《中編》人魚の来歴

 武雄に会った翌日。


「田辺、これを読んでくんね?」

 同僚の席に、写真の古文書を拡大コピーしたものを置いた。昨日、彼は俺と入れ違いで外出し直帰だったから頼めなかったのだ。


「なにこれ」と田辺は紙を手に取る。

「昨日の情報提供者から」

「ああ、あの人魚か。使えそうだったんだ」

「それどころか、本物なら巻頭飾れるレベル」

「そりゃすごい」


 編集長は、なんならお前が父親の説得に行って来い、というほど乗り気だ。


「読んでくれたら実物の写真を見せるよ」

「それなら任せろ」


 古文書の写真は四枚。和綴じの冊子で、写っているのは表紙が一枚と本文三枚。


「『萩と竹吉 竹吉の子孫は必ずや読むこと』」

 田辺は言いながら、文字のとなりには訳を書いた。

「なんだ、このタイトル?」と田辺。「変わっているな」 

「そうなのか?」

「民家から出て来る古文書では見ない。ええと――」と田辺は二枚目に移る。「『はじめに最も重要なことを。萩は誰にも見せてはならぬ。見て良いのは竹吉のあとを継ぎ萩を世話する者だけ』」


「つまり人魚の名前が『萩』で最初に世話をしていたのが『竹吉』か」と俺。

「『禁を破れば竹吉の子孫といえども萩から罰をくだされる』」田辺が顔を上げる。「だってよ」

「よくある話さな」


「荒木さぁん!」

「ん?」

 呼ばれて振り返ると後ろの席のバイトが受話器を片手にこっちを見ていた。

「受け付けから、荒木さんに来客って連絡なんですけど」


 そんな予定はないぞ。


「ちょっと様子が変みたいです。崎戸って男性で――」

「崎戸? 昨日の情報提供者だ」

「ああ、じゃあその人かな。でも」とバイトが顔をしかめる。「『武雄が死んだから写真を見た人に会いたい。急がないとまずい』とか言っているみたいなんです。どうします? 警備に回します?」

「武雄が死んだ……?」


 昨日の純朴な笑顔を思い出す。

 あれからまだ一日も経っていない。

 ゾクリと寒気がした。



 ◇◇



 武雄の父親、武志を応接室に通し、編集長とふたりで対面した。

 父親は真っ青な顔色で憔悴しきっている。昨夕都内の警察から武雄死亡の連絡が来て、急いで夜行列車に飛び乗り上京したという。まだ遺体確認にも行ってない状態でうちに来たらしい。


 お悔やみを伝え、

「昨日の午後に私がお会いしたときは元気いっぱいでした」と話す。

「ええ。銭湯での急死です。そのときの状況を聞いて……こちらに到着してすぐに武雄のアパートに行きました。そうしたらカレンダーの昨日の日付に荒木さんのお名前が書いてあって。テーブルには名刺が」

 昨日、渡したやつだ。


「それと一緒に写真が一枚あったんです。――うちの大切なものの。おふたりはあの写真をご覧になった、ということでよろしいですか」

「武雄くんにはこちらを見せてもらいました」


 俺はそう言ってアルバムを渡した。中を改めた父親は唸り声をあげた。

「……こんなに。もしや友達にも見せたのか?」

「たぶん誰にも見せていませんよ。情報漏れをひどく気にしていて、現像も学校の暗室を借りてひとりでやったと言っていました」

「ああ……!」父親が大きく息を吐いた。「よかった。もうカメラ屋はダメだろうと……」


 なんなんだ、この反応は。悪い予感がする。


「単刀直入に言います」と父親。「武雄は人魚の罰で死にました。このままなら、あなた方も死にます」

「どういうことですか」

「武雄は銭湯の浴槽で溺死しました。直前に『やめろ、引っ張るな、助けてくれ』と叫び暴れていたようです。衆人環視の中で、武雄を引っ張っていたものがいないのは多くの人間が確認しています。彼が沈んだあとすぐに助けられたようですが、もう息はなかったそうです。警察は薬物を疑い検査をしましたが反応はなく、せん妄による事故死と断定しました」


 なんだよ、それ。


「まさか武雄が土蔵に入ったとは知らず」父親の目から涙がこぼれる。「二十歳になったらすべて伝えるつもりだったのが裏目に……」

「崎戸さん。我々も武雄くんのような最期を迎えるということですか」と編集長が尋ねる。

「ええ、恐らくは」

「いったいその人魚はなんなのですか」

 父親は閉じられたアルバムに目を向けた。

「崎戸の守り神のようなものです」


 そして父親は崎戸家に伝わる話を教えてくれた。



 ◇◇



 昔、竹吉という男が浜で瀕死の人魚の女性を助けた。彼女とその赤子は人間に襲われ、必死にそこまで逃げてきたという。襲撃の理由は彼女たちの肉。食べると不死になるとの言い伝えがあるからだ。

 赤子は死んだので竹吉は丁重に弔い、女性――萩の怪我も手当てしてやった。いたく感謝した萩と竹吉は友人となり、浜で密かに会うようになった。


 やがて男女の仲となったが、無論一緒に住むことは叶わない。思いは募れど浜で密会するほかはなく、そうするうちに萩はまたも人間に襲われた。なんとか逃げ出しはしたものの、竹吉がみつけたときには虫の息。泣くことしかできない竹吉に萩は言った。


『人魚の肉は人を不死にするほどの力を持っています。私が死んだら剥製にして祀りなさい。あらゆる災厄をはねのけるでしょう』


 竹吉は慟哭しながら萩の体を開き剥製にし、取り出した臓物は以前埋葬した子供のとなりに埋めた。



 ◇◇



「これがうちに伝わる巻物に書いてある内容です」と父親。

「写真に写っている、アレですか」

「ええ。以来、人魚は竹吉の子孫を厄災から守ってくれています。飢饉、疫病、戦争、どれも崎戸から死者は出ておりません」

「それなら罰というのは?」


 尋ねると父親は俺を見た。


「萩は竹吉を愛していたから、守りたかったのでしょう。ですが醜い剥製になった姿を他人に見られるのは嫌だった。だから『竹吉と、竹吉のあとを継ぐ者以外に自分を見せてはならない』という条件をつけたのです」

「なるほど。女心か」と編集長。

「見せた者も見せられた者も罰を受ける」と父親。「私の父がそうでした」

「早逝した武太郎さん?」

「はい。父は遊興好きで、萩を見世物にしようとしたらしいのです。ある日自宅の風呂で溺死し、その翌日に仲間の興行師も同様にして死にました」


「竹吉さんが優しい男だったから、そうでないものは跡取りにふさわしくない、との考えもありそうですね」と編集長が言う。

「でも武雄くんは見世物にとは考えていなかった。純粋に存在を世に知らしめたい、これをきっかけに保管方法を最新式に改め、父親の負担を減らせればと思っていたんですよ」

 俺が言うと、

「……そうなんですか?」父親がまたも涙を流した。「ひとりっ子だからちょっとワガママなんですけどね、実にいい子なんですよ……」

「そうですね。純粋な子との印象でしたよ」


 だけど!

 今俺の命は風前の灯火だ……。


「でも」と父親は深く頭を下げた。「武雄が迷惑をかけてすみません。効果があるかわからないですが、お祓いに行ってください。それから入浴は避けて――」


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