらない」
カラは腕を組み得意げな顔をする。
「それに何より、僕にはキリが居る。僕はキリを愛している。キリも父さんのことが好きだって言ってくれたよ」
ケンは何もかもがカラに劣っていた。
ケンはソラを愛している。
しかしソラは、ケンの存在すら知らないのだ。
それは自ら願ったことである。にも関わらず、カラを前にして深く後悔の念が押し寄せる。
「アイはガキのことを愛しているのか?」
今更カラに張り合う意味のないことなど分かっていた。しかし問いかけずにはいられなかった。
そして思惑通り、カラは血相を変える。
「そこだよ! 僕が怒っているのは。キリはアイに振り向いてもらおうと必死だ。なのに! アイはキリのことがまるで眼に入ってないかの様に振舞う」
ケンに向かってびしっと指を差してくる。
「お前が何かやったんじゃないのか!?」
未だにアイがソラの名前を発するのをケンは耳にしていた。
その呼び声には、愛情とは根本的に質の異なる感情が含まれていた。とは言え、傍に居る息子にさえ向けない執着を、2度と戻ってくる当てのない娘には抱き続けているのだ。
ケンがカラより優位に立てるとすればその事実だけだった。
しかし優越感は生まれなかった。あるのは眼の前の男を傷つけたという罪悪感だ。
「なあ、ケン。ソラって誰だ?」
やはり見透かしてくるような発言に、ケンは背筋を凍らせる。カラがソラの名前を知っているとすれば、それはアイ経由であるとしか考えられない。
案の定と言うべきなのだろうが、アイはケン以外の者の前でもソラの名を口走っていたことを意味する。
そしてカラはソラの名を、キリと対照的に持ち出してきたのだ。そこから察するに、カラはソラが何者なのかに気づいている。
「知るか」
その強い口調は、むしろ知っていると宣言しているようなものであった。また、娘のことを知らないと言い張ることに心苦しさも感じていた。
そんなケンの心情など、カラにはお見通しだった。
「アイは言っていたよ。ソラは必ず帰ってくるんだって。そしたらケンと3人で一緒に暮らすんだって」
「そんなことまで言ってたのか!?」
畳みかけられるまま、ケンは反応してしまう。
「ああそうだよ! ソラさんについて僕はもうそれでもいいよ。でも……、どうしてその輪の中にキリを入れてやれないんだ?」
カラはケンに一歩詰め寄った。
「お前が居るからか? ケン。なんでお前はいつまでもラシノにやって来るんだ?」
「それは……」
ソラを逃がした日、ケンがラシノに通ってやるとアイに約束したからだ。その約束自体に拘りはない。
しかしケンが姿を現さなければ、程なくしてアイが狂気を発揮するだろうことは眼に見えていた。
逆説的にカラは誤った認識をしている。
ケンがラシノに来なくなったところでアイがキリを愛することは無いのだろう。むしろケンに会えない苛立ちを、息子に手を上げるという形で表現する懸念すらある。
従って、ケンの存在によってキリの安全が守られているとさえ言えるのだ。
とは言え、どう答えても言い訳がましく聞こえてしまう。そう感じたケンは暫く言葉を紡げないでいた。
「なんとか言えよ!」
温厚なカラに似合わない強い命令口調が飛び出した。
そしてケンの胸倉を掴む。
その行動は、ケンの禁忌に触れることとなる。
帰巣本能に目覚めてから、特に顕著に発現するようになった暴力衝動。
同僚である鳩であれば、その衝動を恐れてケンに手を出そうなどと考えることは無い。しかし、カラには知る由もないことだった。
「や、めろ……。手加減が出来なくなる……」
一連の出来事について罪の所在はケンにある。その事実を胸に、理性を保とうと歯を食いしばりながら懇願する。
「だったら話してくれ! これまでにお前がやったこと!」
ケンの祈りも虚しく、カラは止まらなかった。
ぼこっ。
鈍い音と共に、カラは後方に吹っ飛ぶ。
「それがお前の答えか……」
ゆっくりと上体を起こすカラの頬は、赤く腫れあがっていた。
カラは頬をさすりながら立ち上がると、再びケンに向かって歩いてくる。
「ち、違う……。オ、オレに近づくな」
右手に残るカラを殴った余韻が、ケンの理性が薄れさせていくようだった。
「やめて!」
突然、その場に少年の声が響き渡る。
カラは声の元へと顔を向け、眼を見開いた。
「キリ……!」
愛する我が子はケンに向かって駆け出して行ったようだ。
「父さんを殴らないで!」
声と共にケンの腰の辺り鈍い衝撃が走る。
瞬間、意識が引き戻されていくのを感じた。
そして俯瞰する。そこには体の小さな少年が、ケンに抱き着くような形で密着していた。
「やめろキリ! そいつはお前の手に負えるような奴じゃない!」
カラの声を振り切るように、キリはケンの胸をぽかぽかと叩き始めた。
その打撃自体に威力は無いが、ケンを害そうと言う確かな意志が、やはり
「カラすまん!」
ケンは叫ぶとキリの首根っこを掴み、小脇に抱えた。そしてそのまま締め上げる。
「ぐっ……」
キリは鈍い音を発すると、やがて力を失い腕をだらんと垂らす。
「お前何やってんだ!」
カラは激しい怒りの形相を浮かべ、一気にケンへと距離を詰める。
「落ち着け! 締め落としただけだ。
「なんのために!?」
「後で話してやる」
ケンはそう言うと、気を失ったキリの体を肩に乗せて歩き出した。
「待て!」
淀みのないケンの所作には呆然としそうとになったが、声を張り上げを自らを奮い立たせる。
「どこへ行くつもりだ? ケン」
「お前の家だ。安全な場所に寝かせる」
ケンは振り向きもせずに答える。
「アイなら居ないぞ?」
「なら都合がいい」
カラは鴦が風呂へと出かけた隙を狙ってこの話し合いに臨んでいた。
ケンが
やがてアイとカラの家へと辿り着く。ケンにとってソラを逃がした時以来の訪問だった。
家の構造は把握していた。寝室へと繋がる障子を開き、畳の上へとキリを寝かせる。
黙ってその様子を見ていたカラだったが、中腰になったケンの傍へ寄り、眼の高さを合わせ口を開いた。
「話してくれると言ったよな?」
「ああ、なるべくお前の問いに答えてやるつもりだ。だがその前にこの手を放せ。……手加減が出来なくなる」
ケンの胸倉を掴んでいたカラの手首へと手を添えながらゆっくりと語る。
カラとしてもほぼ無意識の内に、手をそこにやっていたのだった。
両者の睨み合いは暫く続いていた。
しかし、やがてカラの手は力を失ったように胸倉から離れる。そしてその体はケンの胸元へと倒れ込む。
「カラ?」
「あ、ああ……」
呻くような声を上げる。
「どうした!? しっかりしろ!」
カラの両肩を揺らしながら呼びかける。
「う、う……」
明らかに様子のおかしいカラの体をゆっくりと畳へと横たえた。そして気づく。
カラの背中から、血が溢れ出していることに。
同時にケンは、カラの背後から視線を感じていた。恐る恐る視線の根源へと顔を上げる。
「きゃははっ! やぁっとケンと2人きりだぁ!」
実際は顔を上げるまでもなく、そこにいる者が誰であるか分かっていた。
「アイ……!」
しかし眼の前のアイの笑みは、これまでにも見たことが無い。
彼女の右手には小刀が握られている。その刃先は既に赤く染まっていた。
「お前!」
考えるより先に体が動いた。
アイの右手首の辺りを叩いて小刀を払い落とす。
さらにアイの首を掴み、ぎりぎりと締め上げる。先ほどのキリに対する処置と同様だ。
「あははー、ケンのうでー、あったかーい……」
不気味なうわ言を述べながら、アイの意識は途絶えていく。
完全に体が動かなくなったのを感じると、ケンは乱暴にアイの体をキリの傍へと寝かせた。
次いでその部屋にある押し入れを開き、中から白い
そして荒々しく布を1尺ほどの幅に裂き、カラの体に巻き付けていく。
「け、ケン……」
「しゃべるな!」
カラの体に重ねられていく布は、すぐに最表面まで赤く染み出してくる。
布が尽きれば、次の敷布を裂いて巻き付ける。
その工程を4度ほど繰り返すことで、ようやく出血が収まってきた。
「じっとしてろよ!」
横たえた体に声を投げ、家の外へと飛び出した。
向かった先は村にある巣だ。今ならフデが滞在しているはずである。
――――
「なんでこんなことになってるんだ!?」
これまでの生涯においても、これほどの血は見たことが無い。
「オレのせいだ」
ケンがぼそっと呟く。
「お前がやったのか!? まさかお前アイのことが諦めきれず……」
「それは違う!」
ぞっとする見解に思わず声を張り上げた。
「アイだ。こいつのことが邪魔だと思ったらしい」
「まさかそこまで……」
アイを幼い頃から知るフデである。当時より嫉妬深く、激情しやすい性格であることは認識していたが、刃物まで持ち出すとは思っていなかった。
なによりカラとの鴛鴦の契りが成立した際には心から喜んでいたはずだった。それを見て、アイはもう大丈夫だろうとすら考えていた。
ケンとの出会いがそれほどまでにアイの心をかき乱したのだろうか。
「なあフデ。こいつのことトミサの医術院にいれてやれねえかな」
「……確かにこのままじゃ命が危ない。そうするべきだろう。しかし……」
トミサの医術院に入院させられる条件は、鳩の不埒によって傷を負った場合である。
アイの凶刃によって現在のカラの惨状が生み出されているとなれば、それは一般住民同士での諍いとして取り扱われ、トミサで門前払いとなる。
「オレがやったも同然だ。そういうことなら話も聞いてもらえるだろうよ」
「お前!? それじゃ烏の烙印を……」
「ああ、免れないだろうな」
ケンは飽くまでも達観したような口ぶりだ。
「だが、遅かれ早かれこれはこうなる運命だった。アイと不義密通を交わした時からな」
「そうか……。いいだろう。お前の覚悟を受け止めてやる。お前が一方的に悪い訳じゃないだろうが、アイもお前と出会わなければここまで狂うことは無かっただろうしな」
誰よりも美しく生まれたアイ。
フデにとっても、彼女にどんな輝かしい未来が待っているのだろうと楽しみにしていたところはある。
理不尽だろうと感じながらも、ケンのことを責めてしまうのは仕方のないことだった。
「だがアイはどうする? このまま見過ごすのか?」
フデに残された良心が、そう問いかけていた。
「ラシノに置いていく。オレの居なくなることがアイにとっての罰なんだろう」
ケンはアイを見下ろしながら、下唇を噛む。
「フ、デさん……。僕からもお願い……します……」
アイに向けた視線の先。その隣に横たえた体から、絞り出すような声が聞こえてくる。
「カラ! 無理をするな!」
ケンは眼を皿のようにして制止を促す。
「キリは……、アイから、愛を受けたがっていました……」
しかしカラは止まらない。
「ケ、ン……。キリのことを頼む……」
「あ、ああ。これからガキのことはオレが守ってやる。次にオレと会うことがあればの話だが……」
これからのケンは、烙印を負い、ナガレへ送られることになる。次にキリと会うことなど、考えにくい状況だ。
頼りのないケンの返事であったが、カラは満足したようだった。
最後の力を振り絞るように、カラはその場を這う。そして体を横たえるキリへと近づき、顔を覗きこんだ。
「ご、めんなキリ……。アイと、仲良く……」
言い終えるとその場に顔を突っ伏し、動かなくなってしまった。
「フデ、担架はあるか?」
ケンは冷静になっていた。
「ああ」
「トミサまで運ぶぞ。くれぐれも安静にな」
ケンも我が子のためできることはやったのだと自負していたところがある。
しかしカラを前にして、この男が子を思う気持ちには、到底かなうはずもないと畏怖の念さえ覚えていた。
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