うつくしくて優しいおばちゃんのこと

さかい

うつくしくて優しいおばちゃんのこと

私には忘れられないおばちゃんがいる。

おばちゃんは私が幼少期住んでた、同じマンションに住んでいた。

私はそこで産まれ幼稚園を卒園する前まで住んでいたので、おばちゃんとの記憶は3~4歳くらいの時だと思う。


そのマンションは5階建てで、私の祖父母が5階に住んで管理人をやっていた。

父と母と私と弟一家は3階に住んでいた。

つまり私は「管理人さんのお孫さん」として、マンションの住民や近所の人に認知され可愛がられていた。


おばちゃんは一人暮らしだった。

すらっと細身で、いつもきちんとお化粧をして、上品な服を着て、綺麗な人だった。

祖母がおばちゃんって呼びなさいと言って懐いてたけれど、幼稚園児の私から見たら確かにおばちゃんだったかもしれない。

でも今思えば、今の私の年齢より下ではなかったかとも思う。


おばちゃんは優しかった。

祖父母との散歩中道で会うと、にこにこして挨拶をして可愛がってくれた。

ある年のお正月、おばちゃんからお年玉を貰った。

私はわくわくしてポチ袋を開けた。そしてびっくりして口を開けた。

そこには伊藤博文が印刷された、千円札が入っていた。

今までお年玉やお小遣いは、小銭しか貰ったことがない。

初めて貰う紙のお金。これが私のお金!?とドキドキした。

幼稚園児にとって千円は大金だった。今の感覚でいうと百万円の束を貰った感覚だ。


父が家を購入して、私は幼稚園を卒園せずに引っ越した。

その家で祖父母と私たち家族、二世帯住宅で暮らした。

そして後々おばちゃんがどういう人だったのかを、祖母に聞くことになる。


おばちゃんは、誰もが知ってる有名暴力団組長の愛人だった。

組長が姿を隠す時は愛人の家に居ることが多いらしく、警察が来て「今から突撃するので」と、管理人の祖父母のところに来たことも何度かあるらしい。


でもあのマンションで、あの地域で、おばちゃんは避けられたり嫌われたりしていなかったように思う。

もちろんそういう人もいたのかもしれない。しかし少なくとも祖父母はおばちゃんに対してとても友好的だったのを、子供の肌感で感じていた。


しかしおばちゃんがどうして愛人になったかは分からないし、あれからおばちゃんがどうなったかも、今生きているのかもわからない。

おばちゃんが抱えていた孤独や寂しさなども、私が知り得ることなど出来ない。

いや、おばちゃんが不幸だったと誰が言えよう。おばちゃんは幸せだったかもしれない。

大人になった今、家賃やいつも着ている上質そうな服は組長のお金だったのかな、くらいまでは想像出来るが、おばちゃんの気持ちはわからない。

金銭的な理由で愛人になったのか?組長を本当に愛していたのか?などどうでもいいことで、推測するのは下品すぎる。

それはおばちゃん本人にしかわからないことで、他人が決めつけるのは傲慢だ。


しかし私の中のおばちゃんの真実はただ一つ。

記憶の中のおばちゃんは、うつくしくて優しくてどこか儚げな人だったということだ。

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