ピンポーン

@koyuki-taira

ピンポーン

 私はいま、この上なく穏やかな気持ちです。こんなところでそんなことを言っても、信じてもらえないかもしれませんが、それでも、私はほっとしているのです。

 当時私は、調布という街に引っ越してきたところでした。カフェや居酒屋はもちろん、映画館も大きな家電屋さんもあって、たいへん賑やかな街です。近くに高校があるようで、夕方になると、制服の高校生をよく見かけました。私なんかは田舎の出身ですから、放課後にお友達と映画館に行った経験などはもちろんなく、羨ましいような、妬ましいような、微笑ましいような、なんだかよく分からない、複雑な気持ちでした。東京の方とお話をしていると、どうやら調布はそれほど都会でもないとのことで、調布の街並みや制服の高校生を見たくらいでわくわくしちゃって、私は、とっても恥ずかしく思いました。調布という街は、自分で選んだところではありませんでしたが――東京で働きたいと思って、地理など全く分からないまま、調布にある会社に就職したのでした――、それでも、いま考えると、私にちょうど良かったのかも知れません。都会は、賑やかで、キラキラしていて、でも寂しいところもあって、でも、どこかちょっぴり、怖いところです。

 引っ越してきてから一週間ほどは、家の周りをぐるぐる歩いて廻りました。東京には知り合いがいませんから――遠い親戚がいるということは、母から聞いておりましたが――、家にひとりでいると、どうも寂しくてたまらず、お恥ずかしいことですが、涙が出てくるのです。今は昔とは違って、テレビ電話もありますから(「テレビ電話」ってもう死語でしょうか……なんだかお年寄りみたいで恥ずかしい)、毎日家族の顔を見てお話しすることも、しようと思えばできるのですが、都会の女になる、なんて言って、かっこつけて東京に出てきた手前、なんだか「寂しい」と言うことが恥ずかしく罪な気がして、……ああ、ごめんなさい。そろそろ本題に入りますね。とにかく、私はそんなふうに過ごしていたのです。

 あれは、私が入社して数日が経った頃のことでした。私の仕事は営業事務で、品質管理項目のチェックや電話対応などをやっておりました。それまでは飲食店でのアルバイトくらいしか経験がなかったものですから、最初は不安でたまりませんでした。初日の朝は、あまりの緊張で腹痛になり、いつまでもトイレから出られず、朝五時には起きていたというのに、九時の始業に5分ほど遅刻してしまいました。もう消えてしまいたい、と思って出社したのですが、会社の方々は、初日から寝坊だなんて、こりゃ大物だな、だとか、15分まではセーフだから、などと、みなさま明るく笑いながら声をかけてくださって(けっして、皮肉ではありませんでした)、私はほんとうに、救われた心地がいたしました。寝坊ではなくって、お腹が痛くてトイレから出られなかったのです、申し訳ございません、と訂正すると、みなさんはどっとお笑いになって、私は恥ずかしくも嬉しい気持ちになりました。失敗は、思い切り笑ってもらうに限りますね。ひとが落ち込むのは、自分の失敗を笑うことができないからなのでしょう。自分にとっての悲劇は、他人からすれば、往々にして喜劇と見えるものなのです。

 最初の数日間は、優しい先輩方に手取り足取り教えていただき、必死の思いで働きました。このような良い職場で働くことのできることを当たり前とは思わないように、と自分に言い聞かせて、学生時代から勉強は苦手でしたが、早く会社の役に立ちたいという一心で、教わったことや気づいたことなどを忘れないようにメモに取って、真面目に働きました。忙しければ寂しさも薄まるようで、家に帰っても前のように涙が出るようなこともなくなりました。もう都会の女になっちゃったのかも、なんて浮かれていたことを覚えております。

 やがて、働き始めて最初の金曜日になりました。もしかして私のための歓迎会があったりするのかな、なんて思っていましたが、定時になると、みなさん、いつものように、お疲れ様でした、と言って帰って行かれるので、ちょっぴり落胆しながらも、もしかして私って調子に乗っているのかもしれない、と反省をして、はなから何も期待していなかったかのように、お先に失礼します、と言って職場を後にしました。途中でコンビニに寄って、ビールとおつまみを買いました。ほんとうは、ビールは、苦くて嫌いです。でも、会社で飲み会があったときに、私もビールで、と言えるように、こっそり特訓しようと思ったのです。都会の女はビールくらい飲めなくちゃいけない、なんてことを思っていました。缶ビールを一本、頑張って飲みました。普段はほとんどお酒を飲みませんから、それだけで酔っ払ってしまって、私はテーブルに突っ伏して眠ってしまいました。

 それからどれくらいの時間が経ったのでしょうか、私は、

「ピンポーン」

 というインターホンの音を聞いて目を覚ましました。手元のスマホで時間を確認しますと、もう深夜十二時を過ぎていました。起きたばかりで、頭はまだぼんやりしておりましたが、こんな時間に誰だろうと、とりあえず急いで玄関へ向かいました。ドアを開ける前に、玄関のところにある姿見をふと見ますと、突っ伏して寝ていたために、顔に赤い跡がくっきりとついておりまして、私はたいへん狼狽えました。この顔で出るのは恥ずかしいので、私はひとまず、ドアスコープからお客さんを確認してから出るかどうかを決めようと思いました。しかし、いま振り返って考えると、いったい誰だったら出る気だったのか、自分でも分かりません。

 さて、そうしてドアの覗き穴から外を見てみますと、誰もいませんでした。出るのが遅かったかな、いや、酔っ払って帰ってきたご近所さんが、間違ってうちのインターホンを鳴らしてしまったのかな、などと、そのときは深く心に留めることはありませんでした。翌日は土曜日でしたから、お風呂は明日起きてから入ることにして、私は化粧だけ落としてベッドに潜って眠りました。

 これが、地獄の始まりでした。

 翌朝、と言っていいのかは分かりませんが、私は十一時頃に起床いたしました。その週から働き始めて心身ともに疲弊していたということもあるのでしょうが、私は元来、ロングスリーパーとでも言うのでしょうか、寝ようと思えばいつまでも寝ていられるような性分でありまして、実家にいた頃には、母や妹にナマケモノやコアラなどと呼ばれて揶揄されていたほどでした。私はシャワーを浴び、机の上の残骸を片付け、そのあとは駅前のパルコに買い物に行くなどして、ごく平凡な休日を過ごしました。しかし、その夜もまた、インターホンが鳴ったのです。

「ピンポーン」

 という音が鳴ったとき、私は前日と同様に、眠っていました。いや、ひょっとするとまだ完全には夢を結んでいなかったのかもしれませんが、少なくとも、ゆめうつつ微睡んでいたように思います。前回とは違って、このとき、私の心臓はドキリと大きく脈打ちました。時間を確認しますと、深夜の二時でした。普通のひとであれば、深夜にインターホンを鳴らすなんて、なんと非常識な方なのだろう、とお思いになるかもしれませんけれど、そのときの私の胸中は、怒りよりも恐怖でいっぱいでした。私が住んでいたのは、ワンルームの狭い部屋でしたから、ベッドから玄関のドアまでは、たぶん5メートルもなかったように思います。私が寝ているベッドの数メートル先のドア一枚を隔てた向こう側に、誰か見知らぬ人間がいるという恐怖は、なかなか耐えがたいものです。私は掛け布団を口元まで持ち上げて、息を殺していました。呼吸はつとめて抑えることができても、やはり心臓の動きはどうにもならないもので、私はドカドカと鳴っている心臓の音が、ドアの向こうのひとに聞かれやしないかと、気が気ではありませんでした。

 結局、その夜に二度目のピンポーンが聞こえることはなかったのですが、私の寝ぼけ眼はすっかり冴えてしまって、それから日の出までの数時間は、ずっと気が張り詰めていて、一睡もすることができませんでした。敵の奇襲に備えることは、ひどく神経をすり減らします。一分おきに一発、強かに殴られる方がまだマシだと、何度も思いました。なぜって、いちど殴られてから、再び殴られる数秒前までは、気を抜くことができるのですから。私が経験したのは、これからお前を殴るかもしれないし、あるいは殴らないかもしれない、殴るとしても、いつ殴るかは教えない、と言われて、じっと待っているようなものでしょう。それはひょっとすると、死の恐怖に似ていなくもないと言えるかもしれません。母から聞いた話ですけれど、私は幼い頃、毎晩毎晩、死にたくないよお、と言って泣いていたそうです。きっと、ひとはみんないつか死ぬということを、誰かから聞いたのでしょうね。せっかく生まれてきたというのに、ある日突然、死ぬ。生死とは、こういう意味で本質的に理不尽なものなのでしょうが、私は深夜のインターホンの残響に、それと似たような理不尽を聴き取ったのかもしれません。

 朝陽がのぞいて、私はほっとしました。ですが、それもつかの間のことで、私は、まだ時明かりが射している時刻でありますのに、すでに晩のことを思って憂鬱になりました。太陽は、昇ればやがて沈むのです。私は自然の摂理を恨みました。そんな様子ですから、その日は一日何の予定もなかったにも関わらず、睡眠不足を解消することができませんでした。いま思えば、この日に午睡のひとつでも無理にしておくべきでした。けれど、やはり当時の私にはそれができなかったのです。私のベッドは、もはや寝るための場所ではなく、恐怖に耐え忍ぶ場所となっていたのですから。気晴らしに、調布の街に出かけたのですが、ちっとも楽しくありません。週末ということもあって、多くの人が楽しそうに往来しています。手をつないで歩く親子連れや、二人肩を並べて自撮りをしている女子高生などを見ていますと、なんだか、自分が惨めに感じられて、鼻の奥がツンといたしました。街で見かけるみなさんは、明るく朗らかでとてもいい人であるように見えますが、ひょっとするとこの中に私を苦しめる犯人がいるかもしれないと思うと、そこにいる全員が恐ろしく見え、だけれど今度はそんなふうに人々を疑ってしまう自分のことが悲しく思われてきて、私はなんて厭なひとなんだろうと、人混みのなかで、わっと泣き出してしまいました。往来する人々は私を避けて流れます。誰も声をかけてくれるひとはいませんでした。

 気晴らしのために外出したのに、私は家を出たときよりも惨めな気持ちで帰宅いたしました。孤独というのは、人混みの中でこそ実感されるものなのでしょうか。昼過ぎに帰ってきて、お腹はちっとも空いていませんでしたが、カップラーメンをひとつ食べました。SNSを見たり、テレビを見たりして、なんとか気を逸らそうとも思ったのですが、やめにしました。ひとつには、気晴らしは自分の惨めさや憂鬱を強めるだけだという今朝の学びがあったからで、また、もし気散じに成功したとしても、その結果、時間の流れが早まって、すぐに夜がやってきたらどうしようという恐れもあったからです。

 しかし、あれこれ考えてどれだけあがこうとも、夜は必ずやってきます。日が沈んでも、案の定眠ることができずに、私は布団のなかで縮こまっていました。上の階からたまに聞こえるわずかな足音にも、羊のようにいちいちビクビクしてしまって、もうナマケモノの面影はどこにもありませんでした。屠所へと連行される羊は、このような気持ちなのかもしれません。やがて時計の針は二時を指しました。今か今かと待っていましたが、不思議なことに、二時半になってもインターホンはなりませんでした。ですが、緊張も少しずつほぐれ、瞼もしだいにトロンとしてきたところで、

「ピンポーン」

 という音が聞こえました。心臓はうるさいほど高く鳴り、全身からは冷や汗が滲み出ました。呼吸も速く、息苦しいほどでした。敵は、すぐそこに、いる。それは明らかなのですが、ドアをノックしたり、声を出したりすることは絶無なのです。それがいっそう不気味で恐ろしく、いちどは亡霊のしわざなのではないか、などと、自分でも正気を疑いたくなるほどの幼稚な考えも浮かんでまいりました。前日と同様、インターホンが鳴ったのはその一度きりで、今回は来襲の時刻が遅かったこともあり、それからまもなく暁光が部屋に射し込みまして、またまた徹夜をすることになりました。

 その日は月曜日ですから、会社に行かなければなりません。目の下にはひどいクマができておりましたので、会社のみなさんに心配をかけないように、コンシーラーで入念に隠してから出社いたしました。

 おはようございます、と努めて明るく挨拶をすると、上司から、おお、今日は寝坊じゃないのか、と言われ、初日も寝坊ではないですよ、などと返すうちに、私は悪夢から解放されたような心持ちがしてまいりました。しかし、それも一瞬だけのことで、その日は、頑張ろう、会社の役に立とう、という気持ちがことごとく空回りして、ミスにミスを重ね、みなさんに多大なるご迷惑をおかけしてしまいました。人間、ダメなときは何をやってもダメなものなのでしょうか。周りのみなさんは、まだ入ったばかりだからミスして当たり前よ、だとか、私も若い頃は周りに迷惑をかけてばっかりで、などと口々に慰めてくださいましたが、その優しさがかえって胸に痛く、自分には優しくされる権利などないのだと思って、仕事中にもかかわらず泣き出してしまいました。思い切り罵倒でもされていれば、泣かずに済んだのかもしれませんが、優しくされると、もう、ダメです。自分がここにいるだけで、大好きなみなさんにご迷惑をおかけするのだ、と思うと、もう死んでしまいたいとさえ思いました。何を大げさな、と思われるかもしれませんけれど、ひとは、案外、簡単に、死ぬものです。優しくされて死ぬひともあって不思議ではありません。

 上司の方が、私を慰めようとしてくれたのでしょうか、仕事終わりに飲みに誘ってくださったのですが、私はまた子どものようにひどく泣いて、ご迷惑をおかけすることになるだろうと思われましたので、丁重にお断りして、帰路につきました。暮れなずむ調布の街をひとりで歩きながら、私は、上司の方のお誘いをお断りするなんて、ほんとうにどうしようもない莫迦だ、と自分に罵詈雑言を浴びせて、悔しいやら悲しいやら、もうなんだか訳も分からず、それでももう泣きたくはなくて、斜陽を背中に浴びながら、必死で歯を食いしばりました。駅前はいつもと変わらず賑やかです。ベンチに腰掛けて、人々の往来をじっと見ていますと、私は、自分一人がこんなに懊悩しているのに、他の人々は普通の日常を送っているのが憎く思われて、いや、いまではひとそれぞれ悩みを抱えながら生きているのだと分かりますけれども、当時はそんな余裕がなく、どうして、どうして私だけが、と、きっと怖い顔をしていただろうと思います。やがて、私はその「どうして」の答えが、毎晩インターホンを鳴らすあの宿敵にあるのだと気づきまして、これまでの恐懼が嘘であるかのように、その犯人に対する憤怒がふつふつと湧出してまいりました。

 ベンチから立ち上がり、家に向かって歩きながら、では、犯人は誰なのだろう、と考えますと、やはり毎晩インターホンを鳴らすことができるということは、隣人に違いない、という気がしてまいりました。私の住んでいるアパートは縦に細長い造りになっていて、一階につき部屋が二つしかありませんから、最有力候補は、私と同じ三階に住んでいる隣人だということになります。私は帰宅してすぐに、隣の部屋のインターホンを鳴らしました。相手が大柄な男性だったらどうしよう、などという考えは、当時の私の頭にはまったくございませんでした。私はただ、お前のせいで私の人生はめちゃくちゃだ、と喚き散らしたいだけだったのかもしれません。応答がないので、もう一度、ピンポーン、と鳴らしてみましたが、どうやら在宅ではないようで、隣人は出てきませんでしたので、私は部屋の前で隣人が帰ってくるのを待つことにいたしました。

 三十分くらい経った頃でしょうか、隣人が帰ってきました。七十代くらいの老婆でした。部屋の前で座っている私を訝しげに見下ろして、彼女は嗄れた邪悪な声でこう言いました。

「あんた、私の部屋の前で何をしてるんだい。不審者かい? 警察を呼ぶよ」

 私は、このひとだ、と思いました。絶対にこの老婆が犯人だと確信いたしました。

「あなたのせいで私の人生はめちゃくちゃなんです。謝ってください」

 私はほとんど叫ぶようにして、彼女に言いました。

「はあ? 何のことを言ってるのか、さっぱり分からないね。ほら、邪魔だからどいてくれ」

 老婆は、私を押しのけて鍵を開け、部屋の中に入っていこうとしました。私は、逃がすものか、とすかさずドアの間に脚を差し込み、

「逃げるな!」

 と言いました。老婆は力いっぱいドアを閉めようとしますが、私も必死です。老婆の力はこんなに強いのか、と驚きましたが、いま考えれば、当時の私は寝不足でご飯もまともに食べていなかったのですから、あるいはそういうことかもしれません。

 老婆は力比べだと埒があかないと思ったのか、台所の方へと走っていき、包丁を持って私の方へ突きつけてきました。

 ――それからのことは、あまり記憶にございません。気づいたときには、私は老婆に馬乗りになって、その首を両手で力いっぱい絞めていました。老婆はぐったりとして、やがて動かなくなりました。はい、私はこのようにして、ひとを殺したのでした。いつの間にか夜の帳が下りていて、老婆の部屋は幽暗に包まれておりました。

 茫然自失の虚脱状態で自分の部屋に帰りまして、しばらくは何も考えられませんでした。部屋の電気をつけ、ふと左脚に眼を落としますと、老婆に刺されたのでしょうか、そこから血が出ていました。ですが、不思議なことに痛みは全く感じませんでした。服も髪も乱れ、怪我までしていますから、私はそれからシャワーを浴びることにいたしました。

 シャワーを浴びますと、なんだか心までさっぱりしたようで、私の気分はだんだんと昂揚してまいりました。今日はぐっすり眠れるのだ、という実感が湧いてまいりまして、そうしますと自然、食欲まで湧いてきて、私は部屋の中で小躍りなんかして、ああ、ひょっとすると、あのときが、私が上京してから一番仕合わせな時間だったのかもしれません。それから私は奮発してお寿司の出前を取りまして、やはり故郷のお寿司と比較しますと少々劣りますけれども、それでもたいへんおいしくいただくことができました。

 お腹が満たされますと、急に眠たくなってまいりました。いろいろと寝る支度を整えまして、身も心も満たされたまま、私はベッドへと入りました。私が寝付くまでに、ほとんど一分もかからなかったのではないかと思われます。ですが――

「ピンポーン」

 私は、誇張でなしに、ベッドから跳ね起きました。心臓の鼓動は、まわりの骨を折ってしまうのではないかと思うほど強く、もう痛いほどです。ほとんど過呼吸のようにもなってしまいまして、苦しくって苦しくって、息を吸っても吸っても動悸は治まりません。手足も痺れてしまって、もちろん恐怖もあったのでしょうけれど、私は動けなくなってしまいました。

 いつの間にか私は気を失ってしまったようで、気づけば朝になっておりました。そして、幾分冷静になった頭で、私は考えました。私は犯人を殺したはずで、それなのにインターホンが鳴ったということは、あの老婆は犯人ではなかったのだろうか。私は、関係のないひとを殺めてしまったのだろうか。こんなふうに考えました。ですが、当時の私は良心の呵責を覚えることはなく、では、誰を殺さなければならないのか、という問題に関心を移していたのでした。ああ、いま考えるととても恐ろしいことですが、それでも、それがほんとうの心境でした。

 では、誰を殺さなければならないのか。起き抜けにこの問題に頭を悩ませていたときでした。

「ピンポーン」

 とインターホンが鳴ったのです。私が寝ているときにのみやってくるものだと思っていたものですから、私は意外に思いました。そして、自分が怯えていないということに気づきまして、私はベッドから飛び起き、急いで玄関へと向かいました。はい、ここで殺してしまうつもりだったのです。

 勢いよくドアを開けますと、そこには二人の警官が立っていらっしゃいました。  あとはご存じの通りです。

 罪の意識ですか? そうですね。正直に申し上げますと、いまはただ、インターホンのないところで寝起きできることが仕合わせで、そのほかのことについては特に何も感じていません。報いを受けるのは、これからのことなのでしょう。

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