事故物件探偵 建築士・天木悟の執心

皆藤黒助/角川文庫 キャラクター文芸

プロローグ

 その家を見つけたのは、おりが中学三年生の時のこと。

 修学旅行で福島県から遠路はるばる訪れたのは、神奈川県のよこはま市である。班別の自由行動で、織家の班はみなとえるおか公園へ行くことに決めていた。地下鉄のみなとみらい線のもとまちちゆうがい駅で降り、地上に出れば公園はすぐそこだ。

 しかし、広大な公園の入口がどこにあるのかわからない。敷地の外周に沿って歩いているうちに、いつしか住宅地へと迷い込んでしまった。迷子に近い状況だが、織家はあまり危機感を抱いていなかった。他の子たちもそのような様子はなく、むしろワクワクしているように思えた。いざとなれば、人に尋ねるなりスマホを使うなり、どうにでもなるのだから。

 角を曲がったところで、水色ののぼり旗が織家の目に留まった。そこには、ゴシック体で『あま建築設計 住宅完成見学会』と書かれている。

「わー、素敵な家!」

 班の女子の言葉に釣られるようにして、織家も最後尾からその家を見上げた。途端に、心をわしづかみにされる。

 二階建ての外壁はまるで生クリームをたっぷりと塗り付けたケーキのようで、三角形の屋根にはビスケットのような茶褐色のようがわらが敷いてある。玄関の扉は明るい色の木目調で、いくつもある窓の下部には丸みを帯びたフラワーボックスが取り付けられていた。開かれた西洋風の門扉の向こうは、朱色の飛び石が玄関まで続いている。

 ドラマや映画の世界から引っ張り出したかのような、とても可愛くてれいな家。れた織家は、その場で足を止めてしまう。ガーデニングを行うには十分な広さの芝生の庭には、若い男女の姿が見えた。大きく膨らんだ女性のお腹に、男性が優しい目を向けている。おそらくは、ここに住むことになる夫婦なのだろう。

「中はどうなっているのかな」

 そんな独り言が、思わず口からこぼれ落ちた。見学会なのだから、入ろうと思えば入ることができるはずだ。しかし、見学は基本的に家の建築を検討している人に限られるだろう。親同伴ならまだしも、中学生が一人で入れてもらえるとは思えない。

 織家が立ち止まっていることに気づいていないのか、班の皆の背中は気づけばかなり小さくなっていた。最初に声を上げた女子も、すでに興味を失ってしまったようだ。スマホで連絡が取れるとはいえ、はぐれたら迷惑をかけてしまうだろう。後ろ髪を引かれる思いで一歩を踏み出したところで、家の方向から声をかけられた。

「よかったら、見ていく? 結構暇をしてるんだ」

 玄関から顔をのぞかせたのは、下ろし立てなのかパリッとしているスーツ姿が様になっている若い男性だった。微笑みかけてくる顔の造形は非常に端整で、織家は家に続きその男性にも見惚れてしまう。

 班の皆の顔が頭をよぎったが、結局織家は誘われるがままに門扉を通った。

 家の中には、織家の想像の上をいく空間が広がっていた。

 オールステンレスの対面キッチンは全てオーダーメイドで作ったらしく、細かい収納に至るまで一切の無駄がない。リビングの材のフローリングによくむ若葉色のソファーは、吹き抜けの天井から下がる複数のペンダントライトに優しく照らされていた。脱衣室に隣接する形で設けられたサンルームには、光がさんさんと差し込んでいる。

 二階の廊下と吹き抜けはつながっており、階段を上がるとリビングがすり越しに見下ろせる。お腹の赤ちゃんのために作られたのだろう子ども室には、様々な動物が描かれたユニークな壁紙が一面に貼られていた。き出しのはりからは大きなファンが下がり、静かにくるくると回っている。

「素敵ですね。ぬくもりがあるというか、唯一無二の味があるというか……すみません。上手うまく言えないんですけど」

「そう言ってもらえると、僕も設計したがあるよ。独立してから初めて設計した家なんだが、我ながらいい家ができたと思っているんだ」

 若いのでてっきり設計事務所の従業員だと思い込んでいたのだが、話を聞くと彼こそが天木建築設計代表の天木とのことだった。

 褒められたことがうれしかったのか、天木はこだわった点や苦労した点を語り始める。そんな彼の話を聞いているうちに、今まで感じたことのない感情が織家の心の中に沸々と湧いてきた。その正体に気づくと、織家は途端に恥ずかしくなる。

 天木という男に、あこがれてしまっているのだ。自分には想像もできない努力を積み重ねてきたのだろう彼に対して、平凡な中学校生活を送ってきただけの自分が憧れという感情を抱いている。そのことが、ただただ恥ずかしかった。

 そして、同時に思うのだ。自分もこんな家を設計できる人間になれるだろうか、と。

 夢なんてものは、コロコロと移り変わる年頃かもしれない。しかし、少なくともその時、織家の夢は、目の前にいる天木のようになることに間違いなかった。

 だから、尋ねようとした。自分もあなたのようになれますか、と。

「あ、あの……」

 しかし、その先の言葉は織家のスマホの着信音に阻まれる。スカートのポケットから取り出して確認すると、相手は班の友達のうちの一人だった。どうやら、逸れたことに気づいたらしい。

 織家は内心『努力を惜しまなければなれるよ』などといったお決まりの言葉が天木から返ってくることを期待していた。そんな自分がどうしようもなく子どもであることを自覚し、重ねて恥ずかしくなる。質問をせずに済んだことを、電話をかけてくれた友達にひそかに感謝した。

「すみません。私、もう行かないと」

「予定があったのかな? 引き留めて悪かったね」

 天木も、まさか修学旅行中だとは思っていないだろう。ありがとうございましたと礼を述べた織家は、階段を下りて玄関に向かう。その途中にある開けっ放しのクローゼットの中に──はいたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る