転生した悪役令嬢は、王子の幸せを願う
鷹羽飛鳥
1 悪役令嬢は、前世を思い出す
あ~、眠い。コーヒーでトーストを流し込むだけの朝食を終え、15分で化粧を済ませたわたしは、家を飛び出した。
…訂正。アパートをよろけながら出た。
大学時代から数えて10年、正月しか実家に帰らない生活を続けている。
一人暮らしは自由だけど、何もかも自分1人でやらなければならないってとこが問題よね。
仕事が休みの日にしか掃除とかできないし。
ああ、もう、実家住まいなら、家に帰ると夕飯ができているのに。
その分、今みたいにゲーム三昧な生活もできなくなるんだけどね。
それにしても、夕べもヴィヨン様の攻略に失敗した。どうして失敗するんだろう。ちゃんと攻略本どおりにやってたはずなのに。隠しパラメータでもあるのかなぁ。
ここしばらく、わたしは「芳醇なる恋の香り」というゲームに、というか、そのメイン攻略対象であるヴィヨン様に全てを捧げている。
このゲームは、ワケあり主人公のブーケが14歳から17歳まで3年間の学園生活の中で、攻略対象を攻略していくというものだ。
ヴィヨン様は、ゲームの舞台であるヴォライユ王国の第2王子。
ちょっとくせのある赤い髪に茶色の瞳という、メイン攻略対象にしては少々地味な色合いなんだけど、優しげなまなざしと思慮深く穏やかな物腰という、ハイティーンには見えない落ち着きが萌える、いかにもな優しい王子様だ。
5人いる攻略対象は、ヴィヨン王子(赤)、公爵家令息シャメール(金)、宰相の息子ブラン(青)、騎士団長の息子マネーズ(黒)、侯爵家の嫡男ランデー(銀)と、それぞれ色を与えられている。
このうち、最も攻略難易度が高いのがヴィヨン様。普通、メインってそんなに難しくないんじゃないの!?
ヴィヨン様の攻略に挑むこと9回、なぜかことごとく失敗している。
攻略本のとおりにやっているはずなのに。
とにかくムカつくのが、悪役令嬢のアメリケーヌ。
ヴィヨン様の婚約者で公爵令嬢なんだけど、ブーケに嫉妬してガンガン嫌がらせをしてくる。
最初のうちは、嫌味を言ってくる程度で実害はないんだけど、少しずつエスカレートしていって、最後の方になると、お約束の階段突き落としまでされる。
これ、階段ですれ違った後、ものも言わずに背中を突き飛ばされるってやつで、ブーケは全身打撲で2日も寝込む羽目になるのだ。
階段を上ってくるアメリケーヌと下りていくブーケという、実際のヴィヨン様の好感度と逆の描写で、アメリケーヌの起死回生の一撃ってことになってる。状況証拠からは真っ黒だけど、なにしろアメリケーヌは公爵令嬢で王太子の婚約者だから、物証がないとどうにもできないってのがキモ。目撃者がいないし、ブーケも大きな怪我をしていないから、下手をすると狂言扱いされて、ブーケの方が罰せられてしまう。
本当は、護衛が見張ってるから、アメリケーヌがやったってわかってるはずなんだけど、どういうわけかその証言が得られないのよ。
ハッピーエンドに行けないと、ヴィヨン様ってば、個人の感情より立場を優先して
「愛しているのは君だけだ。
だが、私は王太子となる者だ。貴族のパワーバランスを考えれば、アメリケーヌを王妃に迎えるしかない」
って言ってくる。
今回のプレイでは、アメリケーヌが正妃になってブーケは側妃に迎えられたんだけど、1年後に暗殺されたってエンドだった。
護衛さえ証言してくれれば、ひっくり返せると思うんだけどな~。
とにかくヴィヨン様が鉄壁の理性の持ち主で、次の王という立場を絶対に崩さないのよ。
王になった後の政治バランスとか、すっごく重要視してるのよね。
毎晩ちょっとずつやっていたんだけど、夕べちょっといいところまで行ったせいでほとんど寝ていない。できれば仕事を休みたいところだけど、今日は大事な打ち合わせがある。これを欠席したら、下手すると明日から会社に席がなくなりかねない。
大丈夫、昼休みにちょっと寝ればなんとかなる。
思うように動いてくれない足にそう言い聞かせながら、駅の階段を登る。おかしい。なんだか登っても登っても先が見えない。いやいやそんなバカな。動きが鈍いから、そう感じているだけだ。そうに決まってる。
必死に登っていたら、下から駆け上がってきたおっさんがぶつかってきた。
うそっ!?
今、その攻撃はマズいって!
完全にバランスを失ったわたしの体は、階段を転げ落ちていった。わたしはブーケじゃないっての。
混んでいたはずなのに、誰にもぶつからない。
誰か1人くらい、受け止めてくれる優しい人はいないものか。
麻痺してるのかなんなのか、痛みすら感じないまま、わたしの意識はブラックアウトした。
ふと目を開けると、真っ白な天井が目に入った。天井というには、なんか嘘みたいに真っ白で、距離感も怪しいけど。
医務室かどこかだろうか。
なんだか感覚が薄いというか、指1本動かせないんだけど。
「やあ、目が覚めたようだね」
突然、耳元で声が聞こえて飛び起きた。
いや、体が動かなかったんじゃ…?
ていうか、わたし立ってるじゃん。あれ? でもやっぱり動けない。しかも、なんていうのか、雲の中にでもいるみたいに視界が白一色だ。
「わかっていないだろうが、君は死んだ」
また、さっきの声が聞こえる。耳のすぐ傍でしゃべってるみたいな感じ。でも、気配は感じない。
「君の魂は、実にいい執着を持っている。
そんなにヴィヨンと結ばれたいかい?」
コクコクとうなずく。体は動かないのに、なぜかうなずいてる気がする。
「取引をしないか。
君のために、ゲームと同じ世界を用意しよう。
君はそこで、ヴィヨンを攻略するんだ」
ヴィヨン様を攻略!? あなたは神ですか!
それはぜひ! …あれ?なんか話がうますぎない?
「もちろん、ただではない。取引と言っただろう?
条件は、その世界で君が死んだ後、君の魂をもらうこと」
魂? わたしの?
「そう。
君の魂は、強い執着によって、素晴らしい輝きをたたえている。
これを生まれ変わった世界で更に磨けば、もっと輝くだろう。それこそ、小さな世界の1つや2つ作っても構わないほどの輝きだ」
執着?
「ヴィヨンを無事攻略して執着が昇華されれば、君の魂の価値は世界5つ分に匹敵する。
失敗しても、執着はより強くなり、世界2つ分の価値だ。
どっちに転んでも損はない」
ヴィヨン様の攻略に失敗したら、わたし死ぬの?
「いいや。その悔恨を背負ったまま生きてもらう。自殺は許さない。
命数を教えてしまうと、魂の輝きが落ちるから言えないが、それなりの年齢までは君が死ぬことはない。
欲しいのは、君が寿命で死んだ後の魂だ。
さあ、取引を受けるか、受けないか。
答えたまえ」
もう一度トライすれば攻略できる、はず。
根拠はないけど、チャンスを貰えるんだから、飛びつかない手はない。
たとえそれが悪魔の囁きだったとしても。
ヴィヨン様を攻略せずに死ねない!
「攻略に成功しても失敗しても、40~50年は生きられるってことで間違いないですね?」
「少なくともそれくらいは生きられる」
「わたし以外の誰かの魂が奪われることもありませんね」
「ない。欲しいのは、君の魂だけだ」
「なら、受けます!」
「よろしい。では、君の望む世界に生まれ変わるがいい」
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…思い出した。
…わたくし?
私、悪役令嬢に生まれ変わってるじゃありませんのぉぉっ!!
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