爽やかなメロディー

ねぎま

爽やかなメロディー

 ここ数日間、ある爽やかなメロディーが私の頭から離れない。


 どこかで聴いたこがあるかと問われれば、そんな気もしなくはない。かといって、具体的に何という曲の、どのあたりのメロディーなのかと問われても、明確に答えることはできない。


 そんな、もどかしさを抱えてすでに三日が過ぎようとしていた。

 私は友人のひとりNに、思い切ってこのことを打ち明けてみることにした。

 Nは大学の工学部で四年間共に研鑽を積んだ友人だ。

 音楽についての造詣が深い彼のことだから、きっと何か参考になる意見やアドバイスをしてくれるに違いない。

 早速彼に会うなり、私の脳裏から離れないメロディーを聴いてもらうことにした。


「♪ らーららら~ら~ ふ~ふふふふ~~ふ らりららふふふふふーー ら~ら~ららら~~ る~る~るるる~~ らりらりらーらーらあ~~~っ ♪」


 友人のNは私の口ずさむ、メロディーを真剣に聴いてくれた。やはり持つべきものは友だ。  

 僅か数秒ほどのメロディーだが、聴き終わったNの反応は曖昧ではっきりとしないものだった。

 聴いたことがあるよな、ないような……。でも、なんとも印象的で耳に残る不思議な旋律だ、とだけ答えるだけで、私の期待していた以上の解答は得られなかった。


 私はNに一応礼を言ってから、がっくりと肩を落とした。


 翌日、私はもうひとりの友人である大学の同級生で、現在は情報通信関連会社でシステムエンジニアとして働いているFにもそのメロディーを聴いてもらうことにした。


「♪ らーららら~ら~ ふ~ふふふふ~~ふ らりららふふふふふーー ら~ら~ららら~~ る~る~るるる~~ らりらりらーらーらあ~~~っ ♪」


 メロディーを聴き終えた、Fの答えもやはりNの答えと同じだった。


 どこかで聴いたことが有ると言われればそんな気もするが、初めて聴くような、だけど心に響く、とても魅力的なメロディーだね、と言うだけで埒が明かない。


 またしても私のもやもやが晴れることはなかった。

 しかし、その友人Fが別れ際に、そんなにそのメロディーが気になるのなら、解決 するいい方法があると、ひとつの策を授けてくれた。


 Fが言うには、鼻歌を吹き込むだけで、そのメロディーに最も近い曲を数曲ピックアップしてくれるインターネットのサイトがあるのだという。

 パソコンに疎い私には考えもつかなかったアイディアだった。


 私はFに感謝の意を伝え、早速自宅にある旧式のパソコンで、友人に教えてもらったサイトにアクセスしてみた。

 そのサイトは、初心者でも簡単に使いこなせるのが持ち味らしく、パソコンの操作に不慣れな私でも、画面に表示されたマイクに向かって鼻歌を口ずさむだけで早速結果が表示された。


 ところが、期待に胸を膨らませて結果を待っていた私に提示された回答は、またしても満足できるものではなかった。表示された結果は非情にも『該当する曲はありません』という冷徹な十一文字だった。


 念の為、私はその後何度も、繰り返し、繰り返し、メロディーをパソコンの画面に向かって口ずさんでみたが、その都度、『共通点のある曲が見つかりませんでした』だの『近似値一パーセント以上の曲は見当たりません』『あらゆるデータベースの中から、類似の楽曲は探し当てられませんでした』といった答えしか返ってこなかった。


 私は頭を抱えてしまった。


 コンピュータでも見つけられないなんて思ってみなかったからだ。

 遂に私は、このメロディーの正体が分からないままでは、死んでも死にきれないと思うほどにまで切羽詰まっていった。


 そして、私が最後の拠り所にしたのも、インターネットの世界だった。

 かたっぱしからありとあらゆるSNSに、私が吹き込んだ音源や、その曲を口ずさんだ映像をアップしまくったのだ。

 これでダメだったら、もう諦めるより他にないと腹をくくった。


 私の口ずさむメロディーは、瞬く間にSNSを見たり聴いたりした世界中の多くの人々から、事前に想定していたよりも遥かに多くの反応が返ってきた。


 しかし、そのほとんどが、「いい曲ですね」とか「爽やかで心が癒やされます」「私のお気に入りのメロディーです」「あなたは作曲の才能に恵まれてます」といった類のコメントばかりで、肝心の私が知りたかった満足のいく答えは遂に得られなかった。

 私が知りたいのはこのメロディーの曲名……いや、このメロディーに関する僅かなヒントだけでもいいのだ、ただそれだけが唯一私の望みだったというのに……。


 それから数日経ったある日。私をずっと悩ませ続けてきたメロディーの正体が、思いも寄らぬ人からもたらされることになった。


 当の本人が半ばあきらめかけていた、ある日のこと。

 田舎で一人暮らしをしている母が突然私の部屋を訪れてきた。私の好物の、笹で巻いたヨモギ団子をたくさん作ったから持てきたのだという。


「わざわざ、遠路はるばる電車賃まで使って持ってくることないのに。宅配で送れば済むことじゃん」

「宅配便で送ってもよかったけど、そう日持ちのするものでもないし、できれば早く食べてもらおうと思ってね。それに母親が、自分の息子の顔を拝みに来て悪い理由がどこにあるっていうの?」


 母はそういうと私の部屋に上がり、駅前のスーパーで買ってきた食材で勝手に夕飯の支度を始めた。私は食卓代わりに使っているローテーブルに肩肘をついてしばらくの間、母の話す近況を聞きながら夕飯の準備が整うのを待った。


 夕飯は、久しぶりに母の作った手料理を堪能して、締めは母の持ってきた笹に巻かれた餅を食べてその日の夕飯を終えたときは、満腹感で好物の餅もしばらく見たくない気分だった。


 母は、泊まっていけばという私の言葉を断り、帰りは新幹線の最終でその日の内に田舎に帰るという。


 その後は母がアパートを出る時間まで、夕飯で使った食器類を母と二人してシンクで洗うことになった。

 そこで、私は自分でも気づかずに例のメロディーを口ずさんでいたらしい。


 すると、母が突然それまで食器を洗っていた手を止め、水道から流れ落ちる水の音だけが狭いキッチに鳴り響いた。


 私は母の異変に気づき、横を向いて母を見やった。

 母は目を閉じ、なにか感慨深げに少し顔を上に向けている。こんな母の表情を見るのは初めてかもしれない。

 すると、瞼を閉じた母の目から一筋の涙がこぼれ落ちてきた。


「あんた、その曲どこで?」

「えっ、母さん、もしかしてこの曲知ってるの?」

「知ってるもなにも、わたしとあの人――あんたのお父さんとを結びつけたきっかけの曲よ。ほらあの人、とっても照れ屋ことは覚えているでしょ。もう随分前のことだけど昨日のように鮮明に覚えているわ。あの人がわたしにプロポーズする時に……多分恥ずかしかったんでしょうね。プロポーズの言葉にメロディーをつけて唄ってくれたのよ、オンボロギター抱えてね。今あんたが口ずさんだメロディーが、その時あの人が唄ってくれた歌のメロディーよ」


 ……ってことは、ええええーっ!?


 ようやく答えにたどり着いたぞ!


「あの親父がそんな……」

「あの人、ああ見えて結構ロマンチックなとこがあるのよ。顔はあんなだったけど」

「そりゃひどい。あの世の親父が聞いてたら激高して暴れまくっているぞ、きっと」

「ふふふ……あの人にそんな度胸があるもんですか」

 そう、うそぶく母の横顔はなんだか嬉しそうで、十年も前に亡くなった夫のことを思い浮かべているのだろうか。


「ちなみに歌詞は? プロポーズの言葉だったんだろ?」

「それは、ヒ・ミ・ツ!」

「おいこら、母親でなければぶっ飛ばしているぞ!」

 私は手に拳を作って母の顔の前にちらつかせた。


「プロポーズの言葉は――歌詞のほうね――一言一句よ~く覚えているんだけど、メロディーのほうはどうしてなのか、きれいさっぱり記憶から飛んじゃっていたのよ。それを今あんたが口ずさんだもんだから、ビックリしちゃって。やっと長年の靄が晴れたようだわ」

 ビックリしたのは私も同じだ。


「でも、不思議よね。わたしとあの人、二人しか知らないはずの歌なのに、息子のあんたが知ってるなんてどうしてかしら」


 私は、その時ようやくあのメロディーがどうして私の頭から離れなかったのか、その理由を思いだしたのだった。


「そうか! そうだったのか!」


 親父がまだ元気だった頃、主に書斎として使っていた物置部屋が実家にはあった。 その部屋にまだ小さかった私が入ってくると、親父は決まってあの曲を唄い、私はその曲を聴かせられたのだった。


 まだ幼稚園か小学校の低学年だった頃の話だ。

 多分、幼い私は歌詞のことはさっぱり理解できないが、メロディーだけは何度も何度も聞かされてる内、自然と耳にこびりついていったに違いない。

 きっと親父もこの歌を気に入っていて、私に聴かせたくてしょうがなかったのかも。

 チューニングも外れてボロボロのアコースティックギターを弾きながら、得意気に唄う親父のシルエットが浮かんできた。


「たまには、あんたも実家に帰ってらっしゃい。仏壇で手を合わせればあの人だって喜ぶわ、きっと。ああ、ちょうど来月の十三日はあの人の命日じゃない。その時に私とあんたでプロポーズの時にあの人が唄ってくれた歌を唄いましょうよ?」

「だって、歌詞は……」

「そうね、歌詞はその時教えてあげる。今風にいうと、かなりイタい歌詞なんだけど、故人の供養にもなると思うから、きっとあの人も喜んでくれるはずよ」


 いや、それは無いな。

 照れ屋で小心者のあの親父のことだ「おいおい、もうそろそろ、いい加減しないか! 耳障りでへんてこなその歌を唄うのだけは止してくれ!」

 ……って土下座してるぜ。


                                 〈了〉


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爽やかなメロディー ねぎま @komukomu39

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