第2話 蝶のような

「どこ。どこから……!」

「お前の声がうるせえよ」


真羽が聞こえるという子供の泣き声は、まだ私には聞こえない。


「迷子かもしれない!」

「は?」

「私達と同じように、ここに来てたとしたら?」


もし、もしも私達と同じ境遇の子供がいたなら、そんなの見過ごせない。

真羽は静かに立ち上がって、手についた土を払う。

伏し目がちに耳を澄ましたかと思うと、奥にある二股の木の方へと視線を向けた。


「あっちだ」

「……真羽。何か、背ぇ伸びた?」

「視界良好だな。眼鏡もいらん」


そういえば、眼鏡をしてないのに目付きが悪くなってない真羽も久々だ。

今は、それどころじゃないけれど。


先に歩き出す真羽の少し後ろを、逸る気持ちを押さえて付いていく。

何度か立ち止まりながら確認していくのさえ、もどかしく感じる。

と、次の瞬間、聞き慣れない声が耳に届いた。


「ぅ……っ、く……」


途切れ途切れに聞こえてくるのは、幼児の泣き声のそれではない。

まるで何かに耐えるような苦しそうな声。

胸の奥がぎゅっとなる。

私は森の下草を踏みしめて、真羽の隣へと並ぶ。


「もしかして、子供ってほど幼くなくない?」

「うん。でも、大人じゃあないだろ」

「そうだね」


子供か大人かという定義なら、確かに子供だ。

それも、多分男の子。

声変わりはしてるけど、きっとまだ若い……。


「怪我、してるのかも」


気だけ急いて、真羽よりも前に出て歩き始めると、纏っていたケープをぐっと掴まれる。

ここに来てから、見た目どころか着ていた服も全部変わっている。

旅人の服、とでも言えばしっくりくるような……そんな形状。

後ろに引かれた身体で振り返りながら見上げると、真羽は眉を寄せていた。


「前見ろ、川だ」


一歩先の足元には、草の陰に隠れた清流があった。

数歩あれば渡れそうな小川で、流れは速くないし、川底も見える。

源流と言った感じだ。


「ほんとだ……、ありがと」


きっと真羽と私では見えているものの角度が違う。

全然気づかなかった。

踏み出そうとしていた足を引いて、ふと顔を上げる。


「あれ?」

「どした」

「声が、やんだ」


背筋をぞくりと何かが駆け上がる。

怖いことが起きたんじゃなければいい。

けれど、胸がざわついて仕方がない。


「ねえ! 大丈夫!? どこか痛いの?」


私は姿の見えない少年に向けて、辺り一帯に問いかける。

自分の声が森の中を渡って、返ってきたのは小川のせせらぎだけだった。


「見つけたのか?」

「ううん。真羽、ちょっと屈んでて」

「りょ」


その場にコンパクトにしゃがむ真羽を横目に映して、もう一度辺りに話しかける。

背の高い男性は警戒されやすい。

もしも知らない人に怯えているんだとしたら、声音は穏やかに、緩やかな抑揚をつけて……。


「大丈夫だよ、この人も私も何もしない。声が聞こえたから来たの。もしかして、迷子?」

「……ううん」


答えた! 思ったよりも近い。

焦りを隠して、ゆっくりと森の緑の中に目を凝らす。


「私は あえる。あなたは?」


少しの間が空く。

名前を聞いたのは唐突だったかと思いながら、彼からの返事を待つと…─


「……助、けて」


掠れた声が近くで響いて、ずくんと胸の奥が痛む。

動揺に鼓動が早くなって棒立ちになると、くんと真羽に服の裾を引かれた。


「待って、真羽。今……」

「ここ、見て」


足元で小さくなっている真羽が、幾重にも重なっている大きな葉っぱを指差す。

その指先を追うようにしゃがんで覗き込んだ私は、目を見張った。


「え……?」


そこにいたのは、多分声の主で。

手の平くらいしかない……、人。

人、なのかな。

背には蝶のような羽がついている。


それは、お伽話の中でしか見たことのないのに、誰もが知っている。

『妖精』と言われている存在だった。

背中の羽は力なく萎み、肩で息をしている。


「だ、いじょうぶ?」


指を伸ばそうとして、宙で止める。

触ってもいいのかどうかも分からない。

人が触れた途端、消えたり死んじゃったりしないか不安になってくる。


でも、助けてって言っていた。

言葉も通じる。

このまま放ってなんておけない。


「どこが痛む? 胸か? 背中?」


先に動いたのは真羽だった。

羽織っていたフード付きのガウンを脱ぐと、そっとその妖精をくるんだ。


「俺は真羽 まはね。名前は? 言えるか?」


妖精が薄らと目を開けると、アメジストのような紫の瞳が覗いた。


「う……」


金髪と同じ色の眉を寄せ、真羽を見据える。


「……ススー」

「え?」

「ススッルス・バーチョ」


真羽の手の上で掠れた声を出し、痛みに耐えるように身体を二つに折る。

真羽は、真顔で私の顔を見た。


「……思ったより長かったな」

「ちょ、真羽」


こんな状況なのに、思わず吹き出してしまう。

途端、ススーと名乗る妖精がぴくりと身じろいだ。


「あれ?」


萎れた花のようだった羽が、微かに光を帯びていく。

青ざめていた顔にも、仄かな赤みが差した気がした。


「え、何……」


戸惑っている私を捉えて、潤んだアメジストの瞳が淡く微笑む。

妖精とは、見目麗しい種族なんだろうか。

その魅惑的な笑みに、思わずどきっと胸が騒いだ。


「何だ、こいつ」

「大丈夫、そう?」


少し不機嫌そうな真羽の手元を覗き込みながら、ちょっとホッとする。

さっきまで息絶えてしまいそうだったのに、笑えるのはいいことだ。

困惑しながらもぎこちない笑みを向けると、彼の羽がぱあっと七色に輝き始めて…─


「女神様っ!!」

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