武威の国

「人が死ぬことなきよう調整はからえ。遺恨復仇いこんふっきゅうもってのほか武威ぶいんとして稀代きたいの武芸者たちを失うは本末転倒」

 それが三代将軍徳川家光とくがわいえみつから言い渡された条件だった。

 側近の阿部小平次あべこへいじの提案──武威を明らかにし武芸の錬磨を奨励するためならば御前試合ごぜんじあいこそが最上では、という提案に対して、家光はそのように厳しく命じたのである。


 そしてそれから半月あまり、家光の親衛隊長をつとめてきた側近たち──後に〈六人衆〉と呼ばれることになる男たちの頭を悩ませ続けたのは、まさにその条件であった。

 人を殺すために生まれてきたような猛者もさと猛者とが盛大に殺し合った戦乱の世は慶長けいちょう二十年で終わり、続く元和げんなの九年間は静かに過ぎ去った。そして元号は「寛永かんえい」と改まり、新たに将軍となった家光は近頃しきりに「武威」という言葉を口にするようになっている。

 武力による威光。威勢。権威。おどし。

 それこそが肝要かんようであると家光は考えているようだった。

 ──武力そのものではないのだ。

 他の六人衆のために注釈を加えるようにつぶやいたのは、最年長の松平長四郎まつだいらちょうしろうだった。

 ──武力は言うまでもなく必要だが、武力だけでは武威にはならぬ。さりとて今は、武力をついやして武威を買うようなことができる時でもない。武力の丸損になってしまう恐れがあるのだ。これは難しい。


 太田新六郎おおたしんろくろうはそれを聞き、一晩休んで次の日の夕刻、家光と長四郎の言わんとすることに、ようやく頭が追いついた。

 今、必要なのは武威である。そして今、武力そのものを失うわけにもいかない。


 徳川将軍家、いや、日本は今、たいへん難しい局面に置かれていた。警戒しなければならない相手は、西隣の大明国たいみんこくだけではない。それに加えて、南蛮なんばんの海の支配に成功した遥か遠方の奥南蛮ヨーロッパの国々──つまり複数の巨大勢力と対峙たいじしているのだ。

 史書に前例を求めるのも難しいほどの局面である。大陸の『三国志』の盤面をさらに広大に、そして複雑にしたようなものと言える。

 関ヶ原のような一つの大戦おおいくさに勝利したところで、そこが天下の分け目とはならない。考えにくいことではあるが、どうやら〈天下〉は幾つもあるようなのだ。もしも日本と大明国が大きな戦で武力を減らせば、勝者も敗者もまとめて奥南蛮の天下に呑みこまれてしまうかもしれないのである。


 もちろん大明国の側とて、事情は同じであるはずだ。しかしそのことを──同じ危うさを抱えていることを、今の彼らは本当にわかっているのだろうか。彼らがわかっているのかどうか、新六郎にはわからない。

 近年、明の領地を北から削り続けているという、狩人たちの一党はどうであろうか。愚かな戦──数十年前に豊臣家が起こしたような愚かな戦を仕掛けてくるような者たちなのだろうか。これもわからない。新六郎にはわからないのである。


 遥か彼方の国々──ヨーロッパの支配者たちがどう動くのかは、よりいっそうわからない。

 聞くところによれば、天主教てんしゅきょうをどこまでも広めようとするスペインとポルトガルとは一枚岩だが、イギリスとはほうずる宗旨しゅうしが大きく異なる。一方で、イギリスとオランダは、宗派が近しくあるものの商売の上では殺し合いも辞さない競争相手であるらしい。

 彼らの内の一国がもしも日本の武力をあなどり、兵を送ろうとした場合、はたして他国を誘うだろうか。他国は誘いに乗るだろうか。あの長四郎ですら、「予測はかがたし」としか言わない。ヨーロッパの大船団に運ばれて大明国から無数の兵が攻めてくる、という悪夢のような事態ですら、ありえないとは言い切れないのだ。


 これらの危惧きぐは、ただの取り越し苦労なのかもしれない。百年たっても何も起こらない。そういうこともあるかもしれない。

 しかし今、なすべきことは楽観ではない。百年後にさいがどう転んでいるのかを、いま知ることはできない。ならば、何も起こらぬようにするために、あらん限りの手を打っておくべきである。

 侮られてはならない。万が一にも、攻められてはならない。戦を未然に防がなければならないのである。

 武力が有るだけでは足りない。有ることを示さなければならない。天地の果てまで届くほど、広く伝えなければならないのだ。

 つまり、

 ──〈武威〉こそ肝要。

 そういうことになる。


 だが、そこから先が難しいのだ。

 具体的にどうするのか。


 徳川家が戦に強いことを最もわかりやすく示すには、実際に戦をして見せればいい。日本の中にも、手頃な相手はまだ残っている。

 しかし、戦は人が死ぬ。敵も味方も死ぬ。つまり、日本の武力が減るのである。

 日本の中で徳川家の武威が高まったところで、得た武威と失った武力の差し引きを遠くの国々がどう勘定するのかは予測はかり難い。「とるに足りない敵を相手に苦戦して武力が減った」としか思われない恐れもある。

 いまだ徳川への敵愾心てきがいしんを失っていない大名たちの手強さを、おそらく海の向こうの者どもはわかっていない。それどころか、全てまとめて将軍家の足元にも及ばぬ雑魚であると思いこんでいるふしもある。かといって、幕府が保つ日本の秩序が薄氷の上にあると思われてしまうのも困る。いずれにせよ、長四郎の言うとおり、武力を費やして武威を買うようなことができる時ではないのだ。


 ゆえに今は、人の死なない戦──戦のようで戦ではないものを行なうのが上策である。

 日本の兵が強いことを最も鮮やかに示すには、選りすぐりの兵と兵との戦いを、評判が最も伝わりやすい形──将軍の御前でもよおされる最も盛大な試合の形で行なえばよい。他国の〈眼〉は、日本の津々浦々に潜入はいりこんでいる。御前試合の評判ならば、少なくとも彼らの所までは伝わるだろう。小平次の提案には一理ある。


 とはいえ、

 ──人が死ぬことのない試合。

 これですら難しいのである。

 戦乱百年。日本の武芸者は、強くなりすぎた。幼いころから、人を殺し戦場で生き残るために育てられ、生き残った者がまた次の子を育てる。関ヶ原や大坂の陣の混沌の中で経験を積んだ後、一人静かに、あるいは道場で、あるいは違法な形で技を練り続けている。

 木刀で牛を叩き殺す剣術家がいる。彼に竹刀で叩かれた者は、その夜に頭痛を訴え、次の日の朝には死んでいた。

 素手で鎧武者よろいむしゃたちの包囲網を突破した柔術家がいる。彼の掌でよろいの上から打たれた者は、首の骨がずれ、今もまだ立ち上がることができない。

 このような怪物たちに、どう試合をさせればよいのか。


 家光が危惧しているように、試合の後には遺恨が生じることもある。

 再戦、復讐、暗殺。慶長以前の時代にも、戦場とは全く関係のないところで流派同士の暗闘が行なわれていた。今の武芸者たちの中には、有力な大名のお気に入りとなっている者も多い。戦であれ試合であれ、武士の面目めんぼくと面目がぶつかり合う場であることに変わりはない。日本が一丸となって武威を示さなければならないこの時に、どう試合をり行なえばよいのか。

 まったく難題であった。


 しかし、新六郎たち六人衆の抱えた大きな難題は、〈天下の御意見番〉大久保彦左衛門おおくぼひこざえもんの屋敷で、思わぬ解決の糸口をえることになる。

 新六郎がしてきた思案のあれこれは、彦左衛門の屋敷で会った奇怪な女──まるでヨーロッパの絵図の中からそのまま抜け出てきたような女によって、根底からくつがえされることになったのだ。

「ダンジョン配信ですわ~~」と、その女は言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る