第6話 上司の評価


「お帰り! イサ、ムール統括長! あれ、イサその服……?」


「ゆ、ユッタ……」


 案内所に帰ると、転送陣のところでユッタが待ち構えていた。ユッタはイサを見るなり白衣に目を留め、なんで上司の上着を着てるんだ? とばかりに首を傾げる。


(っ……ああ、バレる……!)


 イサは気まずさに咄嗟に上着の前をぐっと握りしめた。けれど、すぐにジャンが彼女の前に立ちユッタの視界を遮った。

 彼が雑に掴んでいた客は、足元に放り投げられている。


「ビルニッツが負傷した。医務室へ連れて行く」


 ジャンは普段よりやや威圧的にユッタに伝えた。するとユッタの青い目が驚きに大きく見開く。


「えっ!? イサ怪我したの!? 大丈夫か?」


「う、うん。大したことないから大丈夫だよ。ありがとう」


 眉尻を八の字に下げて心配してくれるユッタが嬉しくて、イサはふっと微笑んで見せた。今はまだ、彼はイサのことを同僚だと思ってくれている。この反応が変わってしまうのだと思うと、少し切なかった。


「本当かよ。お前はいつもそうやって言うからなぁ。なんならーーー」


「ユッタ・エルトーラス。君は客の方を頼む。かの……いやビルニッツは俺が連れて行く」


 自分が医務室に連れて行こうか、とユッタが言おうとしたのを、ジャンがやや強引に遮った。そうして言うやいなやイサの手首を素早く掴み、そのまま彼女を医務室の方へと連れて行く。


「「えっ」」


 ジャンの唐突な行動に、イサとユッタの吃驚した声が同時に発せられた。が、ユッタはそのままなぜか転送陣の前に客と共に取り残され、イサはずんずん進んでいくジャンの足についていくので必死だ。


「ユッタ、また後で!」


 なんとか振り返りユッタに一声かけると、彼ははっとしてからイサに手を上げ応えてくれた。

 すると、なぜかイサの手首を掴んでいるジャンの力が少し強くなった気がして、イサは慌てて上司の方を見た。そして、ああそうだった、と思い出し顔が曇る。また後で、なんて、すぐさまクビになって案内所を追い出されるかもしれない自分が言うべきではなかった、と行動を悔いた。

 できればお世話になった人や同僚達にお礼と別れを伝えたいが、それすらできるかも怪しいのだ。

 イサの心がずんと重石を乗せたように沈んでいく。今はただ、俯いたままジャンに着いて行くしかなかった。




「ローベニク、悪いがビルニッツに替えの制服を出してくれ」


「ムール統括長。と、おや? イサじゃないか」


「こんにちは……ローベニクさん」


 医務室に入ると、白で統一された部屋の片隅に濃い緑の髪をしたやや前髪の長い青年がいた。細身で黒縁の眼鏡をかけた彼は医務官であるローベニク・フィラトッサだ。ちょうど薬の整理をしていたようで、小さな引き出しが沢山ある棚の前で、在庫リストが書かれた羊皮紙を片手に抱えている。彼はイサとジャンを見るなり目を丸くしていた。視線の先は、イサが着ているジャンの白衣、そして彼らの繋がれた手元である。


「そういえば二人は出張案内に行ってたね。怪我したのかい?」


「ええと……」


「ヴェロアマジェスの硫酸液で制服が溶けたんだ。怪我は俺が診る。それとビルニッツと話したいことがある。ここを貸してくれ」


 言葉に詰まるイサの代わりにジャンが口火を切った。ついでに、ローベニクも含めた人払いを依頼する。ジャンの言葉にローベニクは一瞬だけ、す、と瞳を眇めたけれど、すぐに微笑を浮かべてゆっくりと頷いた。


「ああ、それはかまわないよ」


「悪い」 


「はいこれ制服。消毒薬と治療薬はここ。それじゃあ僕はフロアの方に行っているよ。終わったら声をかけてくれ」


「わかった」


 ローベニクは了承してすぐにイサの制服を用意すると、薬の場所を伝えてからさっさと医務室を出ていった。


「まずは着替えを。それと、俺が何を聞きたいか、わかっているな?」


 ローベニクが立ち去るなり、ジャンが後ろ手に医務室の鍵を締めて言った。真っ直ぐ向けられる鋭い視線と隠し事をしていた罪悪感で、イサの肩がぎくりと強張る。


「は、はい……」


 とうとう、この時が来てしまったと、イサは半分諦めた気持ちで頷いた。ジャンが何を聞きたいか。わかりきっている。どうして女のくせに案内所で仕事をしているのか。なぜ性別を偽っていたのか。その経緯を話せということだ。けれどそれを話すということは、イサは自身の最大の秘密を彼に打ち明けることになる。この世界に来た当初、誰にも言ってはいけないと『ある人』から言われたことを。

 だけどもう、イサはジャンに嘘をつきたくなかった。部下が怪我をしたと思い治療をしてくれようとした人だ。ユッタだって心配してくれた。そんな人達を、これ以上騙すことは出来ない。

 イサはすべてを語ることにした。こんな荒唐無稽な話、信じてもらえるかわからないが。


「お待たせしました」


 ここまでを、イサは替えの制服に着替えながら考えた。そして着替え終わってから、医務室の白い衝立の向こうで待ってくれていたジャンのところに戻る。

 彼は普段ローベニクが診察用に座っている椅子に腰掛けていた。足を組み、机に右肘をついて拳に顎を乗せている。顔は無表情だが、イサが戻ると氷色の視線をじっとこちらに向けてきた。あまりに凝視するものだから、イサの指先が緊張で僅かに震えた。ジャンの姿はまだ白いシャツにズボンのままで、イサは借りていた彼の白衣をそのまま返すべきか悩んだ。


「あの、これ、洗ってからお返しし……」


「別にいい。それより話を」


「はい……」


 クリーニングしてからの返却を提案しようとしたが、即座に却下されてしまい困惑する。せめてお礼というか、お詫びのかわりにしたかったのにな、とイサはシュンとした。そんなイサに、ジャンは目線で彼のすぐ前にある患者席に座るよう促した。イサは従った。彼の白衣を机の横にある上着掛けにひとまず掛けてから、ジャンの前に座る。そうして、覚悟を決めて口を開いた。


「その、信じてもらえないかもしれませんが……」


「それはない」


「え?」


 話の出鼻をくじかれて、イサは驚いて目を白黒させた。するとジャンが一度彼女から視線を外し、再びじっと目を合わせると真剣な表情で続けた。


「俺は君の仕事ぶりを知っている。真面目で勤勉だが世間知らずということもだ。つまりは何か理由があるのだろう」


 静かな声だった。淡々としているようで、けれどどこか温かみもあった。上司であるジャンに言外に信じている、信じる、と言われた気がして、イサはぐっと胸が詰まされる思いがした。嬉しいという気持ちと、こんな人を自分は騙していたのか、という後悔の相反した気持ちが渦を巻く。ジャンにせめて正直に向き合いたい。イサはぐっと背筋を伸ばし、ジャンとしっかり目を合わせた。


「実は……」


 イサは、自分がこの世界に来ることになった始まりを語りだした。

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