第3話 小動物なサンタ

「そうそう。他にも面白かったのが、「ママ大変。こんな小さな靴下じゃ今年のプレゼントは入らない。サンタさんが諦めて帰っちゃったらどうしよう」なんて心配なんかしちゃって。去年のプレゼントも入らなかったでしょ、だから大丈夫よー。って言ったら「あー、そっかー」だって。ホント呆れちゃう」

 夫は、昨日まで子供が履くには大きすぎる靴下が掛けられていたクリスマスツリーを眺める。

「その赤い靴下も今年で二回目の出番になるんだね。なるべく大きい靴下がいいなんて言った時には、笑っちゃったよ」

「私としては信じられない事だけれど、あの堅物のうちのじーじにもプレゼント買わせたりするし。本当にちゃっかりしてて将来が心配よね」

「それもそうなんだけれどさ…」

 夫の口吻からすると何かしらの言葉が続きそうなのだけれど、待てど暮らせどでてこない。

「ん?何もないの?」

「ん?」

 その顔にピンとくる。

「何か言いたい事があったんでしょ。隠してないで言いなさいよ」

「何もないよ」

 あら、あくまでも白を切るつもりね。それなら夫が一番敏感に反応する顔をしてあげる。

「ちょ、ちょっと待って。本当に、本当に何も無いんだよ」

「何にも無いのね。良かった」

 夫の口が僅かに動いている。もう少しで完堕ちできそうだ。

 今度は菩薩様かと見間違う微笑みを湛える。

「怒らないから言ってみて」

「そう言って怒らなかった人を僕は知らない」

「それなら怒るのはちょっとにするから言ってみて」

 夫はその手があったかと笑った。

「ここまで引っ張るほどのことではなかったんだけれど、血筋は争えないというか、そんなところは似るんだなって思ったんだ。言葉を詰まらせたのは、もしかしたら気を悪くさせてしまうかもしれないと思ってさ。君のお姉さんに関することにもなるし、言うなれば家族のことになってしまうからね」

 なんだ、私が考えていたものとは違った。この話題では怒ることはできない。

「そのことについては気にしないでって言ってるでしょ」

 会社での私の通り名についてだったらコテンパンにしてやったのに。「気を使わせないためじゃないけれど、私の母親もああ見えてちゃっかりしてるから親子三代よ」

「えっ、紗代子さんもなの?そういえば思い当たる節がある。…それなら香織があれでも全然おかしくない。寧ろ健全」

「もう」

 私は台ふきんを手に取り振りかぶると、夫は笑いながら防御姿勢をとった。何度か投げるふりをすると、夫はそれに合わせてコミカルに姿勢を変える。

「香織が起きちゃうから」

 白々しい小さな声とそれに合わせて差し出される手。眉を八の字にしながら小さく何度か頷いて、布巾を手放すように訴えかけてくる。

 しょうがないので、夫の手に少しだけ荒っぽく布巾を投げる。彼は上手にキャッチすると、折り畳んでテーブルの上に置いた。

「ついでにテーブルを拭いてよね」

 夫はその言葉にピクリと反応を示したが、何事もない様に食器を端に寄せると、随分と素直にテーブルを拭き始めた。

「ちょっと待って。そのまま、そのまま。ダメ。表情を変えないで。そう、そのまま上を向いて」

 必死に普通の顔を装っているが、口元が僅かに歪んでいる。

「どーせ、しょうもないことでも考えてたんでしょ?」

「どうだろうね?」

 先ほどとは一変して、挑発的に惚けた表情をしている。

「それなら当ててあげる」

 私に笑みを返す夫。

「猛獣使いの芳賀」

「正解」と間髪入れずに夫は答える。

「それともおじさんキラーの方が良かったかしら?」

「僕的にはどちらも正解だね」

 近くに投げられそうな物がないか探したが見つけられなかったので、代わりに厳しい視線を投げておく。

 芳賀とは私の旧姓だ。その由緒ある苗字に付随しているのは、不本意ではあるが私の会社での通り名となっている。

「次長時代の藤原部長と那須部長って最もイケイケの時期だっただろ、当時の僕はあの二人に臆せず話をする君を戦々恐々の眼差しで見守っていたよ」

 社内でも一目置かれる藤原部長と双璧を成す那須部長が、仕事の進め方の違いでギクシャクしていた際、私が仲を取り持ってプロジェクトを成功させた時に、それに近いあだ名で呼ばれるようになった。

 その後、錚々たる顔ぶれが集う酒の席で、泣く子も黙る大久保常務の冗談に対し、ついつい「おい」とツッコミを入れてしまい、そのご縁で我が子のように可愛がられた出来事により、同僚から猛獣使いの称号を頂いた。

「でも、君のご両親に初めて挨拶に伺った際に納得できたよ。腑に落ちるって言葉があんなにもしっくりくるのは、後にも先にもないだろうね」

「それはどういう意味かしら?」

 夫は言わずもがなと顔で答える。

 自分の父親ながら、お世辞にも温和な雰囲気というものは感じられない。物心ついた時から一番身近にいる男性が父であったため、当たり前の事として男性の基準は父となる。お二人の雰囲気は父に似ていたため、こちらとしては普通に接していたつもりだ。

 今では私の父親の性格も理解し冗談を言い合える仲となったが、初めて顔合わせをした時の夫の顔は今でも忘れられない。

 緊張に包まれた場が一切和むことはなく、夫が言葉を詰まらせながら結婚の申し込みをした後に、「手のかかる子でしたが、手をかけただけ角が取れ、珠のような女性に育ってくれました。私達の自慢の娘です。この子を光り輝かせるのも、くすませるのも君次第だよ」と、言われて背筋をピーンと伸ばした人が目の前にいる。

「昔気質な徹雄さんを紗代子さんが上手く手綱を握っているのを見てると、上層部の面々を上手く転がす君にその血筋を感じて何の違和感も持たなくなったけれど、さっきの話からすると、香織がその特殊能力を引き継いでいる可能性があるんだと思ったら笑えてきちゃったよ」

「そんな事だろうと思ったわ」

「僕はタイプ的に小動物だから、どんな風に育つのかは興味深いけどね」

「さっき言葉を詰まらせた時に、その事を考えているんじゃないかと思ってとっちめてやる気でいたの。でも、あなたの優しかからきたものだったから、申し訳ない気持ちでいたのね。ところが、思わぬ形で考えていた事が起きてしまったの。それでどうしようか考えているのだけれど、そちらさまの意見を伺ってもいいかしら?」

「僕の考えとしては、過ぎてしまった事なんだから、そんな事に拘る気持ちを捨てた方が健全じゃないかと思うよ」

「やっぱりそうよね。私もそう思うわ」

 夫はそそくさと布巾片手に、寄せてある食器を持ち始める。

「寛大なご配慮を賜りまして、益々あなたという人が魅力的であると感じています」

 背筋を正し、取引先の重役と商談しているかの様な口調が憎たらしい。

「あら、歯の浮くような素敵なセリフね。ありがとう」

「お褒めに預かり光栄です」

 私は夫の目尻にできた笑い皺をじっと見つめる。

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