第9話 泉の主
「人間が召し上がるようなものを、ご用意できないんです」
真羽がこちらを見るのと同時に、私も片割れを見ていた。
もっと深刻なことかと思っていただけに、安堵の方が増す。
「飲み水を頂けるだけで十分ですよ」
「ほんと、それ」
明日になれば街に行けることも分かっている。
1日くらい、何とかなるはず。
「ですが、それでは、
「ボク、何か探してくるよ!」
ススーがふわりと舞い上がって、私達とクレアの間を縫うように飛ぶ。
「クレアは泉から動けないし。貰ってばっかじゃ、割に合わないでしょ?」
「でも、ススー」
「また後でね!」
大丈夫かな……。その言葉しか思い浮かばなかった。
ちらりと真羽を窺うと、小さく肩をすくめてみせる。
「何とかするんじゃね?」
「も~、またそういう……。あの子さっきまでよわよわだったのに、心配しかないよ」
私の溜め息に、クレアは綺麗な吐息で小さく笑う。
「ススーは決して弱いわけではないので、大丈夫ですよ」
「そう、なの?」
「ええ。お二人は、こちらにどうぞ」
クレアが泉の水面をつまんで持ち上げると、水が引っ張られるように大きなベッドが姿を現す。
「わ、凄い」
「泉のほとりには花が沢山ありますし、動物が来ることもあります。泉の上なら安心して眠れるかと」
「ありがとう、クレア」
水のテーブルセットから、ぴょんとベッドへ飛び移る。
その途端、足が柔らかな感触に包まれて、前のめりにベッドへと倒れ込んだ。
「大丈夫か?」
「真羽! ウォーターベッドだよ!」
がばっと起きて、真羽を振り返る。
「まあ、水で出来てるもんな」
「そうじゃなくて」
「分かってるよ」
大きく跨いでベッドに移った真羽は、何度か足先でベッド感触を確かめてから胡坐をかいた。
「大きいねえ、ダブルベッド?」
「キングサイズくらいありそうだな」
「……お気に召して頂けましたか?」
私達の反応を心配そうに見守っていたクレアが、おずおずと尋ねてくる。
真羽がにこりと微笑むと、クレアが一瞬沸いた気がした。
「知り合ったばかりなのに、お気遣い感謝します」
「あの! あの、マハネ様……どうか、アエルと同じように接して頂けると嬉しいのですが」
真羽の眉が僅かに下がる。
あ。これ、ちょっと困ってる顔だ……。
「あのね、クレアが『様付け』で呼ぶからじゃないかな。敬語で話しかけられると、同じように返しちゃうんだよ、真羽は」
「え。でも、私……この300年ほどずっとこうですし、いきなりは」
年齢の桁が違った件……。
隣で真羽の肩が小刻みに揺れ始める。
どうやら、ツボったご様子です。
「きっと……慣れてきたらフランクになるから、待っててもらえる?」
込み上げる笑いの止まらない真羽に変わって伝えると、クレアの唇がゆっくりと弧を描く。
美しい微笑は思わず目を奪われるほどで、私の方がドキドキしちゃうのに……この男。
声を殺して笑いすぎたのか、しまいにはむせはじめたので、クレアが慌ててお水を渡す事態になっていた。
そうこうしているうちに、薄暗かった森はそれよりも深い闇に飲まれていくように暗くなり…─
暗くなるその瞬間は、あまりに怖くて思わず真羽の手を握っていた。
けれど、今は、もう怖くない。
クレアの泉が、ぽうっと淡く発光しているから。
「凄いね……何もかも、不思議だらけ」
「魚いないんだよな、この泉」
「あ。ほんとだ」
だから、食べ物用意できないって言ったのかな。
泉からも出られないってススーも言ってたし。
光を帯びている水面を覗き込むと、自分と真羽が映るばかりで底は見えない。
水草も生えていない。
生き物が棲まない泉。
クレアは暗闇になった瞬間から姿を見せないし、何だか背筋がぞくりとする。
「寒いか?」
「ううん。違う」
怖い。それを言葉にしてしまったら、何かに吞まれてしまいそうで口にできない。
真羽は軽く息をつくと、肩先でとんと小突いてくる。
こっちは、多分痛くない方の肩。
「一緒に寝んのも久々だな」
「そだね。ベッド1つしかないな~って笑いそうになっちゃった」
「あるだけありがたいけどな」
「うん、ほんと」
泉に浮かぶウォーターベッド。
私達のためにわざわざ用意してくれるなんて、いい人だと思う。ん、いい精霊?
疑うのをやめようと思っても、この感覚をどう言葉にしたらいいのか分からなかった。
このへんてこな世界に迷い込んでから、最初の夜。
今日は、二十歳の誕生日で……今頃美味しいご馳走とお酒を楽しんでるはずだったんだ。
と、その時。
ぐうとあまりに気の抜けた音が辺りに響いた。
「……ごめ」
「まあ、そうだよな」
真羽は特に笑うこともなく頷いた。
「あんま考えないようにしとけ。あの妖精が何か持ってくるかもだし」
「ススー?」
「そう。随分、お前に熱心だったから」
何かを思い出したように、眉を寄せる真羽の肩先をとんと肩で押し返す。
「助けたから、懐いてるだけじゃない?」
「それだけじゃあ、ないんだけどな」
「ひゃ!」
耳元で突然甘い声がして、変な声が零れる。
思わず耳を手で塞ぐと、笑いながらススーが飛んでいた。
「いつ戻ったの~」
「今だよ」
腕には葉っぱで包んだ何かを抱えている。
「お腹の足しにもなんないかもだけど、少しだけ集められたから。って、あれ? クレアは?」
何を集めたかを言う前に、ススーは辺りをきょろきょろと見回した。
「暗くなった辺りから、いなくなっちゃった」
「そっかあ」
さして不思議でもなさそうに、ススーは間延びした返事をする。
真羽は少し考えるようにすると、飛んでるススーを目で追った。
「あのさ。お前に聞きたいことがあるんだけど」
「ん? マハネが? ボクに?」
「ああ」
「なあに?」
ススーがマハネの鼻先まで下りてくる。
「あのさ。失礼だったら、ごめんな。でも、聞いときたい」
「うん?」
「お前がアエルに懐くのは、まあ分かる。命を助けられたからとか何とか。けど……、彼女の目的が分からない」
それは、私も少し思っていた。
だから余計にちょっと怖いんだ。
けれど、その善意に縋らないわけにいかない自分達の状況もまたあれだけど。
「友人を助けたから? 見知らぬ俺達に何であんなにしてくれるわけ?」
「一目惚れじゃないかなって、私は思ってるんだけど」
「寝ぼけてんのか、お前」
言い合う私達の前で、ススーは少し眉を下げながら八の字に飛び回る。
「んーとね」
光の筋を残しながら飛ぶススーを目で追っていく。
ススーはふわりと宙で止まって、小さな笑みを覗かせた。
「暇なんだよ、クレアは」
「は?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます