第4話 わたし、月にいるよ
ミノリの事故の話を聞いた日の夜。
なんとなく寝つけずにいたオレは、何本目かの缶ビールを空けていた。
適当な動画を流し見していた深夜2時。
見知らぬ宛先からビデオレターが着信した。
≪For Makoto Happy Birthday≫
「こんな時間に誰だよ。こっちは明日も仕事だっての……」
酒を飲むと気が大きくなるせいか、独り言が増える。
普段なら完全に無視するのだが、誕生日に送られてきたそのビデオレターを、何の気なしに再生してみた。
しばらく砂嵐が流れた後、灰色の地面が映し出される。無音。
画質が悪く、たまに映像が途切れて砂嵐に戻る。
「なんだこれ? 呪いのビデオか何かか……?」
気味が悪い。
再生を止めようとスマホの画面に手を伸ばした瞬間、映像が切り替わる。
【あ、あ~。聞こえますか?】
白い部屋。画面が眩しく感じられる。
ショートボブの若い女性が壁にもたれかかっていた。
≪大丈夫。音声入ってるよ≫
別の女性の声が入る。カメラを回している人物の声のようだ。
【良かった。オホン……。マコトくん、元気ですか? わたしは……たぶん元気です】
画面上の女性が、照れ笑いを浮かべながらオレに呼び掛ける。
≪何それ~。ミノリ固いよ~≫
カメラマンの茶化すような声。
【ちょっとイチカ! 静かにしてよ~! え~っと、マコトくん! わたし、
アサギミノリ? ミノリ、なのか……。
ミノリのことを見かけたのはおそらく中学の頃が最後だ。画面に映る大人の女性と、オレの中のミノリとうまくリンクしない。
なんていうか……ずいぶん大人っぽくなったな……。
【わたし、宇宙にいるよ】
寄りかかっていた壁を押して、ミノリがカメラに向かって飛んでくる。
空中をまるで飛ぶように水平に移動する。
無重力、か。
ミノリどんどんカメラに迫る。顔がこれでもかというほどドアップになった瞬間――。
【痛っ!】
ものすごい衝突音がして、映像がブラックアウトする。
ミノリが壁を押す時に勢いをつけすぎてカメラマンに体当たりしたのだろうか。
【て、テイク2……】
映像が戻る。
≪ミノリ! 気をつけてよね。カメラ壊れたらどうするの?≫
【ごめんて~。えっと、オホン。聞こえてますか? マコトくん、わたしは月にいます。今ね、月面コロニーの建設準備なんだよ~】
カメラがズームアップする。
ミノリの照れたような笑顔が大きく映し出される。
オレの記憶の中のミノリとその笑顔が少しだけ重なって見えた。
【ごめんタイム! ちょっと止めて!】
再び映像が暗くなる。
【あ~、聞こえますか?】
ミノリが壁にもたれかかっている映像が映し出される。
テイク3か?
まったく、編集してから送ってこいよな。
≪大丈夫~。声きてるよ≫
【良かった。えっとね、船外活動の様子も撮ってみたんですけど、カメラの性能が追いつかないみたいで……】
ミノリがすまなそうに頭を下げる。
ああ、それが冒頭の砂嵐の映像か。
【マコトくんに月の様子を見せてあげたかったんだけど……この窓からだと遮光でみえないよね】
≪さすがに無理だと思うよ~≫
そう言いながらも、カメラマンの子は窓のほうに寄った映像を撮ってくれる。
が、窓ガラスが黒く見えるだけで、外の様子はまったく見えてこない。
【残念……。それじゃあ仕方ないから、わたしたちの活動の様子を口で説明してみようかな】
ミノリの説明が始まる。
どうやら、月滞在の長期ミッションの最中らしいということがわかった。
人数規模などは不明だが、コロニー用の資材作成班と月面調査班の2つが存在していて、ローテーションしながら、両方の仕事をしているようだった。
今の期間、ミノリは月面調査班として、船外活動を担当しているらしい。
【それでね。月は一応重力があるんだけど、歩き方が難しくて、こんなふうに勢いをつけて跳ねる感じで――】
ミノリがその場で左足を大きく踏み切り、ジャンプするようにして歩き出す。
≪あ、バカ! 跳ねすぎ!≫
カメラマンの子の慌てたような声が入る。
映像を見ているオレからしても、明らかに踏み出す一歩が大きいのがわかった。
【うわ~! イチカ助けて~!】
ミノリの叫び声が遠ざかっていく。天井に向かって飛んでいく姿が、カメラのズーム性能によって追いかけられる。
ミノリは慌ててつつも、一生懸命両手を使って藻掻き、姿勢を変えようとしていた。しかし壁に触れられる距離でもない。どうやら一度空中に浮いてしまったら、簡単には姿勢を変えられないようだった。
顔を真っ赤にして回避しようとするも、努力むなしく、ミノリは体ごと天井に激突してしまった。声にならない声を上げつつ、ゆっくりと落下してくる姿が映像に収められていた。
【こ、こんなふうに月での移動はとても大変で……】
≪あいかわらず歩くの下手ね~≫
カメラマンの子が笑っていた。
笑い声に合わせてカメラが少しぶれている。
【あ~もう! 笑うなんてひどい! ホントに痛かったんだからね!】
ほっぺたを膨らまして怒る姿はとても幼く感じられた。また、少しだけオレの記憶の中のミノリに重なって見えた。
【船外では命綱がついてるからね。どこまでも飛んで行ったりはしないから安心してね】
ジャンプしすぎてしまい、紐を伝って地面へと戻っていくミノリの姿を想像して、思わず吹き出してしまった。
そして、ふと我に返る。
ああ、こんなふうに笑ったのなんていつぶりだろうか。
ミノリが再びカメラに近寄ってくる。
【マコトくんと一緒に月を見ようって約束したからね】
ああ、そうか。
【月に一緒に住もうって約束したからね】
ああ、そうだったな。
【わたし、月にいるよ】
そう言って、ミノリは小さく微笑んだ。
ミノリ、それは逆だよ――。
本当はオレが宇宙飛行士になって、月でミノリを待つはずだったのに。
ああ、オレはこんなところで何をやっているんだろうな……。
【わたし、大人になったよ】
オレの宇宙への夢は、大学に入れなかったくらいで諦めてしまうような、そんな簡単な夢だったのか。
オレが入れなかった大学にミノリが合格した。それで不貞腐れて……オレは何をやってるんだよ……。
ミノリは子供の頃の約束をずっと忘れていなかった。
その夢を目標に変えて、ずっと努力し続けていたんだ。
オレはいったい何をやっているんだ……。
【わたし、月で待ってるから】
ミノリ……すまない。オレはまだ地球にいる……。
【マコトくん、お誕生日おめでとう。来年は一緒にここで――】
そこで映像は終わっていた。
ああ、本当にすまない。
オレはなぜこんな……。
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