第19話 毒魚の捌き方とは?

 ――翌日、メルはフクフクを捌くための準備をした後、ラーナと合流して再びジャッドの家を訪ねた。


「来たな」


 今日は気分を変えて外で作業をするつもりなのか、ジャッドは庭先に机を出して待ち構えていた。


 ジャッドの足元には桶が置いてあり、中には大量のフクフクがビチビチと水飛沫を上げている。


「メル、今度こそフクフクを完璧に捌いてみせるから、今日も例の魔法を頼むぞ」

「モチロンです……けど、こんなに大量のフクフク、いいんですか?」


 ラクス湖における漁のフクフクの釣果は、決して多いとはいえないのを昨日読んだ本で学んだメルは、まるで独占するかのように用意したジャッドに心配して問いかける。


「これだけ持って来たら、おじさまたちに怒られたりしないんですか?」

「ああ、心配しなくていい……これは、俺の覚悟だから」


 何処か達観したような笑みを浮かべたジャッドは、大量のフクフクを用意した理由を話す。


「親父たちに、今日でフクフクの無毒化に挑むのは最後にすると言って、今朝の釣果、全て貰ってきた」

「えっ?」

「だから、今日で何としても無毒化しての捌きを完遂してみせる。いいな?」

「…………わかりました」


 ジャッドの覚悟を聞いたメルは、それに応えるように力強く頷いてみせる。


「では、まずは一つ、ボクに試させてもらっていいですか?」

「メルに? 何かいい方法でも思い付いたのか?」

「ええ、上手くいけば、最初の一匹目で悲願が達成できますよ」


 メルは可愛らしくウインクしてみせると、今日のために用意した道具を取り出す。



 それは細長いワイヤーだった。


「それは?」

「これは船を係留する時に使うワイヤーを細くしたものです。鍛冶屋さんにお願いして急遽作ってもらいました」

「なる……ほど?」


 メルが持って来た道具が何かを理解したが、ジャッドの表情は晴れないままだった。


「それで、これでフクフクを捌くつもりなのか?」

「いえ、これは締める時に使う道具です。早速使ってみようと思いますけどいいですか?」

「あ、ああ……」


 メルの勢いに圧されたジャッドは、おずおずと引き下がって彼女へ調理場を譲る。


「包丁は全て研いであるから遠慮なく使ってくれ」

「ありがとうございます」


 メルはぷっくりと膨れたフクフクを一匹手に取ってまな板の上にうつ伏せ置くと、毒を可視化する魔法をかけて包丁を手にする。


「では……」


 包丁を振り上げたメルは、昨日のジャッドたちに倣ってフクフクの頭を落とす……のではなく、急所である脳天に包丁を振り下ろして頭の一部を割る。


「とりあえずここで一度血を洗います」


 説明しながらフクフクの開いた頭から溢れ出た血を水で洗ったメルは、続いて鍛冶屋に作ってもらった極細のワイヤーを取り出す。


「背骨はここだから…………ここっ!」


 指で触って位置を確認しながら、メルはワイヤーをフクフクの背骨の上に空いた僅かな穴に差し込んでいく。


「メル……これは何をしているんだ?」


 グイグイとワイヤーを押し込んでいくメルを見て、ジャッドは堪らず口を挟む。


「締めると言っていたが、その行為に一体何の意味があるんだ?」

「これはですね。魚の背骨近くにある交感神経を壊して締める、神経締めと呼ばれる締め方です」

「こ、交感神経? って何だそれは?」

「ええっとですね……簡単に説明すると、魚は死んだとき、この交感神経を伝って細胞全体に死んだという情報が伝わって、そこから死後硬直と腐敗がはじまるんです」


 処置が完了したのか、ワイヤーを引き抜いたメルは、昨日ジャッドがやっていたのと同じように捌きながら説明を続ける。


「神経締めを行うことで、魚に死んだという情報を与えることなく捌くことができるのと、後はより効率的に血抜きができるんです」


 フクフクの皮を手早く剥ぎ、毒の部位を確認しながら内臓を取り除いたメルは、身に付いた血を綺麗に洗っていく。


「ラーナさんから借りた本を読んで、あることに気付いたんです」


 しっかりと表面に付いた血を洗い落したメルは、さらに両手で握り潰すようにしてフクフクの身の中に残った血を絞り出しながら自身の考察を話す。


「実は最初にフクフクを食べた欲張りな漁師は、そのフクフクでは毒に罹らなかったんだと思うんです」

「はぁ!? そんなわけないだろう。だってその漁師は、その後すぐ死んだんだぞ?」

「そうですね。ただ、死因は最初のフクフクではなく、二匹目以降のフクフクだと思うんです」


 作業を続けながら、メルは紫色に光っている内臓を指差す。


「フクフクの毒は神経と筋肉に作用する神経毒、多分、テトロドトキシンという毒です」

「て、てとろ……何だって?」

「テトロドトキシンです。この毒はとても強力で熱に強く、酸にも強いため、普通の調理法では分解できないんです。そして……」


 メルは指を二本立てると、真剣な表情になる。


「食べて発症まで早くてニ十分、遅くて三時間程度と言われています。だから最初にフクフクの毒を食べていたら、救出されるまでに毒が発症して無事じゃすまないはずです」

「そ、そうなのか?」


 メルの迫力に気圧されたジャッドが見る先は、フクフクの毒を何度も治療しているラーナだ。


「うん、間違いないわ」


 大きく頷いたラーナは、シスターとして何人もの患者から得た知見を披露する。


「フクフクの毒の症状としては唇や舌、手足の痺れからはじまり、次に酷い頭痛が起こって徐々に全身の感覚が鈍くなっていくの。最終的には呼吸する筋肉すら動かせなくなって、呼吸困難で死ぬのよ」

「マジかよ。こいつの毒が強力だとは聞いてたけど、そこまでだったとは……」

「普段は私がすぐに治療しちゃうからね。ジャッドのお父さんも奇跡的に助かったけど、運が悪かったらあんたはここにいなかったんだからね」

「そう……か」


 決してフクフクの毒を甘く見ていたわけではないだろうが、それでも毒に対する正しい知識を知らなかったジャッドは、紫色に光る肝を見て小さく震える。


「大丈夫ですよ」


 怯えの見えるジャッドに、メルが優しい声音で話しかける。


「確かにフクフクの毒は怖いですが、正しい知識を持って正しく捌けば、おいしく頂ける極上の食材なのは間違いありません」

「そうか……そうだな」


 過去のラクス村の人と同じく、フクフクのおいしさの魅力に取り憑かれたジャッドは、目に光を灯してメルを見やる。


「メル、教えてくれ。どうして最初の漁師はフクフクを食べても無事だったんだ?」

「はい、お任せください」


 メルは「コホン」と一つ咳払いをして、自身の考えを披露する。


「フクフクを食べても無事だった理由……それはフクフクは、生きている間は無毒なんです」

「生きている間は?」

「はい、そして死後硬直がとても早く、血液の沈殿も早いから普通に捌いただけでは無毒化が非常に難しいんです」


 そう言ってメルは、しっかりと血を絞り切ったフクフクの切り身を、ジャッドたちに見せる。


「ですから捌く時も、できるだけ生きている状態と近い状態で捌くことができれば……」

「毒が……殆どなくなる?」

「そういうことです」


 メルが差し出した切り身は、切り口付近に僅かに紫色の光が見えるが、それでも身の大部分は透き通った綺麗な白身をしていた。


「流石に完璧になくすのは難しいですが、それでもここまで毒が抜ければ後は簡単です」


 そう言ってメルは、包丁で紫色に光っている部分をトリミングすると、手慣れた手つきで手早く三枚におろす。


「はい、これでフクフクの三枚おろしの完成です」

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