人魚の怪
新 星緒
《前編》読者からの情報提供
気だるい昼下り、社から徒歩三分の雑居ビル一階にある純喫茶に入ると店内を見渡した。ぼちぼちの人の入り。その中に、やぼったい格好をした青年をみつけた。
きっと彼だ。
そばまで行き、
「
と声をかける。
「あっ、そうです!」ガタリと椅子の音を立て青年か立ち上がる。「『ムーチョ』の荒木さんですか?」
「うん。座ろうか」
「はいっ」
俺は月刊オカルト雑誌『ムーチョ』の記者だ。この界隈で知らぬ人間はいない、有名雑誌だ。だから読者からの情報提供もたくさん来る。
そのほとんどが与太話なんだがたまに、これは!と目を引くものがある。彼からの手紙もそのひとつだった。
武雄は進学のためにこの春上京したばかりで、出身は東北の海沿いの町だという。名主だかなんだかの家柄で、実家は古い日本家屋。土蔵はふたつもあるという。ひとつはいたって普通の蔵で、誰でも出入りできる物置のようなもの。問題はふたつめのほう。こちらは住居の最奥に隣接し、家の中からしか入れない。だというのに扉には何十にも錠がかけられ、誰も入ることができない。崎戸家の当主を除いては。
だが武雄は何度かこの蔵に入り、隠されたものを見ているという。そしていつか東京に出たら、憧れの『ムーチョ』に知らせて記事にしてもらいたい、と夢見ていたらしい。
「記事にしてもらえますか?」
「まだなんともね。実物を見ないことには」
「ですよね」と純朴そうな武雄は頭を書く。
「確約がないと写真を見せたくない?」
「いや……こうやって興味を持ってもらえただけで嬉しいし、写真を見たら絶対記事にしたくなると思うんで」
武雄は手紙で、それの写真あるが見せるのは記事にしてくれる場合のみ、と書いていた。電話で交渉し、なんとか今日の会合で先に写真を見せてもらえることになったのだ。
「なんていうか」と武雄が鞄をあさりながら言う。「『ムーチョ』の薫陶を受けた者としてはこの存在を世間に広く知らしめたいんです。でもうちの秘宝?秘仏?そんな感じみたいだから、茶化して終わりみたいなことになったら嫌だし」
「うん、わかるよ。家と
「そう! それ、敬意です」我が意を得たり、との顔になる武雄。「僕は、敬意を払ってもらいたいんです」
「当然さ」
「よかった。これです」
渡されたのはカメラ屋でくれる無料の紙アルバム。使い古され端が擦り切れている。
「蔵に入るところから順番に並べてあります」
表紙を開く。一枚目は錠がたくさんついた土蔵の扉。確かに室内に隣接している。2枚目は観音開きの扉の片側を開いた状態。武雄はどうやら演出好きらしい。
ページをめくり――そのまま動けなくなった。開いた面の写真はすべて
「すごいでしょう?」武雄が言う。「わかりにくいですけど、普通に人間サイズです。各地に残されているものはもっと小さかったり、見た目がちょっと残念だったりしますけど、うちのは完全に女性とわかる」
俺は深く息を吐いた。
「確かにこいつは別格だ」
本物だとしても、偽物だとしても。
「そうなんですよ」武雄はにこにこしている。「うちのを発表すれば、人魚の実在を疑うひとはいなくなる」
「それには調査が必要になるとは思うが、センセーショナルな話題になることは間違いない」
アルバムに目を落とす。正直、写りは悪い。
「これ、光源は? フラッシュをたいているよね」
「電気はないんです。蝋燭を立てる器具みたいのしかなくて。僕が入るときは懐中電灯を使ってます」
人魚のまわりには4本の柱が立てられ、三方に薄布が張られている。開いた正面にはお膳があり、盃と皿がのっているように見える。武雄は秘仏と言ったが、確かに祀られている様子だ。
アルバムのページをめくる。人魚の細部だ。
さらにめくると、古文書を写したものがでてきた。
「これは?」
「土蔵にあるやつです。僕は読めないんで、とりあえず冒頭だけ写真にとってみました」
「うちに解読できるヤツがいるから、社に戻ったら見せたいんだが、いいか?」
「内容を教えてくれます?」
「当然」
「それならオッケーです! よかった、好感触で」武雄が照れる。「『ムーチョ』さんを信じてはいますけど、でもこのリアルさでしょう? 人形でしょって言われるかもって心配で」
「イタズラにしちゃ、手が込んでいる」
「カメラもわざわざ写真部の友人に借りて、現像も学校の暗室で自分でやったんです。カメラ屋から情報が漏れたら困りますからね」
なるほど。写りの悪さは光源のせいだけじゃなかったか。
「これのために僕、現像の練習もたくさんしたんですよ」
「すごい熱意だ」
「『ムーチョ』さんに就職できたりします?」
思わず笑ってしまった。
「それが目当て?」
「いやいや、違いますよ! でも就職で有利になったりするかなって」
「うちの出版社に入社したとしても『ムーチョ』編集部に配属になるかはわからないから」
そっか、と武雄は肩を落とす。
どうしてもっていうならアルバイトがある。空きが出たら声をかけてやってもいい。武雄は今のところ、悪い印象はない。
「だが当主しか入れないんだろ? 君はどうして?」
「ええとですね――」
『家の土蔵に入れるのは当主だけ』ということを武雄は小さいころから知っていた。そして自分がいずれ崎戸家を継ぐことも。
順番は二番目。当時の当主は曽祖父の
『いつかは中を見られる、だけど長く待つのは嫌だ』
そんなふうに思っていた武雄は、小学校六年生のときに偶然に機会を得た。夜中に目覚めてトイレへ向かったとき、曽祖父と父が土蔵の鍵の引き渡しをしているのを見たのだ。八十代の曽祖父は健康に不安があり、土蔵管理を孫に任せる決意をしたらしい。話の内容から、土蔵への入室は正しくは『当主だけ』ではなく『当主と当主になる者』とわかった。
それなら自分も可能だと思った武雄だったが、そこで名乗り出はせずに、鍵のしまい場所、入っている金庫の番号を盗み見て、黙って自室に戻ったという。
それから半年後に曽祖父は老衰で亡くなり、家族が葬儀で慌ただしくしている中、鍵を取り出しこっそり中に入った。
武雄少年は予想外の
以降、一年に一度程度、父親が友人とゴルフ旅行に行っている隙に人魚に会いに行っているという。
「最初は自分だけの楽しみだったんです」と武雄。「でも段々と人魚を独り占めするのは間違っていると考えるようになったんですよ。さっきも言いましたけど、
「なるほどね。わかるよ」
アルバムを置いて、すっかり氷がとけたアイスコーヒーを飲む。
「人魚の取材に来てくれるなら、父を説得します」と武雄。「正直、父がひとりで管理するのは大変だと思うんです。いつ入っても土蔵の中は埃ひとつないから、こまめに掃除しているんだろうし。写真には写ってないけど、ネズミ避けとかゴキブリ対策もたくさん。それに人魚が初めて見たときより劣化している気もするし。これを機会に保管方法とか、色々考えたほうがいいと思うんですよね」
「一般公開すれば観覧料も取れるしね」
「いやいや、そこまでは」
意外にも武雄は否定した。
「まあ、年に一度の御開帳日くらいはあってもいいですけどね。人が大勢来たら劣化が早まるかもしれないじゃないですか」
「……君はものすごく人魚のことを考えているんだね」
「そりゃもう!」
満面の笑みの武雄。
「この写真、借りていいかな?」
「文書以外もですか?」
「取材に行くなら編集長に見せないと」
「そっか……。いいです、『ムーチョ』さんを信じてます」
「じゃあ、お父さんを説得できたら連絡くれるかな。もし編集長に却下されたら――まあ、そんなことはないだろうけど、これはすぐお返しするね」
アルバムを鞄にしまう。
まだアイスコーヒーが残っていたのでグラスを手にとり、なんとはなしに、
「お祖父さんは戦死?」と尋ねた。
「いや、違います。事故死だったかな。父が幼いころに。なかなか破天荒な人だったみたいですけどね」
「旧家にひとりはいるタイプかな?」
「ああ、そんな感じだったみたいですよ」
薄まったアイスコーヒーを飲み干すと、伝票を手に取り立ち上がった。
「じゃ、武雄くん。今日はありがとう。これは絶対にセンセーションを巻き起こす。素晴らしい情報だったよ!」
武雄は紅潮した顔でうなずいた。
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