アイオライト

冬野ほたる

第1話  ナチ 1



 わたしがこの世界で一番嫌いなもの。


 それがゴキブリでも給食で出されるぬるい牛乳でも、真夏の太陽でもないと知ったのは、十三歳の誕生日のことだった。


 わたしは突然に気づいてしまった。


 もう、自分が子どもではないということを。




 あれから四回目の誕生日がきた今。


 サチとナオコが不協和音で歌ってくれる、流行のユニットのバースデーソングを聴いている。





***




 開けて四週間目のピアスの穴に、サチが贈ってくれたパールのピアスをなかば無理やりに差し込む。


 微かに頼りない痛みが耳たぶを襲った気がした。


 洗面台の鏡を覗く。


 顔にかかる髪を耳にかけ、ピアスの上にカットバンを貼り付けた。


 服装検査がある日の、これはお決まりのパターン。


 こんなものでごまかされるような生活指導課の教師たちじゃない。だけど、パールを隠すのと隠さないのでは、可愛げってものが違う。


 もちろん中には、色を抜いた明るい髪のまま登校して、わざわざ呼び出される生徒もいる。そういう類はたいていクラスでも自己主張が激しいタイプで、自分の存在を身体を張ってアピールしている。


 こういうバカなコドモは大嫌いだ。もっとうまくやればいいのに。




 通っている公立高校は頭の良いとは言えない偏差値の範疇にある。校則もやけに厳しい。沿線の他校生からは隠れ私立なんて呼ばれている。女子生徒の数がやたらと多い共学校。風紀委員会などがきっちりと活動をしている。


 風紀委員は学年のはじめに立候補で決定される。でも、そんな委員に立候補する生徒はいない。その場合はとても民主主義的な決め方をする。つまり、じゃんけん。


 二週間に一度の服装検査。そのために、誰が一時間も早く登校することになるのか。


 そのときに、ナオコはクラスで一番ついている女になった。




 今年の夏は例年以上に暑くなると、天気予報のキャスターも言っていた。なんだか毎年のように同じことを聞いている。


 学校の近くの公園から、校庭の樹木の隙間から、ひっきりなしに届けられるセミの声をBGMにカシワギのチェックを受けた。髪、スカート、ツメ、大丈夫だね。あれ? 耳たぶ見せて。ナチ、夏に開けると化膿しやすいって誰かが言ってたぞ。放課後、指導室な。


 カシワギはわたしの頭をチェックリストで軽く叩くと、困ったように笑う。幼い子どもの他愛ない悪戯を見つけた親が、唇をゆるませるみたいに。


 カシワギが昇降口の前に立つことになるかぎり、耳たぶにパールのピアスをしてカットバンを貼り付けて登校する。


 子どものように無邪気に笑いながら。


 ナオコがカシワギの後ろで『バーカ』と笑いながら、口だけを動かした。




***




 毎朝の日課は、黄色い電車の前から五両目に乗ってサチを探すこと。

 彼女はだいたい、駅のホームと反対側の扉にもたれかかっている。器用にも眠っているのか、瞼を閉じて立っていた。


 終点に向かう朝の下りの電車は、人もそう多くない。


 サチは眉間に軽くしわをよせて、ナイロンのデイパックを右肩にかけている。

 朝の光を眩しそうに受けて、不敵そうに腕を組む。


 ひとつに結んだ薄い茶色の髪に、ひょろっとした細い身体に。光が反射する。

 サチはどこまでも滑らかな真っ白い彫像のように思えて、何度も瞬きを忘れそうになる。

 サチの血管を流れるのは赤い血液ではなくて、無色透明な砂のような粒子だったらいいのに。

 彼女の細い手首にカッターで傷をつけたら。ゆっくりと色のない粒子が流れ出したらキレイなのに。


 いつもの朝の予定通りに電車が大きく三回揺れる。毎朝のことなのにサチが驚いたように瞼を開けると、わたしを見つけてォハヨオと手を上げた。

  






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