第12話 タイで過ごす初めての正月

 センチャイ先生は優しい人であった。12月25日、26日に彼の故郷ナコーンナヨッグに宿泊させてもらって、次の日のマラソン大会に出てきた。ご両親にご挨拶した時、日本人なのにタイ語を話して面白いと喜んでいただいた。

 マラソンは15キロのコースを一緒に走った。真よりも5歳年上であった彼と並走していたが、ペースが合わずに真は先にゴールをした。彼は毎年このマラソンを走り抜いて、自分の健康・若さをチェックしているのだそうだ。

 その夜もローカルの店に食事に行き、最後はカラオケで締めくくった。ギターを弾きながら歌を聴かせてくれる店で、日本の歌を歌ってほしいとリクエストされた真は松山千春の「長い夜」をそれもギターを弾きながら歌ってきた。大変に盛り上がった夜を過ごした。

 年末年始の「パッタヤー」は、多くの外国人観光客でごった返していた。タイ語で西洋人のことを「ファラン」と呼ぶ。彼らの多くは、タイと言えば「パッタヤー」を思い浮かべる人が多いのではないか。

 ここはもともと小さな漁村だったが、ベトナム戦争が勃発して、アメリカ軍が使用していた空港のそばに保養地を作ったのが始まりである。戦争の終結とともにアメリカ軍は撤退するが、その後も、リゾート地として発展を続け現在に至っている。

 いたるところに、西洋人向けに作られた飲み屋がひしめき合っている。歓楽街ではバンコクには敵わないが、ここにもタイでは有名な「ゴーゴーバー」もある。真は他の協力隊メンバーや日本語教師の友人、センチャイ先生とともに賑やかな南国での年末年始を過ごしたのである。

 2000年1月、真ん中の教え子で会社を経営する将志が送ってくれた野球道具が届いた。これらを持って、さっそくスパーンブリー体育学校にも届けてきた。ここの校長Dr.パタナチャット氏は、アメリカに5年、日本に1年の留学を経験していることを話してくれた。

 来年、中高生の野球大会を開催する件と、将来はここにも野球場を作りたい展望を共有した。年始の協力隊員の総会にも出席し、1月14日(金)、ナコンシータマラート県体育学校での滞在に向け、野球の指導をアレンジしてくれたタイ教育省体育局へ挨拶に行った。

 そこへナコーンシータマラート体育学校のウィラサック校長、ビセット副校長の2人で700キロ以上の長い道のりをへて迎えにきてくれた。いよいよ南部の町、ナコンシータマート県に出発の日となった。車で9時間の長旅である。アジアハイウェイを南下するにつけ、景色や雰囲気が変わっていくのがわかった。

 不安もあったが、優しそうな笑顔で話しかけてくれるウィラサック校長、ユーモラスなビセット副校長と会話をしながら車で疾走し、目的地ナコンシータマラート県に到着したのは夜11時過ぎであった。

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