第35話 告解、或いは別の『死神』

「はァァァーーッ!」


「らァァァーーッ!」


相対距離が凄まじき速度で詰まる。

突き込まれるナイフ。


瞬間、反転。

身を翻して致死の一撃を避け、後ろ回し蹴りでナイフを弾き飛ばす。

互いに徒手。好機。


しかし一歩を踏み出す瞬間にはその長身はこちらの懐に潜っている。

打突が滑り込む。 相手の繰り出した短い軌道の拳打はこちらの鳩尾を確実に捉えていた。


「フンッ!」


「ガッ!」


鈍い痛み。たまらず肺腑の奥から息が漏れる。

今のは効いた。

動きの一つ一つが速いだけではなく、重たい。


<N-ELHH>相手ではない、人に向けることにのみ研ぎ澄まされた格闘術。

冴えている。


「クッ……」


一歩引く。乱れた呼吸と腹を苛むダメージの回復を試みる。

だが。


「遅いな」


「クッ……ソが!」


敵もピタリと吸い付いてくるかのようにこちらの動きに合わせて移動し、攻撃を繰り出してくる。


正面!左フック!右肘……がフェイントで敢えてスカしての膝!

捌く。

技の軌跡が円環を描くかのような、見事な連撃だった。

技の威を流すに留めた筈の腕が悲鳴を上げている。


膝の後に放たれた最終段のハイキックを強引に前に踏み込みつつ受ける。


「ぬ……?」


予想外の挙動にジネットに刹那の硬直が走る。

その踏み込みを震脚と成し繰り出したるは八極が一、冲捶。

間合いは零。決殺距離。


「ハッ!」


然るに手応えは会心。


だが、拳が捉えたのはジネットの鼻先では無く、掌。


……掴まれた!?

理解が一瞬遅れる。


その瞬間には上腕が可動域の限界を越えた向きに捻れ始めている。


「グ……ォオ!!」


咄嗟に足を伸ばし、相手の胴を押し込むかのようにして振りほどく。どうにか距離が空いた。


「痛え……」


痛みは走るが……折れてはいない。支障はない。


負けている。

格闘の冴えに置いて、間違いなくこちらは正面の敵に劣っていた。

所詮は付け焼き刃の套路。<最終戦争>以前、健在だった祖父に習っただけの拳法。祖父が戦火に飲まれてから何年経ったと思っている。通じる訳がない。


加えて、思考。

今の攻防でよく分かった。

普段、姿形も急所も異なる<N-ELHH>を相手にしている俺と、人に対してのみその力を振るうジネットでは、思考の最適化度合いが違う。

俺がどう腕を動かせば致命になるかを考えている間に、相手は経験則と感覚で次の攻め手を整えている。


故に、上回れない。俺の拳は奴に届くことはない。勝てない。


ならば、捨てろ。


無駄を捨てろ

余計を捨てろ

余分を捨てろ

思考を捨てろ

自我を捨てろ

技術を捨てろ

技能を捨てろ

套路を捨てろ


何もかもを切り落とし、削いで研ぎ澄ましたその先端。

それだけが敵の鎧を貫き通し得る槍となる。











動きが、良くなっている。


それが、正直な感想だった。

あわよくば戦意を削ぎ、無駄な労苦を省いてこちらに引き入れることができればと思い言の葉を紡ぎ、結局失敗に終わった。そしてそこから、見張るほど動きが向上している。先程のハッキョクは貰うかと肝を冷やした。

やはり感情が与える影響は大きい。下手に心の瑕疵を抉るのは失策だったか。


だが。

それもここで終わりだ。

腕を捻った。折る所までは行かなかったが、十全な動きは出来ないだろう。

次。次の攻防で、確実に命を刈り取る。


膝立ちで俯いていた沢渡がゆらり、と立ち上がる。

――何、だ?


異質な気配。勝利に向けた高揚は消え去り、1秒先の生存に縋り付く本能だけがそこにある。


その気迫が何かを検める前に、拳が来た。


「ヌ、アッ!」


速い!右の拳の一閃!

咄嗟に躱す。


「今の動きは……?」


呟く頃には次が来る。

跳ねるような動きの飛び膝から攻撃がつながる。


「フッ!ハッ!ラッ!ズアッ!」


「ヌッ!クッ!このッ!」


先程とは明らかに動きが変わっている。


ある種システマチックな格闘術・拳法から、技術もへったくれもない、遮二無な一撃へと。

だが、その我武者羅な動きの先に通ずるのは。


bête野獣……!」


軽く飛び上がっての手刀が脳天に直撃する。


「グオッ!」


よろめいた体に振り回すかのような大ぶりな拳が二発。

鳩尾に捻りを加えた飛び蹴りが一発。

着地の低くした体勢のまま飛びつく動きの頭突きがまともに入りそのまま倒れ伏す。


――対応、出来ない!


倒れ伏した私の首に伸し掛かるように沢渡がマウントポジションを取り、上から拳打を見舞ってくる。


「グッ、ガッ、ゴハッ……!」


――まさか。


「舐めるなよッ!」


仰向けの体勢のまま、体を強引に振り回して沢渡の体躯を振り払う。


違う。振り払えたのではない。奴はこの動きを予期し飛び上がっていた――


膝立ちになった私に、低く跳ねた奴が再び鉄拳を放つ。


「オラァッ!」


怒声と共に、衝撃。その瞬間、視界の右半分が消え失せた。右目を潰されたのか!


――そんな、まさか。


反動で後ろに体を一回転させ、どうにか立ち上がる。

残された視界の半分に、前傾姿勢でこちらに詰め寄る沢渡の姿が収まっている。


迎撃。取れる選択はそれしか無い。


「ヌ、アアッ!」


「ウオッ!」


コンパクトに振るった一撃は脇腹の右、虚空を突き抜け、生じた隙に顎、鼻と打撃が入る。


「グガッ……」


―――まさか、狩られるのは最初から私だったとでも……ッ!


倒れない。意地で姿勢は崩さない。

再び右腕を引き絞り、残された左目で敵を見つめる。


「ウォオオァアアアッッ!!」


monstre de guerreee!この戦狂いの獣がァアッ!


交錯。

奇しくも互いに選択したのは最短、最速の右ストレートパンチ。

クロスカウンター。


真っ直ぐ直進した一撃は突き刺さるかのように敵の顔面に伸び――



それよりも早く私の左頬を撃ち抜いた敵の拳が、私の一切の動作を中止した。







バキリと。

それは案外呆気ない一撃だった。


渾身の一撃が、敵を容赦なく抉る。

ジネットは踏ん張ることすら出来ず、勢いよく後ろへ吹き飛ぶ。

後頭部を激しく周囲の壁に打ち付け、ヤツの動きは静止した。


動きを止めた奴の頭からは、赤黒い血がひたひたと溢れ出す。

奴らの赤褐色とは違う、同じ人間の血の色。


酷く打ち付けたか。……致命傷だな。


だが、終わりではない。

酷く疲れた体をむち打ち、敵のホルスターに収まる拳銃をむしり取る。


使い方は……ウチのP-86制式拳銃と同じか。スライドを軽く引き、薬室内に弾丸が収まっていることを確認した後、敵の脳天に狙いをあわせる。

引き金に人指し指を掛け、いざ引き金を引こうとした時、声が掛けられた。


「撃つ、か。私を。」


「驚いた。まだ喋れたか。……あぁ、撃つ。ハナからそのつもりでここに来た。」


「そう、か。……この死は、どこへ向かう。『死神』」


「さぁな。生憎と俺は偽物だ。送ることは出来ても行き先までは知らない。」


「私の死に、私の戦いに、私が見据えた数々の戦いとその果ての死に、意味は……あったか?」


先程と酷似した言の葉、しかしそれとは違い嘲る様な色は聞こえなかった。


あぁ、こいつも、

己が眼中で起きた死に、囚われている。

何があったのかは知らない。彼は、彼の苦しみは彼だけのものだ。その具体に介入する事は出来ない。


だが、その傷が相似であるとだけ、気づいた。


「意味か。確かに意味は無いのかも知れない。俺たち一人一人が世界に刻む爪痕なんて、大したものじゃ無い。この戦場に英雄はいない。」


「ならば……」


「だけど、信じたい何かがあって、守りたい何かがある。戦いや死そのものに意味はなくても、その為に生きられるのなら、譲れない物の為に立てるのなら、俺はそれでもいいんだと、満足だと、今はそう想える。」


「そうか。……そう在れたなら、それは、どれ程……」


死の間際にあり、『死神同類』は微笑んでいた。


「やってくれ」


人差し指に力を込める。

乾いた破裂音が、苦界からの解放を齎した。




壁際に持たれかかかり、事前に渡された通信機を起動する。


「こちら沢渡。敵現場指令官、ジネットを撃破した。……そうだ、標的は俺みたいな事をアイツが言ってい……」


『あぁそれ知ってる!』


『――なんせ、せっかちな敵の作戦指揮官サマがこっちに来ちゃったからね……!』


「な……!?」

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