第三十三話 バーベキュー
肉や魚介、野菜などを直火であぶり焼きしながら食べる料理。アメリカでは炭火焼きの肉を出すレストランを指すこともあるが、日本では専ら野外で調理するアウトドア料理を指すように思う。
「おーい、かなめー。火の準備できたけど、本当にもう焼いちゃっていいのかー?」
「ああいいぞ。海鳥達も、もうちょっとで着くって言ってたし」
「おー。おーけー」
七月二十日。
終業式が行われた日の夕方。俺は自宅のベランダから出たところで、ゆーきと一緒にバーベキューの準備をしていた。
四人掛けのテーブルを二つに、五人分の椅子。バーベキューグリルに竹炭。着火剤。点火棒にトング。軍手。保冷バッグに濡れ布巾。ウェットティッシュ。割り箸。紙皿。紙コップ。ゴミ袋。冷水筒に入ったお茶。焼き肉のたれ(辛口と甘口の二種類)に八等分に切り分けたレモン――大方の準備はあらかた終わり、今ちょうど肉を焼き始めたところだった。
「ん? かなめー、テーブルの上、肉しか置いてねえけど、野菜とかは準備してねえの?」
「あー、野菜は今から持って行くから、今は置いてある肉を焼いててくれ」
「うーい、りょーかーい」
ベランダを出てすぐのところから、間延びした返事が聞こえてくる。
先ほど言ったように俺は準備していた野菜を持って、ベランダへ出た。
ちなみに野菜はシーザーサラダなどの生で食べる野菜と、生の玉葱、ピーマン、椎茸、薩摩芋など、グリルで焼いて食べる野菜の二つを用意している。
それらを持ってベランダに出ると、ゆーきが少し慌てていた。
「――ちょいちょいちょいレイラちゃん待って待って。ストップストップストップストップ! そっち生のお肉だから食べちゃダメ! もうちょい……もぉぉちょいでお肉焼けるからちょっと待って!」
「嫌じゃ。目の前にこんないい匂いがする肉があるのに待つなんて儂にはできん。そっちが食えぬなら儂はこっちを食う」
「いやだからそっちはダメだって!」
「あーん」
「あー! 無視しないでー!」
我慢できなかったレイラが生肉に手を伸ばして食べようとしていた。
……何やってんだあいつは。
「あっ! かなめヘルプ!」
「……こら」
「あいた」
ゆーきが注意しても止まる気配がなかったので、俺はサラダを盛った木製のボールで銀色の頭頂部を小突いて、指先で摘まんだ肉を口に入れようとしたレイラを止めた。
小突かれたレイラは不満そうな顔をして俺の方を見る。俺は両手の野菜をテーブルの上に置いて言った。
「もうちょっとで焼けるって言ってんだから、できるまで待ちなさい。待てないからって生肉を食おうとするな」
「えー、別にいいじゃろ何枚かこのまま食っても……これでもじゅうぶんうまいし」
「うまいしじゃない。……ほら、生肉元の場所に戻す」
「……むう」
手に取った生肉を不満そうに戻すレイラ。
素直に従ったが、空腹で機嫌が悪いのか、そのあと不貞腐れたようにぐてーっと上半身をテーブルの上に倒した。
そしてその体勢のまま忌々しそうに肉のある方を睨み付ける。
「……目の前に肉があるのに食えんのか」
「そんな邪念の籠った目で睨まなくても、焼けたら食っていいから……ほら、右手出せ。付いた肉汁拭くから」
「んー」
「ん」
テーブルの隅に置いてある箱からウェットティッシュを一枚抜き取って、出された右手を拭く。レイラが触ったのは塩だれに漬け込んだ肉だったため、指先だけでなく手のひらもしっかり拭いた。
「……はー、よかった――しっかし、レイラちゃんってほんとかなめの言うことは聞くよな」
使ったウェットティッシュをゴミ袋に捨てたところで、ゆーきがそんなことを言った。バットに置いてある野菜を網の上に置いて行きながら、へらへらーと笑う。
「やっぱお兄ちゃんは違うなー」
「誰がお兄ちゃんだ」
「ん? かなめ」
「……俺とレイラは兄妹じゃないんだが?」
「つっても、二人の関係って兄妹に一番近いだろ」
ゆーきは笑いながらそんなことを言った。
「年の離れた手の掛かる妹と、面倒見のいいお兄ちゃん……実の兄妹じゃないってわかってるけどさ、傍から見たら二人の関係って、そう表現するのが最適だと思うぞ?」
「…………」
「つーか、自分でもそう思ったことあるだろ?」
ゆーきの言葉に俺は黙る。
確かに、レイラと一緒に過ごしていて『年の離れた妹がいたらこんな感じかな』って思ったことは何度もある。……しかし、ここでゆーきの指摘を認めて『そうだな』と言うのは、なんとなく嫌だと思った。
……図星だからだろうか?
「……むう。にくぅぅぅ……」
考えているとそんな弱々しい声が聞こえた。
見ると、レイラが口元から涎を垂れ流しながら、朦朧とした調子で肉が焼き上がるのを今か今かと待っていた。
「……はあ」
ベランダから家の中に戻って、そのまま台所に向かう。
食器棚からレイラがいつも使っているお茶碗を取り出して、炊飯器から炊き立ての白米を装う。
そしてそれを持ってベランダに出て、レイラの目の前に置く。
「待てないんだったらこれとテーブルの上にあるサラダは食べていいから。こいつらでも食って待ってなさい」
「
「こら。しゃべりながら食べるんじゃありません」
「
「ゆーき」
「うーい。今焼けたやつ皿に取ってるから、あと一〇秒くらい待ってくれー」
「あと一〇秒くらいでできるってよ」
「
「ああほんとだ……だからしゃべるんだったら飲み込んでからにしなさい」
「んー、もぐもぐもぐもぐ」
口を閉じて白米を頬張るレイラ。
ゆーきが焼き上がった肉(骨付きの鶏もも肉や豚バラ肉など)を皿に盛って出すまでの間、俺は紙皿を一つ取って甘口のたれを注ぎ、レイラにそれを渡す。渡すとレイラは「なんじゃこれ?」と言ってきたのでたれについて説明していると、二人の
「あ、いい匂いがするー……やっほー、かめくーん、ゆーくーん。到着しましたよー」
「……あたし思ったんだけど、やっぱあんたん家の森広過ぎない? 歩いたら毎回迷いそうになるんだけど?」
二人とも私服姿での登場。
頼んでおいた飲料水の入った袋以外、二人とも何も持ってなかった。
二人の姿を見たゆーきが言った。
「おーう、お疲れー。ちょうどできたところだから食おうぜー」
「え? ほんと? やったー!」
「今日はコスプレじゃないんだな」
「うっさい――っていうかコスプレなんか一度もしたことないわよ」
ゆーきの隣に佐々木、海鳥。反対側にレイラと俺が座って、食事を始める。
食材を焼く調理はゆーきが担当して、俺は米を装ったり飲み物を注いだりと、給仕係をする。女子三人は食べる専門である。
「……それにしてもあんた、そのエプロン似合わないわね」
白米を装ったお茶碗をみんなに配っている時に、俺の服装を見た佐々木がそんなことを言ってきた。
「唐突になんだ」
「別に。ただ似合ってないなーって思ったから言っただけよ」
冷ややかな目線をこっちに向けつつ大皿から肉を取りながら、佐々木は言う。
ちなみに俺が身に付けているエプロンは、薄いピンク色の生地に寝転がっている黒猫と、無数の足跡が描かれた柄をしている。
個人的に気に入っているのだが、佐々木には不評みたいだ。
「あ、リアちゃんもやっぱりそう思う? 私も似合ってないなーって思ってたんだよねー」
「やっぱりそうよね? ……猫ちゃんはかわいいのに、あんたが身に付けるとシュールよ」
「ワサビを付けたプリンとか、砂糖漬けにしたジョロキアを見た気分になるっていうか」
「生地がピンク色なのが致命的ね」
「……言いたい放題だなお前ら」
俺とこのエプロンはそんなにミスマッチなのか。
「それくらい似合ってないってことよ……っていうかそれ、まさかとは思うけど自分で買ったものじゃないわよね?」
「この柄が俺の買ったものに思えるのか」
「あんたセンス悪そうだから、あるいは」
「うん。かめくんなら平然と買いそう」
どうやら俺は、女子の二人にセンスがおかしいと思われているようだ。
「はっはっはー――かなめのセンスだったら俺も大爆笑してんだけど、そのエプロンならかなえさんが買ったものだぜ?」
フォローというわけではないだろうが、このエプロンを入手した経緯を知っているゆーきは、二人にそう説明をした。
「確か去年の誕生日プレゼントだったよな?」
「……いやあんた。お姉さんからのプレゼントだからって、人前でその柄のエプロン着る?」
「……何かおかしいかよ?」
「あんたがそれを好んで着てるとしたら」
酷い言い様だった。
……まあ、俺だって好んでこのエプロンを着ているわけじゃないし、自分でも似合ってないのはわかっているから、佐々木にそんな反応をされたところで怒りは湧いてこないけど。
ゆーきにも大爆笑されたことあるし、俺としては姉ちゃんが俺のために選んで、贈ってきたものだから使っている――それだけなんだけどな。
そう思っていると海鳥とゆーきが言った。
「なるほど。確かにお姉さんからのプレゼントだったら仕方ないね」
「まあ、かなめってかなえさんのこと大好きだからなー」
「ねー。超が付くほどシスコンだよねー」
「いいや違うぜ海鳥? かなめはシスコンなんて次元じゃねえよ? かなめのかなえさん好きはコンプレックスなんて生易しいものじゃないからな……こいつはシスコンの更に一段階上――シスコンならぬシスラヴの次元にいる!」
「ぷっ。シスラヴって」
「……おい。ゆーき、海鳥。お前らな――」
「ん、かなめ。儂ごはんおかわり」
「お前は相変わらず自由だなー、レイラ」
おかわりと言われたのでお茶碗に白米を装ってくる。
そして帰ってお茶碗をレイラに渡した時、俺の携帯電話が鳴った。
「ん? 誰か電話なってるよー?」
「ああ悪い。俺だ」
「ありゃりゃ。またお姉さんから?」
着信があっただけなのに、海鳥は断定するようにそう言った。
続けてゆーきはにやにやと気持ち悪い笑みを浮かべる。
「かなえさんだろ? さっさと出ろよ」
「……まだ表示確認してないけど?」
「しなくてもかなめに連絡するのはあの人くらいだろ……で、誰だった?」
「……まあ、姉ちゃんだけど」
画面には『お姉様』の表示。
……ここで出ると外野がうるさそうだったので、俺はレイラに「大人しくしとけよ」と言って「かなえさんによろしくー」というゆーきの発言を無視して、席を外した。
ベランダから家の中に戻って、それから電話に出る。
「……もしもし?」
『ん。もしもし、かなちゃん?』
当たり前だが姉の声がした。
神崎彼恵――俺の七つ上の姉……そう言えば連絡は毎日のように取っていたが、ここ最近はずっと文章でしか会話をしていなかったため、声を聞くのは久しぶりだった。
前に話そうって言われた時は断ったし。
『お姉ちゃんだけど、今通話して大丈夫?』
落ち着いた穏やかな声。
よく慣れ親しんだ声。
リビングに入り、近場にあった座布団に座りながら、俺は言った。
「今友達とバーベキュー中だけど、大丈夫」
『あら。楽しそうなことしてるのね』
姉は淡々とした調子で言った。
『お姉ちゃんは今、一人で仕事中だから、羨ましいわ』
「……仕事中なのに、無関係な電話していいの?」
『いいのよ――仕事って言っても、家で書類をまとめているだけだから』
「ああそう」
姉の言葉に短く返す。
俺は姉がなんの仕事をしているのか知らないが、書類をまとめているという発言を聞いて、なんとなくスーツをきっちり着たキャリアウーマンの姿を連想した。
背が高くてクールだから、姉はスーツ姿が似合うだろう……まあ家にいるんだから、今はスーツなんて着ていないだろうけど。
『バーベキューって、勇騎くんと?』
「ゆーきもいるけど、あとクラスメイトの女子とか、その知り合いの女子とか」
『ふうん……珍しいわね。かなちゃんが勇騎くん以外の子と。しかも女の子と遊ぶなんて』
「遊びっつーより、飯食ってるだけだけどね」
認識の誤差があるので訂正する。
成人している姉からしたら、遊んでいると思うのかもしれないが、俺からしたら一緒に食事をしているだけだ。遊んでいる感覚はない。
しかし、そんなことを知らない姉は、俺が女子といるのを知って笑うだろう……からかわれるのもあれなので、俺は姉の用件を訊いて、とっとと話題を逸らすことにした。
「で、どうしたの姉ちゃん?」
『ん? 何が』
「急に電話してきたから、その用件」
『…………んー』
姉は考えるように唸る。
そしてしばらくして言った。
『……急にかなちゃんの声が聞きたくなったとか、そんな感じかしら?』
「そんな感じって」
『はっきり言うとこれといった用件はないのよ。何か理由があって電話したわけじゃなくって――ただ、最近かなちゃんと連絡取っていても、声は聞いてないなーって思って、前訊いた時は断られたからなーって思って、仕事も丁度ひと段落したし、今だったら声聞けるかなー……って思ったから、電話しただけなの』
「ああそう」
『あ。あと今日終業式だったでしょう?』
「それは今思い出したから言っただけでしょ? 姉ちゃん」
『うん。そうよ?』
他愛のない会話だった。
文字でやり取りしている時と、変わらないやり取り。
しかし、文字でのやりとりと、会話はまったく異なるものだ――文字だったら考えたことを文にして、それを客観視してから相手に送ることができるが、会話は考えながら発言しないといけない。
俺は姉と会話をしながら、少し迷っていた。あることについて、姉に質問するかどうか。
それは佐々木や海鳥、ゆーきに確認すればわかることなのだが、今こうして話しているのだから、姉に直接尋ねようと思った。
『そう言えばかなちゃん、今年の夏休みはどうするの?』
直接訊いたからと言って、姉が正直に答えてくれるとは限らない。そもそも俺の考えが間違っている可能性もある。
「どうって。どういう意味?」
『何か予定立てたりしてないの?』
首を傾げられるかもしれないし、合っていたとしても惚けられるかもしれない。
「んー……特には」
『そう』
しかし、訊こうと俺は思った。
正直に答えてくれたらそれでよし。答えてくれなくてもそれでよし。
『……だったら、久しぶりに実家に帰らない? お父さんもお母さんも、かなちゃんの顔見たいだろうし、お姉ちゃんも一緒に帰るから』
その場合は、姉の反応から切るカードを選んだらいい。首を傾げられたら佐々木たちに問う。惚けられたら追求する。
「……それはいいかな。遠慮する」
『そう』
今後の生活の為にも――今は進むのが重要だ。
『じゃあ、今年も私がそっちに遊びに行くわね。今回はたぶん、八月下旬になると思うけれど』
「うん。それはいいよ――詳しい予定がわかったらまた教えて」
『ええ。わかったわ』
訊くなら今だなと思い、俺は言った。
「……そう言えば姉ちゃん。一つ訊きたいことがあるんだけど……いいかな?」
『ん? 別にいいけれど。どうしたの?』
「いや……別に大したことじゃないんだけど」
『? うん』
「お姉ちゃんさあ」
俺は言った。
「――いつ
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます