ストーカー系女子とアンニュイ系男子の攻防戦
緋色
そして火蓋は切られた
回避できない事態は、割とそこかしこに転がっているものだ。
交通事故、天災、軽いものなら不意の通り雨とか。
予想外であればあるほど、それに遭遇した時に対応はしづらい。
でも例えば、通販で買ったプラモデルが、土曜の朝に自分の安アパートに届いたとしよう。
わくわくして開けた段ボールの中から、女の子が出てきたとしたらどうだろう。
それも、近くのお嬢様学校のブレザーに身を包んだ美少女が、潤んだ目で見上げてくるとしたら?
頭が真っ白になって行動できなくなると思う。
けれど、俺は違った。
冷静に、開けたばかりの蓋を即座に閉め、ガムテープで封印した。
「一分の一女子高生なんて頼んでねえぞ!?」
身を引いて叫んだ途端、ざんっ! と中からアーミーナイフの刃が今張ったばかりのガムテープを貫いた。
そして、勢いよく動いて段ボールの蓋部分を切り裂いていく。それはさながら、昔に流行った映画の人食い鮫が、戦慄のBGMとともに海を割る様に似ていた。
役目を果たしたアーミーナイフは内側に引っ込むと、今度は段ボールの蓋を押し開けながら女の子が勢いよく立ち上がった。
「なんで閉めんのよ!?」
「またお前か!」
飛び出してきた女子高生は美少女の印象にふさわしく、恐ろしく容姿が整っていた。つややかなボブカット、豊かな胸、くびれた腰、モデルと言っても誰も疑わない。
今その表情は怒りの赤に染まっており、手に持ったアーミーナイフも合わさって、刃傷沙汰に発展してもおかしくない。
だが俺は、そんなものでは怯みはしない。怒りと言う点では、負けてはいないからだ。
「俺が頼んだHGハイパークライシストーカー、どこにやった! 返せ、俺のハニー!」
「ストーカーもハニーもあたしでいいじゃない!?」
「ハイパー・クライシス・トーカー! ストーカーちゃうわ! てか、道理で箱が大きくて重いと思ったんだ! 腰いわせるかと思ったぞ!」
「失礼なこと言わないでよ! お姫様抱っこしてしてもらえるよう、ちゃんと節制してるんだから! でも運んでもらってる時、ちょっとドキドキして嬉しかった!」
「すいません、警察ですか。不法侵入者が」
「あーもー、それなし! いいわよ、今回は引き下がるわ! もっと痩せてくる!」
「無理なダイエットはしない方がいいぞ」
「優しい! 録音したから後で何度でも聞き返す!」
「おーまーえーはー!」
彼女は段ボールに入れていた靴を履いて、部屋を出て行った。
いきなり、しん、と静まり返る部屋。
「……はあ」
寺島幸人、二十三歳、一人暮らしのしがないプログラマー。
休日にプラモデルを組み立てるのが趣味の、容姿も性格も生活力も貯金も平々凡々な俺は、いつのころからか、先ほどの美少女、竜禅寺美咲にストーカーされていた。
今までにも同じようなことがあり、その度に追い返しているわけだが。
「いつか無断で婚姻届けを出されそうだ」
ぶるり、と身体が震えた。
と、ふと気づく。
「あれ。俺のハニー、結局どうなった?」
その疑問は次の日に解決された。
まーた来やがったのだ、竜禅寺が。
普通にインターホンを鳴らして、ハニーを渡しに来たと言われれば、ドアを開けざるを得なかった。
とは言っても、ドアチェーンをかけたままだが。
「ちょっとお、ちゃんと開けてよ!?」
「開けてるだろが。ほれ、寄越せよ」
そこで返って来たのは、勝ち誇った表情だった。
彼女が取り出した箱は、縦にドアの間を潜ろうとして……がつっ、と僅かに幅が足りずに動きを止めた。
舌打ちした俺と、ニヤニヤ笑いの竜禅寺の視線が交錯する。
そんな笑みでも魅力的に見えるのだから、美少女と言うとは得である。
俺は仕方なしに一度ドアを閉めると、チェーンを外してまたドアを開けた。
「お届けもので〜す」
「……どうも」
嬉しそうに、手の箱ごと身体を玄関に乗り込ませて来た竜禅寺。
舌打ちしながら受け取る俺。
竜禅寺は後ろ手に玄関の鍵を閉めた。
「おい」
「さあっ、どうぞ! メチャメチャにしていいわよ!」
「何をだ!」
「もちろんあたしの全部をよ! 破いても壊してもいいからね!」
外に響きそうな声で両手を広げる竜禅寺の目は尋常ではなかった。潤んでいると言うか瞳孔が開いていると言うか、頬どころか全身が紅潮してして、興奮状態のようだった。なんか、はあはあ息づかい荒いし。抜群のスタイルの美少女がそんな風に迫ってくると、唾を飲み込むどころではない男が大半だろう。
が、俺はそれを、どこか冷めた精神状態で見ていた。
「するわけないだろ。帰れ」
「お預け!? 焦らしすぎじゃない!?」
切なそうな嬉しそうな表情で太ももを擦り合わせるんじゃない。
と、そこで何かに気付いたのか、竜禅寺は申し訳なさそうにしつつも、嬉しさを覗かせた。
「あ、ご、こめんね? あたしが初めてだから、心配してくれてるのよね? 大丈夫! あなたになら痛くされても平気だから! だから、色々実験してたくさん失敗してくれてもいいのよ!?」
「何が『だから』だ。そんなカミングアウトはいらんし、人を下手くそみたいに言ってんじゃねえよ」
普通の腕前のはずである。所詮自己評価だが、文句を言われた事もなかったし。言外の女性遍歴を読み取ったのか、竜禅寺は悔しそうにした。
「悔しいっ! あたしの前に貪られた人がいるなんて……! そいつらみんな殺せばあたしが初めてになれる!?」
「なるか馬鹿! 物騒な事を言ってんな!」
「だ、だってえ……!」
「泣きそうな顔をするな、後、声が大きいっ」
すでに手遅れかもしれないが、ご近所さんへの影響も考えてほしい。
「だってぇ……! 受け入れたいんだもん……!」
そこは普通、「受け入れて欲しい」ではなかろうか。
いや、竜禅寺の事を全部知ってるわけじゃないから、それが普通と断定するのは早計か。
俺は一つため息をついた。
「話をするだけならいい。それ以外なら追い出す。どっちにする?」
俺の冷静な物言いに押されたのか、竜禅寺は少しは落ち着きを取り戻したようで、おずおずと頷いた。
「……お、お邪魔します」
「ん。座ってろ。お茶くらい出す」
「おお……」
いつもは取り付く島のない俺しか知らないので、普通に対応される事に感動しているようである。プラモデルの箱を棚に置いてからお茶の用意をする俺の視界の隅で、小さなちゃぶ台の側に女の子座りで腰を落ち着ける竜禅寺。
今更だが竜禅寺はカジュアルな私服姿で、恐縮した様だと清楚なお嬢様という表現がぴったりである。
まあ、側にあるベッドをガン見して唾を飲み込んでいるとそんな雰囲気も台無しになるわけだが。……見ているだけなら、まあ許そう。何かしたらそこで追い出す予定だったからな。
「ほれ、粗茶だが」
「あ、ありがと」
謙遜なしに粗茶だったが、それを飲んで多少ほっこり出来たようである。俺はちゃぶ台を挟んで竜禅寺の対面に座る。
「幸人さん手ずからのお茶……!」
いや、古い言葉で感動を表していた。やめろ、そんな大層なもんじゃない。
そう、こいつは俺の名前を知っている。表札は名字だけなのに、名前どころか勤め先や出身地まで、あらゆる事を。
俺もこいつの名前が竜禅寺美咲である事を知っている。一方的に自己紹介を捲し立てられたのだ。
こいつとの出会いを思い出す。
あれは仕事帰りだった。
まだ秋の入り口だと言うのに肌寒い日で、ざあざあと雨が降っていた。俺はその寒さと雨から逃げるように、傘で背中のビジネスバッグを庇うように早足だった。
だからだろうか、帰り道の最後の交差点が赤信号ならいつもは待つと言うのに、歩道橋を使って交差点を越えようとしたのだ。
そこで、その歩道橋で雨宿りしていたこいつを見かけたのだ。
傘も持たず、世間から背を向けるように、暗がりに佇んでいた。近くのお嬢様学校の制服だったが鞄は見当たらず、スカートの裾から雨の雫を滴らせていた。
俺は反射的に、自分の傘をそいつの手に握らせた。
驚いて振り返ったそいつの顔は濡れていた。雨か、それ以外の何かかを俺は考えず、青信号になっていた交差点を、ビジネスバッグを傘がわりに駆け出していた。
今思えば、余計なお世話だったのかも知れない。
ただ、反射的だったし、あれが雨ではないなら理由を聞かれるのは嫌だったかも知れないし、ましてや見られるのも嫌だったろう。結局、見てしまったわけだが、そこから目を背けるために、さっさと逃げ出したのかも知れなかった。
何にせよ、その出会いはしばらく俺の頭の隅にこびりついていた。
そしてある日、インターホンを鳴らされた。その先に立っていたのは、近くのお嬢様学校の制服に身を包んだ美少女だった。
「あの時に助けてもらった、竜禅寺美咲よ!」
どこぞの鶴か亀のように勝気に名乗られて、俺の頭はハテナでいっぱいだった。
当然だ、その際立つ美貌は鮮烈に印象に残っていたからあの時の、と思い出せはしたが、それとその名乗りが結びつかない。
呆気に取られていた俺を気にせず、そいつはずかずかと踏み込んで来て、俺をベッドに組み伏せて言ったのだ。
「恩返しに、あたしをもらって?」
言われ、恐怖に駆られて押しのけて追い出した俺は悪くない。
考えてもみろ、見ず知らずの人物に踏み込まれて襲われそうになってんだ、レイプ未遂以外の何物でもない。
その時はそこまで考えが及ばず、追い出して鍵をかけたらそれ以上の何かはなかった。夢かと思ったくらいだ。
後で友人に話したら、
「ばっか、何で据え膳食わなかった!?」
とか呆れられたが、怖かったものは仕方がない。
だが、そこから手を変え品を変え迫ってくる竜禅寺に、俺はそれが夢ではなかったと認識させられた。
俺に迫ってくる竜禅寺をかわして来たわけだが、いい加減このままでいいはずがない。
故に、今回は冷静に話をしようと招いた次第だ。
今までの事を回想しているうちに竜禅寺をじっと見つめてしまっていたのだろう、彼女は何やら、もじもじしていた。
「が、我慢できなくなっちゃった? あ、あたしもなの。これ以上焦らさないで? で、でも、こんなプレイも割と好きかも……!」
「アホか。頭の中、それしかないのか」
と呆れつつ、俺もこんな時期あったなー、と顧みてしまった。
「好きでもないやつと出来るわけねえだろ」
少なくとも俺はそうだ。他は知らん。
竜禅寺は俺の直接的な物言いにショックを受けたようだった。
「とうとう言われちゃった……! そうかも知れないとは思ってたけど、男なんて盛った猿ばかりだから、押しまくればその内襲ってくれると思ってたのに……!」
「そんな事思ってたのか。つーか、盛ってるのはお前の方だろうが」
嘆き崩れる竜禅寺に、冷淡な俺。
俺はその態度を崩さず、率直に聞く。
「お前、俺のことが好きなのか?」
「もちろん! 四六時中あなたのことばっかり!」
これだけは譲れない、とばかりに真っ直ぐ見つめて、自信満々に言い切る竜禅寺。
そんな視線を受けても、俺はやっぱり冷静だった。けれど、その言葉にはきちんと返さなければならない。
「そっか、ありがとよ。と言うか、初めて聞いたな、好きって言葉」
「…………えっ」
虚を突かれたように、竜禅寺はのけぞった。
「えっ、ええっ? で、でも、だ、だって、だって……?」
竜禅寺は自分の記憶を懸命に掘り返しているようだった。
しばしして、竜禅寺は、かくん、と頭を落とした。
「い、言ってない……!」
「だろ。さっき初めて聞いた」
そうなのだ。
竜禅寺は俺に迫ったり襲ったりしてくるが、その前段が欠けている。
まあ、それが竜禅寺の流儀なのかと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。彼女はうずくまって、
「うそお……! 言った気だった! そんな、あたし、だから準備万端だったのに……どんなことでもって、たくさん勉強してきたのにい……!」
どんな準備か勉強か、それはあえて聞くまい。
と思ったら、がばっと身を起こして、俺を熱の籠った瞳で見つめて来た。
「好きっ! 大好き、本当に好き! 愛してるの! だから襲って、襲わせて!? もう限界なのお!!」
口角唾を飛ばすとはこの事か、と言わんばかりの竜禅寺。俺たちを隔てているちゃぶ台は、防波堤というにはあまりにも頼りない。
だが、竜禅寺は待てと言われた犬ばりに我慢している。本当にそういうプレイが好きそうである。
「そう言われてもな。さっきも言ったろ。好きでもないやつと俺は出来ないってな」
「う、うう〜〜!」
涙目で、胸元で握りしめた拳をぶんぶんと振る竜禅寺。
「こ、こんな、幸人さんの匂いが充満していて、ベッドもあるのにお預けって……! し、躾が上手すぎるよお……!」
「人聞き悪い事を抜かすな」
まるで俺が鬼畜のようではないか。
またため息をつく俺。さっきからため息ばっかりだ。
「俺のどこが好きなんだ?」
そう、俺にはそこが分からない。確かに傘を貸しはしたが、それにしては感情をぶつけられすぎな気がする。
「え、えっと」
竜禅寺は恥ずかしそうにして顔を赤らめた。これを見せられたら落ちない同年代はいるまいに、なんで俺なんだ。
「あの時、傘をくれた時」
そういや、まだ返してもらってないな。というか、竜禅寺の中ではもらった事になってるのか。まあいい、今は置いておこう。
「何も言わずに走って行ったでしょ?」
「ああ、そうだな」
「それにドキュンと来ちゃったのよ」
「……それだけ?」
「それだけってね! いい!? あたし、美少女なの! スタイルいいし、それだけじゃなくて仕草も清楚で勉強も運動も出来るの! 家もお金持ちだしいわゆるお嬢様! 告白やナンパやスカウトなんて数えるのもバカバカしいくらい経験あるし! そんな属性過多のあたしだから、みんな下心ありありで見るわけ!」
すげえ自画自賛だ。本気で言っていることが表情から読み取れる。そこに淀みもなにもない。お嬢様評については「喋らなきゃな」と注釈したいが、とりあえず黙っておく。
「で! そんな美少女に雨の中会うとか、なんてシチュエーションよ! しかも雨で服濡れてるからボディラインまるわかりだし! なのに、傘あげるだけで何にもしないって、それだけで即死級のドキュンなのよ!」
「ただのヘタレとか考えなかったのか?」
「あたしの前ではどんなヘタレでも告白魔に早変わりよ! 経験がそう言ってる!」
「そりゃ大変だったな」
思わずねぎらいの言葉をかけると、竜禅寺の表情が、ぎゅっ、と歪む。
「そお、本当に大変なの。別に色目を使ってるわけでもないのに男どもはみんな寄って来てさ。だから女受け超悪いし、だからあの日も……うう、思い出したら腹立ってきた。しかも雨には降られるしで……」
「……そうか」
あの日、鞄を持ってなかったのはいじめに遭って隠されでもしたからか、と思ったが、わざわざいう事でもないだろう。
「……だから、もういっそこのまま死んでやろうか、とまで思ってた。なのに、いきなり傘を手渡されて」
俯いて垂れ下がった髪の間から、雫が零れる。俺はそれを見ない事にした。
「落ちるところを掴まれた気がしたの。雨なんて、傘一本あれば大丈夫。その程度のことだって、励まされたの」
……参ったな。なんだこりゃ、ここまで真剣だったのかよ。俺はあの時、なんにも考えてなかったんだぞ?
「たったそれだけなのに、雨の中なのに、心がぽかぽかしてきて。助けられたの。恩返しがしたかったのは、本当なの。だから、傘に残ってた指紋とか、探偵とか雇って誰なのか調べて」
こわ。なんだそりゃ、そこまですんのか、っていうか突き止められてるじゃん。随分有能な探偵だな。ていうか指紋とか、鑑識でも知り合いにいるのかよ。
「だんだんと名前が分かったり、いろんな情報が集まってきたり、写真とか集まってきて」
「いや、写真て」
もう涙は止まったようである。その代わりに、語りに熱がこもっていく。
「出勤時のスーツ姿とか、袖をまくったときとか、もう萌えで。横顔とか素敵なの。道を尋ねてきた人に親切に受け答えするとか、コンビニの店員さんに必ず『ありがとう』っていうとか、もう本当にきゅんきゅんするの。その度に好きが積もって行って積もって行って」
どんな近さで観察されてたんだ俺。夢見るような表情で語ってるが、俺は鳥肌立ってるぞ。
竜禅寺は、ちゃぶ台に勢い良く手を突くと、前のめりに力説して見せた。
「で、色々溢れて恩返しに行っちゃったの! 好きが溢れた結果なの! いじらしいでしょ、あたし!?」
「自分で言うな!」
「言わせてよ! しかも、しかもよ! あたしが迫るとか襲うとか初めてなのに、それをいっつも冷静に躱してさ! 軽々しく答えないところとか誠実でまた、ぎゅーん! って抉られるし! どうせなら本当に抉って色々と!」
「何回言わせるんだ。好きでもない相手とはしないっつーの」
「ううう……! そういう真面目なとこが好きなの! お預けされて辛いけど、でもいいの! どうしたらいいの、あたし!?」
竜禅寺は混乱している。
が、俺としては自分の主張を曲げる気はない。そういう態度こそが竜禅寺を惹きつけているとしてもだ。
「じゃ、じゃあ、どうしたら好きになってくれるの!? どうしたらメチャメチャにしてくれる!?」
本当にどんな準備や勉強をしてきたんだか。それを聞くとドツボにはまりそうなのでやはり聞く気はないのだが。
ともあれ、俺は竜禅寺の必死の表情に考え込んだ。
こいつは真剣に自分の感情を吐露してくれた。ならば、多少はそれに応えるのが礼儀というものだろう。
「……当分、恋愛する気はねえんだよな」
「あたしじゃだめってこと!?」
竜禅寺が絶望的な表情を浮かべる。
「そうじゃない」
ちらり、と俺は壁の棚に目をやった。
そこには趣味の本、仕事の本、と色々あるが、目を引くのはやはり、何体ものロボットのプラモデルだ。見栄えがいいように、色んなポーズを取らせている。
「俺、プラモデル作って飾るのが趣味なんだ。それってどう思う?」
「……ど、どうって」
竜禅寺は戸惑っているようだった。急にこんなことを問われたらそれもそうか。
「夫の趣味を尊重するのは当たり前よ。プラモデル部屋とか作ればいい? あ、すごく大きい家を用意するから、子供が出来ても大丈夫よ!」
用意するからってどういう意味だ。後、夫とか子供とか設定が飛びすぎだろ。
竜禅寺のどこか外れた目線に、俺は苦笑するしかない。
「世の中、そんな理解がある女ばかりじゃないんだよな。前の彼女は子供っぽいからって勝手に捨てやがってよ」
思い出すと、今でも苦すぎる思いがぶり返す。
「父さんと一緒に組み立てた形見なのに。本当、勝手だぜ」
「……それは、ひどいね」
我ながら子供っぽいと思うが、竜禅寺は共感して涙ぐんでくれていて、それに少し救われた気がした。
「同棲までしてたけど、それがきっかけでギスギスしちまって。それどころか、浮気までされてたって分かって破局。トラウマになってんだよな。だから、しばらく誰とも恋愛する気にはなれないんだよ」
俺は頭を下げた。
「すまん。こういうわけだ。お前の想いには応えられない」
「あ、頭を上げてよ……!」
慌てる竜禅寺の気配。俺はしばらくしてから頭を上げた。
「もう……そういう誠実なところが、ずきゅーんってくるんだけどお……!」
「すまんな。俺に時間をかけていても無駄になるだけだ。よそを当たってくれ」
俺を上目遣いに見上げてくる竜禅寺。そういう眼差しこそ、よそに向けてくれと思う。
「……ホント、あたしを思ってそう言ってくれるところとか、なんだけどな」
「お前はまだ視野が狭いだけだ。大学なり社会に出るなりすれば、俺くらいの奴はごまんといるよ」
「……美咲」
「ん?」
「お前じゃなくて、美咲って呼んでよ」
「竜禅寺、お前はまだ視野が狭いだけだ」
「美咲!」
「お断りだ。俺は相当仲が良くない限り、名前では呼ばない主義なんだよ」
「ふぐうう……!」
ふくれっ面になった竜禅寺だが、目をぎゅっとつぶると、諦めたようにため息をついた。
そして、拳を握って顔を上げた。きりっとしたその表情はさながら、敗戦から立ち上がるボクサーのようだった。
「苗字でも、呼んでくれるだけましかあ……! 一歩前進!」
「前向きだな」
無駄に、とはつけずにおいた。
「竜禅寺は、欲しいものは絶対に諦めない主義なの! 今に見てなさいよ!」
「はあ。まあ、ほどほどにな」
俺としてはすでに諦めろという主張をしているし、頑張れと言うのも変な話だ。よって、曖昧な返事になるしかない。
「じゃあ、しょうがないから今日はおとなしく帰るわ! なにかもらって帰っていい!?」
「おとなしく帰るんじゃなかったのか」
終始元気な奴だな、となんとなく周りを見回してしまう俺。
「マグカップとかスプーンとか、シャツとか! 幸人さんの匂いのするものを何か!」
はあはあし始めてやがる。情緒不安定なんじゃないか、こいつ?
とは言え、何かやらないと帰りそうもないわけで。そうだ。
「こいつならいいぞ。大事にするならという条件付きだが」
二年ほど前に組み立てた、戦闘機に可変するロボットのプラモデルを冗談交じりに指し示すと、竜禅寺は笑顔を輝かせた。
「もらったあ! 幸人さんの匂いと手垢とその他もろもろがこびりついたトロフィー! 家宝にするわ!」
「そんな扱いしてねえわ。やっぱ返せ」
「やだ! もうもらったもん!」
大事そうに抱えて頬ずりしそうな勢いだった。やめとけ、結構とげとげしいデザインだから怪我するぞ。まあ、本当に大事にしてくれそうだからいいのだが。
「じゃあな。気を付けて帰れよ」
「うん! 優しい! 好き! またね!」
竜禅寺はおとなしくとは言い難い、溌溂とした物言いで帰って行った。
「……やれやれ」
一気に静かになった部屋を見回すと、目に留まるのはスペースの空いた棚であった。
「……ちっとは落ち着いてくれるといいんだが」
正直、あれだけ真っすぐに慕われて悪い気はしないのも事実だった。
「……けどなあ」
やはり、いざ恋愛となると、心のどこかが重く苦くなる。
けれど、それを吹き飛ばしてくれそうな予感がしているのもまた事実なわけで。
「つーか、傘返せっていうの忘れてたな」
会話のネタが出来たことに、俺は口元を綻ばせるのだった。
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