第12話  サチ 4

 


 「まだ残ってたのか。施錠しようと思ったのに」


 しばらくすると足音が近づいてきて、海の底は現実世界へと還る。顔をだしたのはタナカとカシワギ。タナカの後ろには金髪の男子もいた。


 「なんだサチナチコンビか。傘、ないの?」


 「忘れちゃった」

 「忘れちゃった」


 ナチと声が重なる。金髪の男子は口の中で笑った。


 「あれ? オノ?」


 タナカの陰にいたのと髪色のせいで、最初は誰だかわからなかった。


 「ああ」


 オノは少しばつが悪そうに顔を逸らす。

 金色の髪はオノの雰囲気を、見知らぬ誰かのように変えてしまっていた。


 ゆびをさして「どうしたの? 髪」と訊くと、「ちょっと、な」と、今度は逸らしたままの顔を伏せた。


 「ちょっとなじゃない!」


 すかさずに大きな声を上げたタナカは肘でオノを小突く。


 「痛ってーな、なんだよ?」


 「痛くない! 約束どうりに次の部活までにはもどすか切ってこいよ」


 「……んだよ、せっかく色抜いたのに」


 「嫌なら今切るか?」


 「ちっ…」


 ナチはオノの髪をじっと見てから、「誰?」と視線で尋ねる。耳元に顔を寄せて、オノは同中の同級生、と小さい声で教えた。


 「ナチ、耳どうした?」


 カシワギがナチの前にしゃがみ込む。

 ナチは「大丈夫だよ」と、はぐらかして笑う。無邪気という邪気と一緒に。


 「そういうことじゃなくて……。まあ、化膿しなくてよかったね」


 ナチに困ったように微笑むカシワギは、うつむいてから長めの前髪を両手でかきあげた。


 明らかにナチはカシワギに好意を持っていることがわかるから……実際にナチの扱いには困っているのかもしれない。それは、そうあってほしいという勝手な願望だけど。

 ナチのようなことは、小説やコミックやドラマや映画などではよくある定番の設定。

 それを……教師としてはどう思うのだろう。


 「わかったよ、わかったから。うるせーよ、タナカ」


 「こらっ! 先生だろ」


 オノはタナカを無視して隣にきた。

 金色の髪は薄暗い昇降口で目を引く。


 「コミネ、傘がないなら俺が送るよ」


 「え……?」


 突然のオノの言葉に驚くと同時に戸惑った。

 いつになく真剣な口調のようにも思える。

 でも。


 「いや、いいよ。ナチもいるし……」


 ナチと一緒に駅までの道を歩くのは今日で最後。

 オノもわかっているはずなのに。


 金色の前髪の隙間からはナチに視線が向けられる。

 ナチの眉間が少しだけしかめられて、ムッとしたのがわかる。


 「なんだオノ。お前そうなのかあ? コミネ、家、近所だろ? 送ってもらえー」


 タナカは無責任に大きな声で、またもや余計なことを言った。


 「タナカ、うるせー」と、舌打ちをするオノに困惑の視線を向ける。


 「いや、でも、ナチがいるから……」


 それでもオノは退かなかった。

 まっすぐに見つめかえしてくる。

 いつものオノらしくない。


 ……どうして?


 「じゃあナチには、雨が止むまで俺が特別に現国の補習をしてやるから気にするな」


 どうだありがたいだろう、と謂わんばかりのタナカ。


 「えー? 日本語は話せるからいいよぉ」


 笑いながらもナチは首を左右に振った。本気で拒否をしていることがわかる。


 「ナチ、お前、現国なめてるのか?」


 わかっていないタナカはふざけたように、「なめてないよぉ」と引くナチに詰める。

 どうする? というようにカシワギは、オノとわたしを交互に見た。


 オノはなにも言わなかった。わたしはなにも言えなかった。


 それを確認するとカシワギはふっと横を向き、ナチに「じゃあ、理科の補習でもする?」。


 「するっ」


 即座に答えたナチは嬉しそうに笑った。


 ……っ。


 説明できない羨望は鈍く胸を突く。


 後ろで「なんで理科はよくて現国はイヤなんだ」と腕をくみながら文句を言うタナカに、「まあ、今日は現国、ありましたしね」とカシワギがフォローをいれた。


 「コミネ、行こうぜ」


 「……うん」


 促がされて、立ち上がる。


 カシワギに嬉しそうな笑顔を向けるナチを、見たくはなかった。

 だけど、このままナチを残してゆきたくもなかった。





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