何かがいる
寿甘
明子
何かがいる。
自宅であるアパートの一室に帰ってきて、冷蔵庫から出したアイスコーヒーをダイニングでカップ一杯分飲んだところで、どうにも嫌な気持ちになった。
さっきから、何となく誰かに見られているような感覚がする。
やだ、まさか泥棒?
それとも……私は嫌な想像を振り払うように頭を振った。
「……だ」
誰かいるの? そう、声に出そうとして口を閉じた。
もしかしたら、泥棒が急に帰ってきた私から隠れて、こっそり逃げようとしているのかも知れない。それなら、気付いている事を相手に知らせない方がいい。
心臓がバクバク言うのを感じながら、キッチンに移動して包丁を手にした。隠れている『何か』が襲いかかってきたときのために。
寝室に入り、扉を閉める。部屋を見回すと、人間が隠れられそうな場所はクローゼットぐらいだ。私は包丁を構えながらそっとクローゼットを開けた。
――何もいない。
ふう、と息をつくとクローゼットを閉め、今度はゆっくりと窓に近づく。窓の外から何かが覗き見ていないかと、カーテンを少しだけ開け、隙間から外をうかがう。
――何もいない。
ここで大きく息を吐いた。『何か』は扉の向こうにいるに違いない。そういえば、見られているような感覚は無くなっている。
やはり寝室の外、キッチンとダイニングの一体化した部屋には、人が隠れられそうな押し入れがある。そこか、あるいは洗面所兼浴室に潜んでいるのだろう。ただの泥棒なら、この隙に入り口から出ていってくれるはず。
もうほんと、お金なんかないからとっとと出ていって!
だけど、しばらく経っても何の物音もしない。
おかしい。泥棒ならもうとっくに逃げているはずだし、そうじゃないなら、扉に近づくような物音が聞こえてくるはず。
「気のせいだったのかな?」
いつまでもこうしてはいられない。私は意を決して扉を開け、ダイニングの様子を見る。
――何もいない。
まだ気は抜けない。慎重に押し入れに近づき、そっと開けた。
――何もいない。
後は、浴室だ。
変質者が、一人暮らしの女性を襲うために浴室に潜んでいる。よくニュースで聞く話だ。ここまで何も見つからなかったのに、私の心臓はいっそう激しく脈を打っている。
誰かに電話して来てもらう?
いや、その声を聞いて襲いかかってくるかもしれない。
緊張し、包丁を手に持ったまま浴室のドアに近づいていく。
ゆっくりと、息を殺して。
ドアの向こうは暗闇だ。外にあるスイッチを入れ、浴室に灯りを点けた。それでも、何も音がしない。
そっとドアを開け、中をのぞく。
――何もいない。
「……なんだ、気のせいか」
家のどこにも、『何か』はいなかった。
変な感じがしたんだけどな。最近仕事が忙しかったし、疲れているのかも。
そう思い、洗面台の前に立つと鏡を見た。そこに移るのはもちろん、自分の顔。
――その顔が、ニヤリと笑った。
一人暮らしで、ここから徒歩十分の会社に勤める会社員だ。
「うん、よし!」
浴室の掃除を終えて、
何かがいる 寿甘 @aderans
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