第10話 男だと勘違いされました


 衣沙がイサとしてオウガストの元で過ごし始めてから、一週間が経過した。


 その間、イサはこの世界についての『一般常識』をみっちり教育された。

 かなりのスピード履修ではあったが。


 おかげでイサは自分がいるのが『シュトゥールヴァイセン』という国であることや、この世界には魔法の概念が存在し、法師と喚ばれる人々が魔術を行使して魔物を倒したり、国を防衛しているということを知った。他に通貨についてや男女のおおよその価値観などについても教わった。


 大体は元の世界とそこまで大きな違いは無かったものの、その中で獣人やエルフといった人間以外の種族の存在は大いにイサの興味を擽った。


「街に普通に住んでるんですか?」


 イサはオウガストの講義を受けながら、生徒よろしく質問した。


 今いるのは、最初に召喚されて目にした場所、本人曰くオウガストの『研究室』である。


 時間は午後一時。

 昼の光が壁に造り付けの本棚を照らしている。

 イサはオウガストが用意してくれたスツールに腰掛け、古い作業台を机代わりにして彼の講義を受けている。元は彼が子供の頃に使っていた物だそうだ。


 オウガストの研究室は一見すれば洋風の図書館だが、左右に併設して住居スペースがあるため生活には事欠かない。ただし、少々問題なのはその住所で、ほとんど人が立ち入らないという森の奥深くにある泉の真ん中にぽつんと一軒家が建っている、というかなり独特な仕様だった。紫髪の猫目召喚師が言うには、雑音があると研究の邪魔になるからここにしたのだとか。まあわからないでもない。


「んー、彼らは人間の街には住んでないよ。そもそもどこの国でも全体的に数が少ないからね。それに元々人見知りというか、閉鎖的な種族だから、森や山なんか人里離れたところで生活してるよ。ま、ぼくも人のこと言えないけど。一応交易もしてはいるけど、彼らの信頼を得た商人だけが許されている感じかな。普通に暮らしていれば滅多と会うことはないと思う」


 イサの質問にオウガストは空中に浮かんだ天球儀を錫杖でくるくる回しながら答えた。時々回さないと機嫌を損ねるからだそうだ。正直意味はわからないが。それはさておき、イサは人外の者たちにはそうそう会えないと聞いて残念に思った。異世界とくればやはり異種族を目にしてみたいという気持ちがある。

 向こうは迷惑かもしれないが。


 【獣人、エルフ等人外の方々は閉鎖的である】そうイサはオウガストがくれたノートに書き込んだ。


「そうなんですか……獣耳、見たかった……」


「ははっ。ああでも、仕事を始めたらどこかで会うかもね。冒険者になる獣人もたまにいるらしいし」


「だったら嬉しいです」


 諦めなくても良さそうでイサの気分が少しだけ上がる。聞けば狼や猫の獣人や、金髪碧眼のエルフも存在しているらしい。まさしく異世界、といった感じである。来たくて来たわけではないけれど。


「イサの世界には人間しかいないんだよね。それってちょっと退屈だなぁ」


「ふふ。かもしれませんね」


 イサが笑うとオウガストは「そうだよぉ」と軽く返事をしてから今度は金色の砂時計に目を移した。そして錫杖を一振りしゃらんと鳴らしたかと思うと、中に流れる砂を魚の形に変え始める。

 イサはいつ見ても魔法というのは不思議だなと彼を見ながら思った。ここに来て一週間、イサはオウガストが魔法を使うのを何度も目にしたが未だ驚いてばかりだ。聞けばこの世界に生まれる人間のほとんどに大小違いはあれどあらかじめ魔力が備わっているそうだ。


 この講義が始まる前にオウガストがイサの魔力を測ってくれたが結果は『中程度』とのことだった。オウガストが言うには最も一般的な魔力濃度だそうだ。これにはイサは少しだけがっかりした。

 普通、異世界転移なんてしたら大概は良い感じの高い魔力などを与えられるのが常道だと思うのだが、主人公気質ではないイサには該当しないらしい。ただ、オウガストが紹介してくれる予定の職場では十分な魔力量だそうで、それを聞いてほっとした。


「あ、そうそう。仕事のことなんだけど、一日が三十時間あるっていうの説明したよね。それで、ここじゃ朝昼夜と各十時間で別れてるから、出勤時間もわかりやすく十時間になってるんだ」


 ちょうどイサが仕事について思い出していたところに、オウガストが話を振ってくれた。一日の時間が元の世界よりも長いとは思っていたが、仕事も同じく伸びるようだ。ふむ、とイサは頷いた。


「結構長いですね。向こうなら基本は出勤時間が九時間で、休憩が一時間あって実働は八時間でした」


「あれ、ならこっちのほうが実働は短いよ。だって休憩が三時間あるし」


「ええっ。それは羨ましい……私が働いていたところは実働十五時間くらいありましたよ……」


「それは長すぎじゃない? イサの世界は一日が二十四時間なんでしょ? 計算おかしくないそれ」


 至極真っ当な指摘を受けてイサは苦笑した。異世界の人間にすらおかしいと言われてしまうイサの労働状態とは、と少しばかり落胆する。だが確かに自分は朝八時出勤で残業をして夜十一時終わりだったのだ。


「ですよね……」


「お休みは? こっちは一週間が七日換算で完全週休三日制だよ」


「うわっ。私がいたところは休日出勤があったので実質週休一日でした……」


「イサの世界の労働基準ってどうなってんの……ぼくそんなとこじゃ生きていけないよ」


「あ、あはは……」


 オウガストの最もな言い分にイサは乾いた笑いを零すしかなかった。生きていけないとまで言われてはぐうの音も出ない。イサだって、なんとか生きていたとしか言いようが無いからだ。

 異世界の方がホワイトだなんて皮肉だな、とイサはしみじみ思う。けれどこれからはもう少しマシな環境になるらしいので、がらりと変わってしまった生活でも少し楽しみが出来た気がする。仕事自体は最初は緊張するだろうが、それは元の世界でも同じだ。異世界の仕事ってどんなのだろう? なんて考えながら、イサは合計二週間に及ぶオウガストの一般教養教育を終了した。




「―――ぼくが教えたのは最低限の知識だけど、後は追々、仕事しながら覚えていってよ。たぶんぼくってちょっと他と違うから、普通の人に聞いたほうが良いこともあると思うし」


「わかりました」


「あ、あと念のために言っておくけど、イサが異世界から来たことは秘密にしておいてね。召喚すること自体、許されるかどうか微妙なんだよね。そもそもできる人間がいなかったからっていうのもあるけど、ぼくがやったってバレたらたぶんお国の偉い人に呼び出されて、君を元の世界に帰す準備が遅れちゃうと思うから」


「それは困ります。わかりました。バレないように頑張ります」


 床に白日が差す朝、オウガストの補足にイサは頷いた。

 今日はイサがオウガストの元を離れ職場へと向かう日である。

 そのためイサの手には彼が用意してくれた最低限の生活用品が入った鞄がある。中には当面入用だろうかと彼がくれた金貨や銀貨もあった。申し訳ないと思ったが、後々働いた分で返すことを約束してイサは受け取った。無論、オウガストは「別に返さなくていいよ〜」と言っていたが。

 イサの返事にオウガストはにこりと笑って、それから錫杖をぐっと天井へと掲げた。


「うん。良い返事だね。じゃ、行こうか」


「はい……っ」


 返事をした瞬間、オウガストの月と星がついた錫杖から金色の光が扇状に広がった。

 イサが眩しさに一度だけ目をつぶった瞬間、ぶわりと風が舞い上がり足元の感触が研究室の床ではなく硬いものに変わる。え、とイサが目を開けると、そこはもう先程とは全然違う場所になっていた。

 移動したのだ。


「―――よし、着いた。さあ、イサ。ここが今日から君の勤務先兼、生活の場だよ!」


(わぁ……!)


 オウガストの研究室から彼の魔法により一瞬で到着したのは、わりと大きな街を見下ろす丘にある小高い場所だ。この世界は便利なもので『転送術』なるもののおかげで移動に時間を取られない。おかげで、イサは心の準備をするのがちょっと大変だった。なにしろ行こうかと言われ返事をした次の瞬間には、目の前に巨大な建造物がそびえ立っていたのだ。


(大きい……! 何かすごいっ)


 見た目はまるで豪奢な神殿である。ギリシャ神話に出てきそうな白亜の建物は、何本もの太く巨大な柱に支えられ、天まで届きそうな尖塔が連立している。周囲はぐるりと高い壁に囲まれ、侵入者は許さないと言わんばかりだ。


 正面には正門だろう両開きの扉がついた玄関口があり、石畳の通路が真っすぐ伸びている。


 イサ達が出たのはその通路の上だが、延長線上に一人、青年が立っているのが見えた。白い服を着た青年である。遠目に見てもすらりと身長が高いことが窺えた。


「お、いるいる。おーい! ジャン!」


 青年を見たオウガストがぶんぶんと錫杖を持った手を振り、しゃらしゃらと鈴を鳴らした。

 すると青年が片手を上げて応えた。オウガストが青年の方へ歩いていくので、イサも倣い着いて行く。


「オウガスト。貴様いつまで人を待たせるつもりだ」


「やあジャン。久しぶりだねぇ。いやあごめんごめん。ちょっと準備に手間取ってさ」


 あははーと笑ってごまかそうとするオウガストを、白い服の青年がじろりと睨む。

 少し低い声には不機嫌さが混じっており、組んだ両腕では右手の指先が苛立たしげに拍子を取っていた。


 イサはオウガストの背中越しに青年を見た。この世界に住む住人に会うのは彼で二人目だ。少し緊張したが、目を向ければ最初に白い白衣が見えて、まるで医者のような格好だなと感想を抱く。そして顔を上に上げると、高い位置にある氷色の瞳と目が合った。そうして、青年のあまりの美貌に目を剥いた。


 銀色の髪と氷色の透き通った瞳に視線が釘付けになる。


(うわ―――)


 思わず、イサはぽかん、と口をあけた。目の前に、この世のものとは思えないほどの美形が存在していたからだ。


「それがお前の言う『案内人候補』か」


「うん。そうだよ。イサって言うんだ」


 青年とオウガストがイサを見た。イサはぎくりとしたが、ぺこりと頭を下げてこれからお世話になるのだろう青年を見た。彼のことをオウガストはジャンと言っていた。年齢は外見で判断すると二十代後半に見える。イサより年上ということだ。礼儀正しくしなければ、とイサは気合を入れた。


「イサ・ビルニッツです。よろしくお願いします」


 オウガストに言われたとおりにビルニッツを名乗り挨拶する。説明としては彼の親戚筋にあたる、ということになっているからだ。が、しかし頭を上げて青年、ジャンを見たが彼はじっとイサを見下ろしたまま何も言わない。ただほんの僅かに氷色の瞳をさきほどより大きめに開いているだけだ。イサは返事をもらえないのだろうかとジャンを見つめた。そのため、お互いに見つめ合うような形になってしまう。


「あの……?」


 なぜ何も言ってくれないのだろうかと、痺れを切らしたイサが声をかけると、びくりとジャンの肩が反応した。


「あ、いや、すまない。君は……その、まるで……。いや、成人はしているのか」


 ジャンがはっと我に返ったように口早に話し始めたが、彼はやや言いにくそうにイサの全身を眺めて年齢について指摘した。これにはイサは少々むっとしてしまう。自分ではそんなに童顔では無いと思っているのに、どうやら彼にはそう見えないようだ。


「これでも二十四です」


「それは……すまなかった」


「いえ」


「ジャンってば失礼だなぁ」


 きっぱり言うと素直に謝罪されてしまった。イサは大人気なかったかなと思ったが、ジャンがオウガストに視線を向けたので口を噤んだ。


「ふん。オウガスト、お前には言われたくない。ではすぐに研修に入ってもらおう。構わないな?」


 ジャンはオウガストを一蹴するとイサに目を向け告げた。


「はい。お願いします」


 イサが一度頭を下げると、ジャンはくるりと背を向け歩いていこうとした。ので、イサは慌てて着いて行く。オウガストはイサを見送りながら、錫杖を持っていない方の手を振った。


「それじゃ、ジャン、イサのことよろしくね! イサ、むさ苦しいところだけど頑張るんだよー!」


「ああ。さっさと行け」


「ありがとうございましたオウガストさん!」


「うん! じゃあまた連絡するから! それじゃねー!」


「はい!」


 歩くのが早いジャンの背を小走りで追いかけながら、イサはオウガストに礼を言った。ジャンは彼に振り向きもせず返事だけしてすたすたと歩き続けている。どうも普段からこんな感じのようだ。イサは苦笑いしたが、途端、オウガストは来た時と同じように一瞬で姿を消してしまう。


「まずはフロアに連れて行く。このまま真っ直ぐ行った突き当りだ」


「はいっ」


 オウガストとの別れもそこそこに、ジャンに連れて行かれのは正門を抜けて通路をひたすら直進した先にある大きな扉の前だった。左右に伸びる壁が長いことからここがメインの職場なのだろう。


「ここだ。今日から君が働く場所になる」


 告げて、ジャンが扉を開く。向こうから多くの人の声が聞こえてきた。だがどれも男の声ばかりだ。

 なぜだろう、と思いながらイサがフロアの中に一歩踏み込むと、そこには百人はいようかという男性達が、各々のデスクで何かについて話している。彼らの耳にはイサが知っている物と似た物―――つまりコールセンターで使用するインカムらしきものが着いていた。


「ここはシュトゥールヴァイセン案内所。君にはここで、冒険者たちの案内オペレーション業務に就いてもらう」


(ここ、異世界版のコールセンターだ!)


 イサはフロアを一望して驚きと少しの感動を覚えていた。彼女の目の前には体育館数個分の広さのフロアが広がり、奥中央には巨大な恐らく魔法によるものだろうマップ画面が表示され、着信ランプだろう光がおびただしい数点灯している。元の世界でイサが働いていたコールセンターとかなり近い空気だ。これならなんとかやっていけるかもしれない、とイサは希望を抱いた。


 だが一つだけ、気になることがあった。


「あ、あの、女性は一人もいないんですか?」


 イサは疑問をジャンにぶつけてみた。何しろフロアには見る限り男性しかいないのだ。女性がまったく見当たらない。なぜだろうか。

 そう思っていると、ジャンに「お前は何を言っているんだ」とばかりに顔を顰められた。


「オウガストから聞いていないのか。ここに女性はいない。案内人には男しかなれないからな。このフロアも女人禁制だ。入り口に検知の魔法も掛かっている。万一ここに立ち入れば懲罰ものだ」


「ちょ、懲罰、ですかっ?」


「そうだ。女がここに踏み込むなど、この俺が許さん」


 断言するジャンの目は据わっている。というより、明らかに彼の周囲の温度が数度下がった気がした。

 イサは少し身体が引けてしまった。彼はもしかして女嫌いなのだろうか。だとしたら残念な美形である。そこまで考えたところで、ふとあれ? と気づく。


 女であるにも関わらずここに入れた自分は一体何なのだろう、と。


 ついでに言えば、それもあって恐らく、というより確実に、ジャンはイサのことを―――


(あれ? これってもしかして私、男だと思われてない?)


 だが今更ジャンに女だと打ち明ける勇気は無かった。それほど彼の顔が恐ろしいからだ。

 イサの背中に冷や汗が流れていく。

 だが、気付いたところですでに後の祭り、というやつだった。

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