第十二節 第三十八話 賽子

 トミサの巣にあるクイにあてがわれた居室。ユミは大きな机を挟んで彼と対峙していた。

 机の上には封筒が置かれ、その表面おもてめんには黒々とした筆文字で「錐」と書かれている。

 

「いよいよ行くんですね? キリさんへ会いに」

「うん。もう皆からの承諾を得た」

 鳩の縛めによって本来禁じられたウラヤからラシノへ旅路。

 しかし七班の支援を受け、キリに会うための準備は整った。

 

「私は七班ではありません。もはやユミさんを引き止める余地もないでしょう。……かと言って、行ってらっしゃいとも申し上げる訳にもいかないのですが」

「それはいいよ。クイさんにはクイさんの立場があるし。大丈夫。もしばれてもクイさんの名前は出さないから……」

「助かります。……私にも大切なものがありますので」

 秘密がばれたら、などと考えたくもないが、考慮はしておくべきである。

 即ち、成るたけ他者を巻き込まないことだ。


「ラシノへはどちらのかたと行くんです? サイさんかギンさんか」

「サイ」

「そうですか……。一応、理由を聞いてもいいですか?」

「ラシノへ行くためにはナガレを通らなきゃいけないでしょ? サイはいざと言う時のための護衛だよ」

 本来、ナガレを経由する必要はない。ソラがラシノへ帰巣本能を持つことを秘匿するための建前だ。

 実際にはウラヤからラシノへ直行するのだが、クイの問いかけを想定した結果、サイが適任であると判断したのだった。

 

「あのからすの巣窟に女性だけで立ち入ろうと言うのですか? いくらサイさんと言えど需要が無い訳じゃ……、おっと失礼」

 慌てて顔の前で手を振るクイに対して、ユミは冷ややかな眼を向けた。

「私たちが生きて帰ってこない方がいいかもね、クイさん?」

「いえいえ、そんなことないですよ? サイさんも無事であって欲しいと思います。彼女はスナさんの妹ですしね。私にとっても浅からぬ縁があるのです」

「ふふふ、冗談冗談。サイだってもう他の男に手を出される訳にはいかないからね」

 ユミは飛びっきりの笑顔を見せながら言う。クイを前にして、すっかり板についた笑顔だった。


「で、実際のところ単純な腕力で言うと、ギンよりサイの方が上なんだよね。だから護衛にするんだったらサイの方が適任なの」

「……それはそうでしょうね。あの熊のようなトキさんですら、スナさんには勝てたことが無いとおっしゃっていました。サイさんも似たようなものなんでしょう」

 クイが納得したのだと見て取り、ユミは心の中で安堵した。

 しかし本来の目的のためには、ナガレへ赴く際にはギンを同行させることになる。そう考えると気が重い。

 ギンは帰巣本能を得たからと言って、身体能力が向上した訳では無いようだ。アサやケンならともかく、他の烏に出くわしてしまえば、ユミの身も危うくなる。

 

「お母様のことは問題ないのですか?」

「うん、一昨日退院したところ」

「そうでしたか、それはおめでとうございます」

 クイはにこっと笑いかける。しかしすぐに真剣な表情へと切り替えた。

 

「いえ、入院のことではありません。鳩の縛めを犯したことがばれてしまえば、お母様もお咎めなしという訳にはいきません。先日も申し上げた通り、人質としての役割も担っているのですから」

 クイの主張は尤もである。

「お母さんにも話したよ。キリに会いに行くことを」

「……今更、キリさんのことを誰かに話すなと言うのも野暮でしょう。それでどうなりました?」

「私のために生きてって。それがお母さんの幸せなんだって言ってた」

 ユミの幸せが母の幸せ。即ちキリに会うことが母の幸せに直結するのだ。

「だからお母さんのためにも、私はキリに会う」

「なるほど、お母様も覚悟が出来たと言うことなのですね」

 また今回の遠征には該当しないが、ギンとともにナガレに行くことも母のためだと言える。

 ソラもハコにとっては娘も同然だ。ギンが義父となるケンへの挨拶を遂行させることが、ソラの幸せに直結するのだ。

 

「……私も考えなくてはなりませんね、いずれハリが巣立つ時のことを」

「クイさんもハリの幸せがクイさんの幸せだと思う?」

「ええ、もちろん。先日はあのようなことを申し上げましたが、ハリのことは森へ出さないようにしないといけないなと思っています。大人になるまでは」

 あのようなこととは、ハリがナガレの鳩になり得ることについてだろう。それは外の者がナガレに辿り着くことの出来る理由を説明するためのものであり、ユミのもりすを隠すための提案であった。

 ハリが実際にナガレへの帰巣本能が目覚めようものなら、数奇な運命を辿ることは眼に見えている。クイはそれを恐れているのだ。

 

「クイさんはハリが普通の子でいて欲しいんだね」

「はい。それが人並の幸せだと思っています」

「人並……か。ハリの行動を制限しているような気もするけど、私も賛成だな。その考え」

 ユミはかつて、心配する母親を振り切って孵卵に挑んだ。聞くところによるとヤミも同様だったそうだ。

 結果として、ユミはキリと会い、ヤミはクイと出会った。これは人並以上の人生だと言えるのかもしれない。

 その可能性をハリから奪おうと言うのが現在のクイの気構えだ。

 幼い頃のユミならクイを非難したかもしれないが、それはそれでハリの人生を決めつけていると言えそうだ。


「よし……」

 ユミは自らを鼓舞するように呟き、机の上の封筒を手に取る。

「じゃあ行ってくる。サイを孔雀屋で待たせてるの」


 ぱちり、すっ、ぱちり。

 腰のがま口へ封筒を入れる音が室内に響き渡る。


「くれぐれも……、お気をつけて」

「ありがとう」

 クイに向かってぺこりと頭を下げた。

 今まで彼に向けた中でも、最も深く、長い礼だったかもしれない。



 ――――


 

 赤い番傘の下、サイは1人床几台しょうぎだいへと腰かけていた。

 脚は大きく開かれ、腕を組み、眼を瞑り微動だにしない。その様はまるで座禅を思わせる。

 ユミが傍までやって来ると、そのわずかな気配を感じ取り、眼をぱっちりと開けた。

 

「お、来たな、ユミ。行ってきたかクイのとこ?」

「うん。しっかりと決意を示してきた」

 腰のがま口をぽんぽんと叩きながら、サイへと微笑み返してやる。笑顔の裏に強がりの潜んでいることは、ユミ自身にも分かっていた。

 

「はーい。あんみつ特大2つお待ちどう!」

 ユミの来店を見計らったかのように、給仕が両手に盆を載せてやって来た。

 その華奢な腕に対して盆の上のどんぶり鉢は、あまりにも不釣り合いな大きさを誇っている。

 

 どすん。

 サイの座る傍らに、鈍い音が響き渡った。

 どんぶり鉢に鎮座していた白玉がぷるんと震える。


「ごゆっくり」

 給仕は顔に満面の笑みを張りつけたまま、すたすたと店の屋内へと戻っていく。


「……サイ、これ2つも食べるの?」

「何言ってんだ。1つはお前の分だぞ」

「え……」

 孔雀屋の品書きに示されたあんみつの大きさは4段階。

 小さいものから小、中、大、特大。

 ユミは普段なら中、苛立っている時は大を注文するのだが、未だに特大は頼んだことが無かった。

 

「知ってんだぞ。私が食べるのをいつも羨まし気に見てるのを」

「う……」

 図星だった。

 ユミはあんみつを口へ運ぶ度に、至福の時を感じていた。しかしそれも、いつかは終わりを迎える。

 サイは人並み以上に食べるが、人並み以上に食べるのが速い訳では無い。食に対する感謝の現れだろうが、一噛み一噛みをよく味わっている。

 いつも先に食べ終わってしまうユミは、未だ幸福の渦中にあるサイをぼうっと見ていた覚えがある。

「確かに、1度食べてみたいとは思ってたけどさぁ……」

 ただし、腹の容量が許すならという前提の下だ。


「なら食ってみればいいだろ! 何事も1度勝負してみないとな!」

「勝負……」

 サイは一体何と戦っているのだろうと呆れてしまう。

 

「最後の娑婆しゃばの飯かもしれないんだ。ガハハハッ!」

「ちょ、止めてよ縁起でもない……。それに何? トキ教官の真似?」

 問いかけてみたものの、サイは気にしない素振りで鉢と匙を手に取っていた。

「頂きまーす」

 言葉と引き換えに白玉を口へ放り込んでいく。


 いつも通りの豪快さに圧倒され、先ほどまで感じていた緊張感が取り払われていた。

 思えばユミは、こんなサイに幾度も助けられてきたのだ。


 ユミも匙を手に取った。

「頂きます」

 声に出してはみたが、どこから手につけたものかと戸惑ってしまう。

 いつもなら賽の目切りにされているはずのスイカの断片が、大きなどんぶり鉢の中では三角錐状にそびえ立っている。


 迷った挙句匙を盆へ置き、両手でスイカを手に取った。そして尖った先の部分を口に含む。

「あ、甘い」

「どうだ? サイの目切りじゃあ、どれが甘いのか甘くないのか分からんけど、キリ状ならすぐにどこが甘いか分かるだろ? これからは私じゃなくて、キリに甘やかしてもらえっていう暗示だ!」

「……暗示って言うなら黙っといてよ。サイにしては考えたんだろうけど、別に面白くないよ?」

「何だとぉ?」

 サイの手に持っていた匙がぷるぷると震え始める。そこまで腹立たしいユミの言動だったのだろうか。

「落ち着いてよサイ。匙が折れちゃう」

 ユミはサイの手首を掴む。

 サイが歯をむき出しにして睨んできたので、負けじと睨み返してやった。

 そのままお互いの顔の距離が徐々に縮まっていく。


「おや? あなた達は……」

 

 二人を宥める様に、穏やかな声が響き渡った。

 ユミは我に返り声の方へ振り向くと、身覚えのある顔があった。一瞬で背筋が凍りついていく。


「き、奇術師さん……」

「これはこれは。覚えていてくれましたか。私もあの日のことは覚えていますよ。匙をぽっきり折られてしまいましたからね」

 奇術師は飽くまでもにこやかに語る。何も知らない者ならば、そこに裏は無いと思うだろう。


「な、何をしに来たんですか?」

 しかし、ユミは違った。もはや初生雛とも言われる歳でもないが、いざと言う時は緊急避難も辞さぬ覚悟だ。

「はて? ここは茶店ですよね。私もお茶とともに甘味を味わうことぐらいありますよ」

 その飄々とした態度に、ユミは苛立ちを覚えた。


「どうしたんだよユミ。この人すっごい奇術師じゃないか。確かにびっくりさせられたけど、牙を剥くほどじゃないだろ?」

「だって……」

 救い求める様にサイを見やったはずが、当の本人は眼を輝かせている。


「いえいえ、気にしないでください。サイさん。よく怖がられるんですよ。光栄なことです」

「今日も何か見せてくれるのか?」

「そうですね……。お、あなたの髪の賽子さいころそれを使わせて頂いてもいいですか?」

「これか?」

 サイは顔の両脇の髪を束ねている賽子を抜き取り、両手で掲げて見せた。

 一方のユミは、早くここから立ち去りたいという思いが募ってくる。

 先ほどはサイの鈍さに救われたが、今はそれによって窮地に立たされた気分である。


「じゃあ、ユミさんとサイさんのお2人で……。1つづつ賽子を持って下さい」

 サイが賽子を1つ差し出してきたので、渋々受け取る。

「それじゃ私は向こう向いていますね」

 奇術師がくるりと背を向ける。

「はい。ではユミさんとサイさんもお互いの手元を見ない様にして……。いいですか?」

「おう」

「それでは左手を広げて、その上に賽子を置いて下さい。それで好きな目を上にして下さい。目が決まったら教えて下さいね」

 ユミもいつの間にか言われた通りに動いてしまっていた。そしてなんとなしに赤い点を持つ一の目を上に向ける。

 傍らではサイも手元で賽子を転がしているようであるが、指示に従い手の中までは見ないようにした。

「決まったぞぉ」

「ありがとうございます。ユミさんもいいですかぁ?」

「はい……」

 流されるがままに呟く。


「それでは右手を被せて賽子を隠して下さい」

「出来ました」

「それでは私はそちらに向き直りますね」

 奇術師はゆっくりと振り返ると、ユミとサイに突き出された2組の腕の先をまじまじと見つめた。


「おや、お2人さん。何か打合せされました?」

 顔を上げ、ユミとサイを交互に見る。

「ん? してないぞ?」

 サイは首を傾げる。


「ほう、でしたらお2人の仲が良いのでしょうね。ピンゾロとは縁起がいい」

 ユミの心臓がとくんと跳ね上がる。以前奇術師と邂逅した時の様に、考えていることを読み当てられてしまったのではないだろうか。

 焦燥感を胸にサイの方を見やると、彼女も驚いた様子を見せていた。

 2人が示し合わせたように手を開くと、一の目を上に向けた賽子が2つ露わになった。

 

「すごい……」

 ユミは思わず声を漏らす。

「まあこれは、6かける6分の1の確率で当たりますね」

 大したことではない、とでも言いたげな奇術師の言葉に、サイは頭に疑問符を浮かべだす。そんな彼女の脇腹を、ユミは肘で小突いてやる。

「36分の1だよ。勝負事好きなんだったらそのぐらい分かるでしょ」

「いや、勝負なんて勝つか負けるかだからな。確率なんて気にしてないぞ」

「サイ……」

 これまでよくカモにされなかったものだと呆れ果てる。


 そしてユミは思案する。

 36分の1の確率。果たして本当にそうだろうか。

 何か100分の100で的中させる仕掛けがあるのではないだろうか。

 クイの言葉を借りれば、奇術には説明可能な原理があるはずなのだ。

 

 先ほどすごいと驚いて見せはしたが、ピンゾロという言葉に学舎での初日の出来事が思い当たった。

 当時まだ、賽子を知らなかったユミに向け、サイは身に着けていた2つの賽子を外し文机へ転がして見せた。

 そして偶然ではあるが両方の賽子がともに一の目を見せ、サイはピンゾロだと喜んでいた。

 

 また、サイは度々賭場に通うと聞く。彼女がピンゾロを好きであることは、少し調査すれば誰にでも分かるはずだ。

 そんなサイの傍にいることの多い、ユミの深層しんそう意識の中にもピンゾロが刻まれていたとしてもおかしくはない。

 

 奇術師はこれらの背景を把握しており、対するサイとユミは記憶きおくに刻まれたピンゾロを無意識に表へと出してしまった。

 というのが、この度の奇術の真相しんそうではないだろうか。


 思考を読まれたと感じた時は焦ったが、このように考察を深めていくことで、徐々に心が落ち着きを取り戻していく。

 

「さて、ここからが本番です。何か私に当てて欲しいことは無いですか?」

 挑発めいた言葉である。

「じゃあ、私の能力について当ててもらえますか?」

 ユミも挑戦的な眼で応じる。

「能力? 今まで言われたことないですね。そんなこと」

 奇術師は顎に手を当て困惑を見せる。


「いいのかユミ? それって秘密なんじゃ……」

 サイがそっと耳打ちしてくる。

「大丈夫。ちゃんと考えてることがあるから」


 ユミの能力。覚書に書かれた言葉を引用するのなら「森巣記憶」である。

 

「ユミさん。その能力について言葉にすることは出来ますか? あ、口には出さないでくださいね」

「はい」

 ユミは頭に「もりす」を思い浮かべる。

 覚書を手にした時から向いていた奇術師への疑念。今こそ明らかにする時だ。


 もともと知っていたことをあたかもその場で読み取ったように見せる、と言うのがユミの推理した奇術の原理だ。

 奇術師がユミの能力に名前を与えたのだとすれば、「森巣記憶」の正しい読み方を知っているはずだ。

 ユミはある時から思い始めていた。「もりすきおく」という読み方が本当は間違っているのではないかと。

 少なくとも「もりす」と呼ぶのはおかしいはずだ。他でもないサイが短く呼び始めたことなのだから。

 従って奇術師は「もりす」を当てられるはずがない、そう考えたのだ。


 奇術師はユミの両眼をじっと見つめると、やがて首を傾げた。

「うーん。聞いたことの無い言葉ですね」


 ――本当は知っているんでしょ?


 飛び出そうになった言葉を飲み込み、ユミは不動を貫いた。


「読み取った言葉をそのまま答えますね……。もりす?」

「ひっ……」

 ユミは眼をまん丸に開き、肩を抱いて後ずさる。


「もりす、あってました?」

「は、はい……」

 奇術師が「森巣記憶」の正しい読み方を知っているという前提が崩れてしまった。


「どうしたんだよユミ。考えてることがあるって言ってたじゃないか? さっきの威勢はどこ行った?」

「この奇術師さん、本物だ……」

「本物? そらそうだろ、5年前私らの前で匙も直して見せたんだ」

 サイにはユミの意図が読めない。

 

「この奇術、実際受けてみた本人じゃないと驚きを味わえないのです」

「はい……。確かに……、そうですね……」

 ユミはまだ震える声を絞り出す。

 

「とは言え、ユミさん一度体験されましたよね。初恋の人の名前を当てると言う内容で」

「そうでした」

 驚かされてしまいはしたが、奇術師への疑念が取り払われていた。

 どうやってユミの思考を読み取ったか疑問は残るが、今日の為に予めユミについて調査していたという訳では無いのだろう。

 今や彼の微笑みが温かみを帯びて見える。何の雑念も無く、ただ純粋に誰かを楽しませたいだけの男なのだろう。


「これからキリに会うんです。久し振りに」

 きっとユミのことなど観客の1人としか捉えていないだろう、という安堵感から口も軽やかになってくる。

「ほう、そうでしたか。良かったですね」

「はい。彼と会う前に、もやもやとしたものが晴れて良かったです!」

 ユミはにっこりと微笑んだ。

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