第2話 お茶目なサンタ

「あら、可愛いかったってありきたりの反応を示すかと思ったのに」

「そりゃ可愛かったさ、だってこれだもん」

 夫は手に持っている湯呑みを使い、娘が眠気に負けて後ろに大きくカックンとなった時に、手に持っているマグカップがすんでのところで手から離れて、事なきを得た場面の真似をする。

「私としてもその場面が撮れたからあなたに見せたのよ。それなのに我慢?」

「それはね、クスクス笑うから多少のブレはあったものの定点カメラみたいなアングルだったのに、マグカップから手が離れた途端に見せたあの動き。綺麗好きとして本当はミルクをこぼしたくはないというのが、ひしひしと感じられたよ。まさに神業のごとき動きだったよ」

「それはそうよ、テーブルの上で事が収まってくれればいいけど、床まで広がったり着ている服まで汚れたら、なんて考えただけでゾッとしない?布巾だって牛乳臭くなっちゃうでしょ」

 必死に問いかける私の何が面白かったのか、夫は白い歯を見せながらご飯を口に運ぶ。

「ちょっと何が可笑しいのよ、失礼しちゃう。さっきも言ったけれど、今日は寝てもらわない事には始まらないからね。こぼしたらこぼしたでそれを理由に布団まで連れていけるじゃない。そうと決めたらドンとこいよ。変な言い方すればどうにでもなれ、みたいな感じよ。それより、娘の可愛らしい姿を見せてあげようっていう私の優しさに感謝してよね」

「ありがとう。いくら鈍感な僕だってそれぐらいは分かったよ。それをひっくるめて我慢したねってことさ」

「私の話に合わせたってことは?」

「ないない。それは断じてないよ」

 夫は必死に顔の前で手を振る。

 うん、これは怪しい。怪しいけれど問い詰めたところで何も出ない。それならば。

「ハリウッド映画の監督みたいに最後に見せ場を持って来るなんてなかなかのものでしょ?」

「うん。和製スピルバーグとは君のためにある言葉だと思うよ」

「でしょー?」

 無駄なことをせずに、ただ単に褒めさせるに限る。

 満足気な私の顔を見ると、夫は視線をテーブルの上に移す。

「動画には撮れなかったけれど、他にも面白い話があったんだけれど、聞きたい?」

「もちろん。お願いしていい?」

 次に食べる料理を選んでいたであろう夫は、素早く私の顔を見て目を輝かせる。その真剣な眼差しに私は思わず吹き出してしまった。

 すぐさま「笑ってないで話を聞かせてもらっていいかな」と催促されたので「ごめんなさい、でも」と答えながら必死に呼吸を整える。やっとのことで話を始めようとしたが再び吹き出した私を見る夫の顔が、呆れ返っていて可愛らしかった。

 気を取り直して、眠気と格闘している娘のおしゃべりが段々と支離滅裂になっていき、紗季ちゃんとのおままごとの話が近所の子犬の話とごちゃ混ぜになり、自分自身で混乱して要点を得ぬままお蔵入りとなった話や先ほど見せた動画の話などを掻い摘んで話す。

 そして、眠気に打ち勝つために食べていたプレッツヒェンを、開けた口ではなくて可愛いお鼻に食べさせようとした場面で夫のニコニコは最高潮に達した。

「あの子も考えたのね。寝ないために何かを口に入れるなんて」

 私は菓子皿の横によけてある食べかけの焼き菓子を手に持つ。

「これが最後の抵抗の一齧りってわけ」

 私は手に持っていた星の欠片を口に入れた。あくまでも娘のモノマネだ。断じて食べたいわけではない。でも、美味しい。

「それから少し経ってから」私は時計に目をやる。「十時前くらいかしら、眠いの?って問いかけに一生懸命瞼を上げながら首を振っていたのを宥めて、ベッドに連れて行ったらとうとう開けられなくなったみたい。何をしても起きなくなったのがあなたからのメールのほんの少し前よ」

 時計の針はもう直ぐ11時を指し示そうとしていた。

「そろそろリビングに行こうとしたら、丁度良くスマホが鳴ったからドキッ!ってしたわ」

「ははは、ごめんごめん。それで起こしてしまったら、せっかくの苦労が水の泡になってしまうところだったね」

 夫はスプーンで、残り少なくなったシチューを掬う。

「去年の事があったからね。先に僕たちが根負けして寝てしまったら、せっかくのイベントが台無しになってしまうからね」

「僕たちって語弊のある言い方はやめてくれる」

 夫はスッと視線を逸らしながら、スプーンを口に運ぶ。

「あの時は呆れちゃったわよ。「僕が寝かしつけるから」なんて張り切ってた人が、子供より先に寝ちゃうんだもの。ドアが開いて、早かったわね。って、声かけようかと思ったらあの子が立ってて、何が起きてるのか理解するのに大変だったんだから」

「ははは。ごめん、ごめん」スプーンを持ったまま手を合わせる。「でも、絵本て何であんなに眠くなるんだろうね?」

 娘ができた途端に『我が家のシェフ』という謎の宣言をした夫。当初から娘に献立のリクエストを募るのだが、作る料理は自分の食べたい料理。プロ顔負けを謳うご自慢の品は、ハンバーグにカレーや唐揚げなどで味覚もお子さまだ。

「知らないわよ。感性が幼稚園児と一緒なんでしょ」

「お褒めに預かり光栄です」

 夫はおどけた顔で頭を掻くと、スプーンを置き、サンタクロースを模した箸置きから箸を手に取る。

「幸せな人ね」

 頬杖を突いて、しみじみと夫の顔を観察してやる。

「見ただけで僕が幸せって分かるなんて、君は人に愛を分け与えるのが上手なんだね」

「うん、何を言ってるのか分からないわ」

「奇遇だね、それは僕もだよ」

「ちょっと」

「上手いことを言おうとしてできなかったからか、さっきから上下の歯が上手く噛み合わないんだよね。人体ってのは正直にできているんだと、改めて感じているよ」

「それでなの?耳、ちょっと赤くなってきてるわよ」

「うん、分かってる。どうせならクリスマスにあやかって、鼻が赤くなればいいのにって思ってるよ」

「もう無理しない方がいいんじゃない?ますます赤くなってきてるよ」

「僕もその方がいいって感じてる」

 私が笑っている隙に、夫はいそいそと残りの料理を平らげていく。そして、「ごちそうさまでした」と満足そうに言うと、湯呑みを手に取りゴクリとお茶を飲み込んだ。

「どう?落ち着いた?」

「食事と一緒に体を熱くするものを飲み込んだから大丈夫。喉元過ぎれば熱さを忘れるの精神でやっております」

 噺家さんの口調で恥じらう夫が可愛い。

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