第2話 バレるな危険

「着いたぞ。近くにはいないようだ」


 転送陣で移動したイサ達は、風が吹き荒ぶ崖の上にいた。

 周囲にはむき出しの茶色い地面が広がり、いたる所にごつごつした岩が落ちている。

 びゅうと吹き付ける風で今にも身体が飛ばされそうだ。

 舞い上がる土埃のせいか鼻がむずむずする。


「念話中に走っている様子でしたので、移動したのかと……っくし!」


 風で前髪が目に入りそうなのを押さえてイサは答えた。最後にくしゃみのおまけ付きで。

 

 イサ達が転送された場所はおそらく、ディスパニア地方にある山岳地帯の頂き付近だ。

 まだ昼頃とあって、太陽の日差しも明るく見晴らしも良いが、魔物が人間を的にするには格好の場所である。

 そのうえ大した遮蔽物も無く、これでは襲ってくれと言っているようなものだ。


 冒険者とは総じて無鉄砲な人間か、もしくは必要に駆られた人間がなるものだとイサは認識しているが、どうやら今回の客は前者らしい。

 生活のために命を賭けているタイプの冒険者なら、もっと自分が戦いやすい場所フィールドを選ぶ。それこそ身を隠せる遮蔽物があるような。


 つまり、今イサ達が探しているのは己の力量すら図れない未熟者、というわけだ。

 まったくもって迷惑な話である。


「そう遠くには行っていないだろう。面倒だが、探すしかあるまい」


 ジャンも客の無謀さを察しているらしく、むすっとした不機嫌な顔で周囲の捜索を始めた。

 当たり前のようにジャンが先陣を切り、警戒しながら視線を走らせる。

 

 強く吹いた風が彼の銀色の髪を舞い上げているが、鬱陶しくはないのだろうかとイサは思った。

 二人が立っている場所は足場は悪いが全体的に拓けており、どうやら丸い円状になっているようだ。

 おそらくドラゴンが巣として使っている場所なのだろう。

 幸いにも、今のところ姿は見えない。


「ドラゴンに気付かれると厄介だ。なるべく音を立てずに静かに、気配を殺して動け」


「は、はい」


(って、無茶言うなぁ……)


 頷いたもののイサはジャンの命令に苦虫を噛み潰す気持ちだった。

 なにせこちらは戦闘の素人なのだ。


 案内人オペレーターとなった際に一通りの簡易訓練は受けたが、出張案内は専門士がいるからと言い訳程度にしか教えてもらっていない。

 気配を殺すなど到底不可能である。


「向こうの岩に何かが擦れた跡があるな。恐らく逃げる時にぶつかったんだろう。あの辺りを探すぞ」


「承知しました」


 ジャンが客の痕跡を見つけた。


 指摘された灰色の岩肌を見ると、確かに黒い擦れたような跡が付着している。

 まるで誰かが岩にぴたりとくっつきながら移動したようだ。というより、実際そうなのだろう。

 跡は先へと続いている。


 ジャンは目星をつけた場所を目指して動き始めた。彼は強風も長い白衣の裾もものともせずに、すたすたと歩いて行ってしまう。

 イサは仕方なく注意しながらジャンの後に続いた。


 目の前には風に舞う長い銀髪と白くて広い背中がある。真っ直ぐ伸びた背筋は神経質そうで、実際その通りだ。

 戦闘装備であるジャンの腰には銀に輝く月晶剣カウム・ディが携えられ、陽の光によって時折きらりと煌めきを放っている。イサはそれを見て呑気にも綺麗だな、と思った。


 同僚のユッタから聞いた話では、ジャンの剣は月光が結晶化し刀身となった武器だそうで、外見はつるぎだが芯であるオリハルコンワイヤーによって蛇腹じゃばら状にも変化し、剣のむちとなって敵を仕留めるらしい。

 使い手と同様、美しいが冷酷無比な武器である。


(バレてクビならまだ良い方かも……)


 イサは自分がジャンの剣のさびになるところを想像してぞっとした。


 ただの規則違反だけであればクビになるだけだが、理由が「女だから」というのが余計にまずいのだ。

 ことこの上司に関しては。


「ビルニッツ。客だが、性別は男か」


 背中越しに聞かれて、イサはぎくりとした。じっと白い背を観察しながら、慎重に返事をする。


「……はい。男性です」


「ならいい。女は嫌いだ」


 吐き捨てるような言葉に、イサは内心「はは……」と乾いた笑いを零した。


 その大嫌いな女と一緒に今あなたは出張案内に来ているんですよ、などとは口が裂けても言えない。

 言ったら確実に腰の剣で仕留められる気がした。


(何がなんでも、バレないようにしよう……)


 ジャンの髪が日差しできらきらと輝くのを見つつ、イサは元の世界ならトリートメントのCMに出れただろうに、と少し現実逃避した。


「『鉄壁』に耐水と耐毒を付与したと言っていたな。ディスパニア地方では山岳部にヴェロアマジェス《硫仙酸竜》の生息が確認されている。奴らが吐く体液には重度の硫酸が含まれているが、耐硫酸効果は付与したのか」


「し、していません……!」


 捜索を続けながらの詰問に、イサは胃が縮む思いだった。


 言われて今更気付いたが致命的なサポートミスである。

 調べる時間が無かったとはいえ、各地方の代表的な魔物の特徴は案内人として覚えていてしかるべきだ。

 確実に、イサの知識不足のせいだった。


「……検索の暇が無かったのだろうが、地元では子供でも知っている話だ。勉強不足だったな。まあ、耐水の効果でしばらくは防げるだろう。阿呆でなければ客自身も装備をしているはずだ。生きていることを祈れ。それと、帰ったら始末書を覚悟しろ」


 ジャンが背中越しに続けた。イサは彼には見えないのを知っていたが、その場で深く頭を下げた。


「承知しました! 申し訳ありませんでした……!」


 クビでは無く始末書と言われ、イサは内心安堵した。


 案内のミス自体は重大だが、顧客の死イコール案内所をクビになるかは状況によって変わる。

 魔物の討伐に向かった時点で、冒険者の自己責任である部分も大きいからだ。


 といっても、この出張案内が無事に終わるまではクビの可能性の方が大きいのだが―――顧客の無事はもちろん、イサは自分の身の無事も祈るほかない。


「謝罪は客に言え。イサ・ビルニッツ。君は他の案内人達より格段と知識が劣っている。自分でもわかっているだろう。案内所に来るまで箱入りだったと聞いているが、地道に身につけるしかあるまい」


「はい……」


 本当は、イサが無知なのは箱入りだったせいではないが、それを説明するわけにもいかない。


(まさか別の世界から来たからです、なんて言えないしなぁ……)


 案内所ではイサは『貴族の箱入りお坊っちゃま』として認識されている。


 そうなってしまったのはイサの保護者になった人物が原因だ。

 というより、すべての元凶がその人物であると言える。


(全部あのロクデナシのせいで……!)


 この世界へ来る羽目になった諸悪の根源を脳内で罵倒していると、ふいにジャンが立ち止まり後ろを振り返った。

 突然の制止にイサの足がたたらを踏む。


「わっ、とと」


「……二ヶ月前、配属された当時の君はどこの世間知らずかと思うほど物を知らなかった。ビルニッツ家の縁者であると聞いて納得はしたが。……それにしても知らなさ過ぎる」


 慌てて立ち止まったイサがそろりと目を上げると、ジャンが氷色の瞳を細め彼女を見据えていた。

 凍てつくような冷たい虹彩の中には、疑惑の文字が浮かんでいる。


(疑われてる……!)


 イサの背中に嫌な汗が流れていく。


 完全に不審がられている。

 この上司は鋭いうえに有能なのだ。厄介なことに。


「え、ええと。末っ子だったので、その、とても甘やかされまして……!」


 適当に思いついた言い訳を答えてみたが、しどろもどろな口調に余計怪しさが増した。

 ジャンはイサの真意を図るようにじっと無言で見据えると、ふん、と不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「……まあいい。俺は向こうの岩陰を探す。君はあっちだ」


「は、はいっ……っわ!?」


 ジャンが話題を変えてくれたのにほっとして、名誉挽回のためにも早く顧客を発見すべく指示通りの方向に歩もうとしたイサは、間抜けにも足元にあった石に躓いた。

 焦りで足元が見えていなかったのだ。


(ぎゃーっ! 顔面強打!!)


 ぐらりと傾く視界にイサは怪我を覚悟した―――がその時、異変が起きた。


「……あれ?」


 イサの身体は斜めの状態で停止していた。

 と同時に、腹の部分が圧迫されていることに気づく。

 彼女の腰に何かがしっかりと巻き付いていた。


 これは腕だ。

 白い服を着ている。

 見覚えはあった。あれだ。彼の白衣だ。


 つまり、ジャンの腕である。


 首を傾け救いの主を見れば、迫力のある秀麗な顔が至近距離にあり思わず固まった。


 (近っ!!)


 イサは咄嗟にそう思った。


 ついでにジャンの規格外に長い睫毛と彫りの深さに圧倒される。

 美は時として暴力になる、とイサは明後日なことを考えた。


「気をつけろ」


「は、はいぃ……」


 情けない返事をするイサの身体をジャンが起こし立たせてくれた。

 彼は呆れた様子でイサを見下ろしている。


「君はいつも注意力が足りない。改善しろ。それに軽すぎる。もっと鍛えるべきだ」


「す、すみません」


 もっともな苦言を呈されイサはしょぼくれた。

 案内のミスをしたうえこれでは、自分でも救いようがない。こんなのただの足手まといだ。


(私って情けなさすぎる……!)


 落ち込むイサをジャンがじっと見ていた。

 けれど彼はふいに視線を逸らし、岩壁の方へ顔を向けた。そして少し間をおいてから口を開く。


「……だが、周囲が見えなくなるほど目の前にある事に尽力する、その姿勢は買っている」


「えっ」


 イサは一瞬、ジャンの言葉の意味が理解できなかった。

 だが褒められたと分かった瞬間、弾かれたように顔を上げた。

 目を丸くしてジャンの顔を凝視したちょうどその時だ。

 彼の顔つきが変わった。


「いたぞ。無事のようだ」


「へ? ―――あ」


 ジャンの視線の先を辿ると、彼が見ている岩壁の方向から白い光が漏れていた。


 あれは確実にイサがかけた『鉄壁』の効果だ。

 大急ぎで駆けつけると、岩壁を越えてすぐの場所に白い光のドームに包まれた男がいた。

 二十歳前後と思しき男は泡を吹いてひっくり返っているが、胸が上下していることから息はあるようだ。


「気を失っている。ビルニッツ、君は周囲を警戒しろ。俺は客を覚醒させる」


「了解!」


 すぐさまジャンがドーム内の客に治癒と覚醒術を施していく。けれどそれを待っていたかのように、突如として凄まじい咆哮が轟いた。

 おおん、と反響した音が大気を、大地を揺らす。


「ドラゴンです!!」


「っち……見つかったか」


 イサの警告に、ジャンは瞬時に自分達三人を包む防御結界を展開させた。


 ごう、と辺り一面に突風が吹き荒れる。

 頭上からばさばさと翼が翻る音が聞こえた。

 イサの視界に両翼を広げた巨躯の影が映り込む。イサは目を瞠った。


(な―――っ)


 逆光で黒く見えたその姿は、急降下でイサ達の前に降りてきた。

 あまりの大きさに辺り一面が影で覆われ、視界が一気に暗くなる。

 それはまるで、恐ろしい腐海の底から生まれ出たような、棘のある尾を持った濃緑のドラゴンだった。

 背丈はゆうに二十メートルは超えているだろうか。

 家屋よりもなお大きな体躯はさながら山そのものが動いているかのようだ。


 濃緑の鱗で覆われた三つのまなこが、イサ達をぎょろりと見据えた。蛍光色に似た原色の黄色に、毒々しい血色の細い瞳孔が縦にきゅぅ、と細まるのが見えた。

 まるで蛇のような目に、イサの背筋に怖気が走る。


「っ……」


「あれがヴェロアマジェス《硫仙酸竜》だ」


 焦りと混乱で思考が停止しそうなイサの耳に、冷静なジャンの声が届く。

 ぱっと彼を見ると、普段と同じ淡々とした表情でドラゴン、つまりヴェロアマジェスを観察していた。


「仕掛けてくるぞ」


「は、はいっ」


 ジャンの言葉に視線を戻すと、ヴェロアマジェスは鋭い牙を持ったくちばしをがばりと開き、そこから大量に緑の液体を吐き出した。

 液体は剥き出しの岩山に触れた瞬間、じゅうと音を立て黒い煙をもうもうと発生させながら岩壁を黒く染めていった。

 イサはジャンが張った防御結界越しにそれを見て背筋が震えた。

 岸壁に含まれていた鉱石が一瞬で酸化している。結界が無ければ確実に死んでいただろう。


「ビルニッツ、客を守れ」


「了解!!」


 イサに指示を出したジャンが立ち上がり腰の剣を抜いた。しゃらら、と硝子が擦れたような音が響き、鞘から月晶剣カウム・ディが刀身を現す。

 

 イサはジャンの後ろで客を庇う姿勢になると、戦闘の援護をするため術式の展開準備に入った。


(今度は、失敗しない―――!)


 イサの初めての出張案内で。


 戦いの火蓋が今、切られた。

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