3-8 一期一会

 目が覚めると、いつの間にか進んでいる方向が先程までと逆になっていた。読書に夢中になっていた美柚に、慌てて立ち上がって問いかける。


「なんで後ろ向きに進んでるんだ?まさか、寝過ごして折り返してしまったとか・・・・・・?」

「さっき停まった駅で方向転換したみたいですよ。」


 美柚曰く、十和田南という途中駅で進行方向が変わる案内があり、その駅を少し前に出発したようだった。安堵して腰を下ろす。春哉から貰った紙の行程表では終点まであと30分くらいだ。川沿いと反対側の窓ガラスには、バサバサと木々の枝が当たっている。


「美柚ちゃん、1つ聞いてもいい?」


 彼女は「はい、何でしょうか?」と素朴な顔で聞き返す。


「俺と初めて会った時から、あまり関わりたくないなって思ったことある?」

「最初は少し怖かったですけど、嫌だと思ったことはないですよ。どうしてですか?」

「俺、幼馴染や高校時代の友達がみんな彼女できてるのが羨ましくて、モテたいと必死になっていたんだ。だけど、その気持ちが強くなりすぎてるせいなのか、女子を前にすると振る舞いがおかしくなったり、何かと失敗することが多いように感じるんだ。遠慮せずに言って構わないから、俺に足りないものが何なのか占いの力も使って教えてくれないかな?」


 年下の子にこんなことを聞くのは恥ずかしいが、美柚なら真剣に向き合ってくれるかもしれない。彼女は手元の本をパラパラと捲り、少し考えて答えた。


「稔さんは少々ルーズな性格ですが、生まれつきの性格なので直すのはなかなか難しいと思います。それを直そうと意識して行動するだけでも運勢は変わってきますよ。その上で、日頃から人のために行動していくことが大事です」

「人のために行動すること?」

「分け隔てなく人のためになるようなことを続けて謙虚でいれば、運も味方に付いてくれます。ゴミを拾ったり席を譲ったり、小さなことでもいいので始めてみてはどうでしょうか」


 振り返ってみれば、そのようなことを意識したことはあまりない。自分のことで精一杯で、思うようにいかず自己嫌悪に陥ったり、他人のせいにしてきたところがある。さっき盛岡で美柚を助けるのに一役買ったが、普段から他人のために俺のできることはあるのだろうか。


「稔さんは運動神経が良くて色んな特技があると伺ったので、それらも是非見てみたいなって思いました」

「まあ、そのうちな・・・・・・」


 中学高校の部活で技術を培った柔道だけでなく、陸上やマジック、ギターなど、習い事や独学で身に着けた特技は多々あった。しかし、柔道とアウモン以外はどれも長続きせず、今では宝の持ち腐れとなっている。これらが脚光を浴びる機会は来るのだろうか。


 車窓には少しずつ道路や建物が増えてきた。線路沿いの道を散歩するお爺ちゃんと秋田犬の姿を見つけて美柚が反応をみせる。


「あっ、秋田犬!あんなに大きいんですね。可愛い!」


 小さく手を振りながら、美柚は秋田犬に別れを告げる。その仕草に胸の鼓動がはやくなる。この笑顔を守ることが、俺にアドバイスをくれたから彼女への恩返しになるだろう。

 そんなことを思っていると、終点の大館へ15:25に到着した。



 向かい側のホームにはピンクと紫の帯をまとった奥羽本線の普通弘前行きが停車しており、3分の接続で大館を後にする。


 青森県との県境にそびえ立つ峠を越えて以降も車内は閑散としていたが、大鰐温泉おおわにおんせんから突然たくさんの幼稚園児が乗り込んできた。それまで静かだった車内が一気に賑やかになる。終点まであと10分弱だが、この子達へ譲ってあげよう。


「あの、もしよかったら座ってください」

「すみません、ありがとうございます!」


 美柚も一緒に席を立つと、引率の先生が申し訳なさそうに頭を下げて数人の園児を座席へと誘導する。子ども達も「ありがとうございます!」とお礼をして席へ座った。

 吊り革に掴まりながら、美柚と小声で話す。


「電車で遠足ですかね?」

「うん、きっぷの買い方とかも勉強させているみたいだね。俺が小さいときにもあってほしかったな」


 園児達の様子を伺うと、足をぶらぶらさせて大人しく座っている子もいれば、膝をついて窓にへばりつき「うぉー!はえぇー!」と興奮している子もいる。

 子ども達の行動を一人ずつ観察していると、美柚に肩を軽く叩かれた。


「稔さん、あの子あまり楽しそうにしていないですよね。何かあったのでしょうか?」


 彼女の目線の先には、誰とも話さずにふてくされて座っている女の子の姿があった。先生達は他の子への対応で視界に入っていないようだ。


「ホントだ。どうしたんだろう」

「話だけでも聞いてみましょう」


 俺たちはその女の子の元へ近づき、美柚がそっと声をかけた。


「どうしたの?遠足楽しくなかったの?」


 一瞬だけこちらを見ると、女の子は再び視線を落として呟いた。


「・・・・・・私だけおやつなかったの。みんないっぱい持ってきてたのに、ママがケチだから・・・・・・」

「そっか。おやつ食べられなかったんだね・・・・・・」


 女の子に同情しつつ、美柚はこちらをチラリと覗きこむ。この子を助けてあげたいけどどうしよう、と言っているように見える。

 確かにこのまま家に帰っては、この子にとってせっかくの遠足が台無しになってしまう。


 何とかしてあげたいと考え、俺はリュックのファスナーを開けて中身をゴソゴソと漁る。すると、まだ封を開けていない小ぶりの薄皮饅頭を見つけた。

 昨夜、郡山で駅弁を手に入れた後に目に留まって購入した銘菓である。幸いにもリュックの中で潰れていなかったようだ。和菓子が好きな美柚を喜ばせようと買ったものだが、今はこの子にあげるべきなのかもしれない。


 しかし、ただあげるだけでは怪しい人だと警戒されるかもしれないので、せっかくなら何か楽しませる要素も入れたい。多少のためらいはありつつも膝をついてしゃがみ女の子へ声をかけた。


「そうだ、お兄ちゃんが特別に凄いもの見せるね」


 女の子はハテナマークを浮かべながらも、こくりと小さく頷く。

 俺は両手のひらをじっくりと見せてから、彼女へ説明した。


「ここには何もないよね?今から左手をお皿にして、右手で蓋を上から被るよ。そしたら、蓋のほうを2回軽く叩いてみて」


 俺が両手で皿と蓋を作ると、歩美は俺の説明通りにポンポンと右手の蓋を叩く。それを受けて右手の蓋を開けると、左手の皿には薄皮饅頭が乗っていた。


「うおお、スゲー!」


 隣に座っていた別の園児が驚きを見せているが、女の子は黙ったまま目を見開いている。


 あれ?面白くなかったのかな?


 多少不安になりつつも「はい、どうぞ」と饅頭を差し出す。女の子はそれを受け取ると、明るい表情になり返事をした。


「お兄ちゃん、ありがとう!」

 ああ、喜んでもらえたようでよかった。


 彼女が笑顔になって俺も嬉しくなる。その様子を美柚も微笑みながら見届けてくれていた。すると、周りの園児達が興奮して次第に騒ぎ始める。


「歩美ちゃん、いいなぁ!私も欲しい!」

「他にも凄いの見せてよ!」


 ちびっ子たちの強いおねだりにたじろぐが、その様子に気付いた若い先生が制止に入る。


「こら、お客さんの迷惑になるから静かにしなさい。騒がしくてすみません」

「いえいえ、大丈夫ですよ。こちらこそ、勝手に手品を見せてしまって申し訳ないです」

「そんなことないですよ。凄いですね。この子たちにとっていい思い出になったと思います!ありがとうございました」


 先生がお礼を伝えると列車は減速をし始め、車掌からのアナウンスが入った。


『ご乗車ありがとうございました。間もなく終点の弘前です。お忘れ物のなさいませんようご注意ください』


「みんな!もうすぐ着くよ!手を繋いで降りようね」


 到着を告げる放送を耳にし、先生が園児達へ号令をかける。すると、さっきの女の子が美柚の元へ近寄って何かを手渡した。


「これ、先生に教えてもらって作ったの。お姉ちゃんたちにあげるね!」


 しゃがんで受け取った美柚の手元を覗き込むと、赤と黄緑の折り紙で作った2種類のりんごが入っていた。美柚は優しい笑顔で返事をする。


「ありがとう!大事にするね。気を付けて帰ってね!」


 女の子は「うん!」と大きく頷く。俺からも「ありがとう」とお礼を伝えたが、彼女は照れくさかったのかモジモジしながら無言で一礼して席へ戻り、他の園児たちと手を繋いで降りる準備をしていた。


 弘前に定刻通り16:11に到着すると、園児達がこちらへ手を振りながら次々と降車していく。俺たちは温かい心でその様子を見届け、次に乗る列車がいるホームへと向かった。

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