第7話 話し合い

「俺の家?」


 昼休みが終わろうかという時間。

 教室に戻っている最中、白雪さんが切り出してきた話に自分の耳を疑いながら訊ね返していた。


 だがどうやらというかやはりというか、俺の聞き間違えではなかったらしい。

 白雪さんも照れくささは覚えているのか、視線を彷徨わせながらも俺の問いかけを肯定する。


「そっ。家だったらさっきみたいなことも起きないし、時間もたっぷりあるでしょ? お昼寝とかじゃなくてきちんとした睡眠がとれるから、神原くんにとってもいいと思うんだけど、どうかな?」


「どうかなって……」


 いやそれはまずいだろ、と思ったが、すぐに思い直す。

 彼女は知らない。というか教員を除けばこの学校の誰も知らない。


「……俺、実は一人暮らしなんだよ」


 何か告白をするような面持ちで白雪さんに告げる。

 そうしながら、俺は心の中で残念に思っていることに気付いた。


 一人暮らしであることを明かせば、今の提案がなかったことになるとわかっていたから。

 だけど、自分のために色々と考えてくれた彼女にだまし討ちのような真似はしたくない。


「そういうことだから――」


「じゃあご両親のこと気にしなくていいってことだよね。なおさら神原くんのおうちにするべきだよ!」


「……え?」


 予想していた反応と違った。

 うんうんと一人で納得している白雪さんに俺は額を押さえながら説得を試みる。


「あの、白雪さん? 一人暮らしなんだけど?」


「うん、聞いたよ?」


「いやほら、男の家で二人きりになるってことなんだけど……」


「――――ッ」


 わかりやすく説明すると、白雪さんはボッという効果音が似合うほど急速に顔を真っ赤に染めていく。


 ……気付いていなかったのか。


 若干呆れたが、それ以上に彼女が俺の不眠症を治すために必死に考えてくれていたことが感じ取れて嬉しくなる。


 でもまあ、流石に家まで来てもらうのはやり過ぎだ。

 俺たちは、たぶん友だちでさえなくて、単なるクラスメートなんだから。

 彼女の提案はとても合理的で、俺が眠ることだけを考えるなら最適解なのかもしれなかったが。


「そういうわけだから――」


「神原くんは私が家に行ったら迷惑……?」


 やんわり断ろうとした俺の言葉を、またしても白雪さんが遮る。

 真っ赤な顔で瞳を潤ませながらの上目遣いは中々強烈だった。


「俺は、迷惑じゃないけど」


 辛うじて言葉を紡ぐ。


 俺からしてみれば、白雪さんを拒む理由なんてない。

 彼女の都合を考えなければ「是非に」とお願いしたいところではある。


 でもやっぱり、まずいだろう……?


 そんな俺の懸念を悉く踏みにじるようにして、白雪さんはか細い声で呟く。


「なら、大丈夫。迷惑じゃないなら、神原くんのおうちにお邪魔したいな」


 男と二人きりになることへの心配とか、そういうものはないんだろうか。

 ……ないんだろうな。あったら大丈夫なんて言わないだろ。


 だったら俺も、気にしすぎる方が失礼なのかもしれないな。


 そう思い直して詳しい話を進めようとして気付いた。

 五時間目の授業が始まりそうだということを。




 慌てて教室に向かいながら、俺たちはひとまず今日の放課後に改めて話し合うことになった。

 教室で話そうとする彼女を制して、俺は待ち合わせ場所を提案する。


 場所は学校を出て南側の坂道を下った先にある小さな公園。公園といっても遊具らしい遊具は鉄棒か子ども用の滑り台ぐらいしかなくて人気はほとんどない。

 あそこなら彼女と話していても目立たないだろう。


 そんなこんなで迎えた放課後。

 ホームルーム前に白雪さんがそれとなく呼びかけていたのもあって、今日は班員全員が揃っていた。


 飯田に小柳に赤城。この面子が残ったことで、俺は昨日の惨状を納得する。

 この三人はいつもつるんでいる面子だ。一人がサボろうとすれば芋づる式に全員がサボっても無理はない。


 形式的な謝罪を受けつつ、四人でパパッと掃除を終わらせてから俺は待ち合わせ場所へ向かった。


「――――」


 公園の奥にある、象に見立てられた滑り台。

 その頂上に彼女の姿があった。


「白雪さん。悪い、待たせた」


 頂上に腰掛けてブラブラと足を動かしていた白雪さんは、俺の声に立ち上がる。

 地上にいる俺と、滑り台の上に立っている白雪さん。

 位置的に見えてはいけないものが見えそうになって、俺は顔を背けた。


「全然、今来たところ」


 おどけながら彼女は滑り台を「よっ」と滑り降りてくる。


「今日はみんな揃ってた?」


「白雪さんのおかげでね」


「それはよかった」


 たぶん、彼女以外の人間が呼びかけていたら顰蹙を買っていたかもしれない。

 だけど白雪姫乃の場合は、素直に従わせる魅力みたいなものがあった。


 それは恐らく、彼女が誰にでも優しいからだろう。

 優しくしてくれた人間を嫌える人間はそうはいない。


「それで神原くんのおうちってどの辺りにあるの?」


「ここから川を渡って少し歩いたところだけど」


「お、結構近いね。それじゃあ早速行こうよ」


「今から?!」


「……? そのつもりだったけど」


 おかしなこと言ってる? とでも言いたげに白雪さんはこてんと小首を傾げる。


「いや、白雪さんに待っていてもらったのは具体的な話をするためなんだけど。たとえば白雪さんの家のこととか」


「私の家?」


「そう。俺を寝かしつけてくれた後、もし白雪さんの家が遠いなら帰りも遅くなる。だったら平日に頼むわけにはいかないだろ?」


 頭を撫でてもらって寝かしつけてもらい、その後、夜遅い時間に女の子を一人で帰すなんて一人の男として、というより人間としてだめすぎる。


 俺の主張に、白雪さんはにんまりと笑った。


「心配してくれてるんだ」


「そりゃするだろ」


「でも大丈夫だよ。私、バスで二十分ぐらいのところだから」


「バスで二十分……」


 今が五時前。ここから家に帰って寝始めたとして……俺は何時ぐらいに寝付けるだろうか。


 一時間で寝付けたらまだいい。でも二時間、三時間後なら?

 その時間に白雪さんに一人で帰ってもらうわけにはいかない。


 俺がうんうんと唸っていると、白雪さんは呆れた様子で、だけど少し嬉しそうに「心配性だね」と呟く。


「……なら、さ」


 嫌な予感。

 躊躇いがちな彼女の切り出し方に、俺は既視感を覚えていた。


「私が神原くんの家に泊まれば、全部解決しない?」


「別の問題が生まれると思うんだけど?!」

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