第10話 ミッカイ

「暇なんだよ、クレアは」

「は?」


予想外の言葉は、耳を通過してしまって頭に留まらない。


「え。それって、どういう……」


何度か瞬きをしながら尋ねると、ススーは愉しそうにケラケラと笑う。


「一人の時間が長すぎて、構い倒せる相手を探してんだよ。ボクもきっとその一人」

「えー、そんなことって……」


あるんだろうか。

最低でも300年だ。

そんな長い刻を、一人でいたら?

……想像もできない。


「精霊ってだけで、怖がられることもあるからね。話をしてくれる時点で、もう嬉しいんだよ」


ススーは冗談めかしながら、背泳ぎのように辺りを飛ぶ。


「それに、クレアが人に触れたとこも初めて見たかも」

「あ。さっきの?」

「うん」


手が触れた瞬間感じた、あの不思議な感覚。

熱くもなければ、冷たくもなくて、心地よさだけがじわりと残っていた。

隣では、真羽が短い溜息を零した。


「何か、少しだけ納得したかも」

「納得? したの?」

「ああ。ちょっとだけ」

「お役に立てたなら何よりだよ~」


ススーはニコニコしながら、今度はクロールのように宙を泳いで戻ってくる。


「さてっと。じゃあ、アエルにはボクからプレゼントだよ」


そう言って、ススーはさっき持って帰ってきた葉っぱの包みを開いた。

一瞬だけ、びくりと肩を揺らしてしまう。

……よかった。虫じゃなかった。


「虫じゃなくてよかったな」


思ってることを見透かしたように、真羽が口の端を歪める。


「ボクを何だと思ってんのさ」


さして怒った風でもなく、ススーは笑いながら飴玉のような丸い何かを抱えて差し出した。


「これ、なあに?」

「花の蜜塊みっかい

「密会?」

「逢。多分違うぞ」


ハテナがいっぱい飛ぶ私の鼻先に、ススーは抱えたそのミッカイとやらを持ってくる。

ふわりと甘い香りが掠めて、思わずゆっくり息を吸い込んだ。


「いい香り!」

「でしょ。花の蜜をね、集めて塊みたいに丸めるんだよ」

「やっぱり、お前が虫か」

「マハネはいらないっと。よかったね、アエル。食べる分が増えたよ」


ドライな言葉に笑っていると、私の手の上に一粒載せてくれる。


「もっと美味しいご馳走用意してあげたかったんだけど、ごめんね」

「ううん、ありがとう。頂くね」


コロンとその飴玉のような蜜塊を口に入れると、甘さを凝縮したような花の香りが広がっていく。

蜂蜜ともまた違う、優しくて穏やかな甘さ。


「美味しいっ! え、これ、すっごい美味しいよ」

「でしょ? 妖精にとっては、非常食みたいなものなんだ」


非常食……、栄養源とは別のものってことかな。

妖精だけが作れるんだとしたら、すごく貴重なものを口にしてしまったようだ。


「どうしよう、ほんと美味しい~」


ころころと口の中を転がせば、心がとろけるように満たされていく。

羽から溢れるような光を零しながら、ススーは妖艶に微笑んだ。


「でも、アエルの笑顔の方が美味しいよ」


途端に隣から腕が伸びてきて、真羽が両腕で私を隠すように包み込む。


「見んな、コラ」

「もう見ちゃったもん」

「だっ、か、ら~そういうの、やめて~」


これはもう、慣れるしかないのかもしれない。

いちいち反応するから、真羽の機嫌も悪くなるんだし。


「真羽も一つ貰ったら? ほんと美味しいよ」

「や、俺はいい」

「ボク、優しいからあげるよ~。意地張ってもお腹は空くでしょ」


真羽は腕の中の私をちらりと見ると、ふいっと視線を逸らした。


「お前が食っとけ。少しでも多く」


真羽のこういう優しさに触れるたび、ああ、もうってなる。

私達は対等なはずなのに、やっぱり真羽はどこか違う。

小さい頃は嬉しく思ったりもしちゃったけど、やっぱりここは……。


「ススー! それ1つちょうだい!」

「はあい」

「真羽、ほら口開けて!」

「お前なっ」


ばっと取って、がっと押さえて、ねじ込めば、真羽は吐き出すことはせず、諦めたように蜜塊を口の中で転がし始めた。

……感想は、言わなかったけど。

こんな美味しいものを無言で食べるのもどうかと思うけど。

でも、食べさせただけで満足です。


「二人のお腹には溜まらないかもしれないけど、甘いものは幸せになるでしょ」

「うん!」


ススーもまた満足そうに、口に放り込まれた真羽をニヤニヤと眺めている。

誕生日に、妖精の秘伝的な素敵なものを食べられたんだ。

それだけで、今日はもう良しとしたい。

ごろんと転がると、木々の合間から空が見えた。


「星、凄い……」


降り注ぎそうな夜空に目を奪われていると、口の中の蜜塊を噛み砕いた真羽も隣に転がる。


「ボクもここで寝るから、安心して眠ってね」

「や、お前はどっかで寝ろよ」

「やだよ。アエルの近くにいたいのは、ボクも一緒です~」


真羽は溜め息を吐くと、眉根を寄せた。


「アエルに潰されても知らんぞ?」

「え……もしかして、寝相悪いの? 可愛いんですけど」

「妖精ジョークか? 笑えねえ」


もうね、何を言っていいか分からない。

けど、ススーが近くにいてくれるっていうのは、何だかちょっと安心だった。

お腹が、というより、心が少し満たされたのもあるのかもしれない。


ここは、ラフレシア。

どこか遠くにある世界。

けれど、絶対にどこかで繋がっている確信はある。


「眠れなくても、目ぇ閉じとけよ」

「うん。分かってる」


真羽はいつもそう言う。

眠らなくても、身体は休まるからとか。

隣から聞こえる声だけは、真羽。

姿は別人。自分もそう。

意味は分からないけど、それを受け入れている自分がここにいる。

これが、全部夢だったら……いいのになあ。


無意識に伸ばした手を、真羽が繋いでくれる。

小さい頃から変わらない。

いくつになっても、別々に寝るのも、一緒に寝るのも、何の違和感もない。

ここがどこでも、私達の日常は変わらない。

そのことだけが、救いだった。


思いのほか疲れていたのか、その後のことは覚えていない。

次に目を覚ますのは、隣から妙な声が聞こえてきた時だった…─

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