第1話 男のフリして案内人?

 ―――イサが上司に胸を触られる、数時間ほど前。


「お念話ありがとうございます! シュトゥールヴァイセン案内所、案内人オペレーターのイサ・ビルニッツでございます!」


 何十というコール音がけたたましく鳴り響くフロアで、イサはとある『念話』、つまり現代でいう通話を受けていた。


 彼女の黒いショートボブから覗く耳元には、青い石でできた魔石インカムというヘッドホンがついている。

 口元へと伸びた細長い部品の先にあるのはマイクの役割を果たす黒い石だ。

 イサは魔石インカムから響いてくるどどど、という衝撃音を捉えた。


「も、もしもしいいいっ!?」


「どうされましたか!?」


 開口一番流れてきたのは、一刻を争う様子の切羽詰まった声だ。

 イサは咄嗟に魔術パッドを使って遠隔操作で防御魔術の展開を始めた。


 念話中の顧客の生命維持サポートは案内人の義務である。怠れば懲罰ものだ。

 それに、話を聞く前に死なれては元も子もない。


 通話ならぬ念話口ではさまざまな衝撃音が入り混じり、ちゅどーん、だとか、がらがら、など相当な喧騒が聞こえている。


「あああのですねっ! 今、ドラゴンのっ、亜種変異型とっ、戦って、るん、ですがっ!」


「ドラゴン亜種ですね! 属性は何になりますでしょうか……!?」


 戦闘真っ最中の念話にイサは姿勢を正した。恐らく現在進行系で逃げているのだろう顧客が息を切らせながら説明してくれる。

 その背景では凄まじい暴風音が轟き、ドラゴンの怒り狂った咆哮が木霊した。

 どうやら相当おかんむりらしい。


 イサの手にじわりと汗が滲む。


 自分が下手をすれば顧客は一瞬で殺されてしまう。その事実に強い緊張感が走る。

 人の生死がかかっているのだ。気を抜けば致命的なミスに繋がりかねない。

 真っ先に属性の確認をしたのは、耐性道具さえあれば暫くしのげるからだった。


「た、たぶん水系……っってえええええっ!?」


「大丈夫ですかっ!?」


「だ、だいじょ……うわああああ―――っ」


 水系、と聞こえた瞬間、イサは即座に防御魔術に耐水耐毒効果を付与した。同時進行で魔術パッドに表示された顧客の位置情報を確認し、生息する魔物の一覧を表示する。そして属性とドラゴンであることを検索欄に入力した。


 A四サイズの魔術パッドには大陸の地図が表示され、地方名と顧客の現在位置が青い点で表されている。ここはディスパニア地方と呼ばれる山岳地帯だ。中堅冒険者たち御用達のフィールドで、ドラゴンの素材集めでは定評がある。


 イサはこの地方に生息するドラゴンの種族名を検索しようとしたが、ぶしゃあ、という水音に、がらがらと明らかに地盤が崩れた音がして、同時に顧客の悲鳴が響いて身を固くした。


「っ………」


 息を止めて顧客の声を聞き取るべく耳を済ます。けれど、何も聞こえない。

 まずい、とイサの鼓動が警鐘を鳴らした。


「お客様!? お客様大丈夫ですかっ!?」


 顧客に必死に呼びかけるイサの腰は椅子から浮いている。隣の席の同僚が何事かと眉を顰めているが、気にする余裕は無い。


「た、たす……っ……―――」


「お客様っ!!」


 応答に希望を抱いたのも虚しく、声はすぐに途切れてイサの耳に当てた魔石インカムからはツー、ツーという話中音が流れた。

 そして他に一切の音が聞こえなくなる。


 ぐっと拳を握りしめながらイサが手元にある魔術パッドの表示を見ると、顧客の現在位置である青かった点が赤に切り替わっていた。

 これはつまりあれだ。念話不能、顧客の安否不明という表示だ。


 イサは自分の顔から血の気がさぁっと引いていくのを感じた。

 それと同じくして、とどめのごとくぶちっと念話が切断された音が続く。


「………き、切れた……」


 魔石インカムを片手で耳に押さえたまま、イサは愕然とした。

 同時に、たらりとこめかみから嫌な汗が流れていく。


(や、やばい……!!)


 瞬間的に思うが時すでに遅し。


 イサの背後では絶対零度のブリザードが吹き荒れていた。

 ぱきん、ぴきん、と氷の粒が弾け飛ぶ音が響き、凍るように冷たい風が、イサの背中をざわりと撫で制服に真っ白な霜をつけていく。

 イサはぞっとした。


 ぎぎぎ、とゼンマイ巻きの人形のごとく首を動かせば、真後ろにラスボスことイサの上司ジャン・ムールが立っていた。

 イサの喉がひっ、と小さく鳴る。上司のあらゆる『圧』に押されたのだ。


 イサはこの世界に来て初めて、美しさも度を越せば暴力になるのだと知った。


 腰まで流れる銀色の髪、陶器のようなきめ細かな肌に筆ですうと線を描いたように通った鼻筋、やや目尻の上がった鋭い瞳には冷たい薄氷の宝石がはまり、真横に一文字を描く唇はほどよく薄く形も完璧過ぎる。


 詰め襟の白衣という服装もあってか、一見すれば氷の女王と見紛うほどだが、彼は正真正銘男性である。痩躯なくせに肩幅は広く、身長はイサが見上げるほどに高い。


 つまりは、対峙するだけで圧迫感も凄まじい、というわけだ。

 ジャンは鋭い氷色の瞳をすうと眇め、部下であるイサを突き刺さんばかりの眼光で見据えていた。


(ひえぇぇ……!)


 イサは震え上がった。


「イサ・ビルニッツ。状況を説明しろ」


「はいぃぃぃ………」


 氷点下マイナス五十度はあろうかという容赦ない命令に、イサは指先を震わせながら魔術パッドを操作した。


 この銀髪の青年は、ここシュトゥールヴァイセン案内所の統括長とうかつちょうにして、氷の魔剣師カンダ・グルジャン・ムール。


 外見は震えがくるほどの美丈夫だが、性格はその名の通り氷のように凍てついた冷血漢だ。

 銀刺繍の入った白衣は彼が案内所の統括長である証で、絶対的な支配権の象徴である。また視線一つで他者を氷漬けにすることから、案内人オペレーター達の間では白い悪魔と呼ばれ恐れられていた。


「ドラゴン亜種と遭遇中のお客様で……属性は水系ということだけお聞きしたところで……き、切れました……」


 イサはたった今切れたばかりの念話について慎重に説明した。けれどジャンの険しい顔は一層厳しさを増すばかり。

 緊張で口内に湧き出した唾液をごくりと飲み下したイサは針のむしろにいる思いで上司の返答を待った。


「では、客の生死は定かではない、と?」


「さ、さようでございます……」


「ほう」


「っひ」


 質問に頷いた瞬間、イサの足元がぴきりと凍りついた。こわごわ下を見れば、イサの黒いズボンを履いた膝から足先までが硬い氷に覆われているのが確認できた。

 まさに文字通り足元が凍りついている。


 その証拠に痛いほどの冷たさにイサの歯の根がガチガチと鳴った。絶対に怒られると思っていたが、案の定である。実際、そうされても仕方のない状況だと自分でもわかっていた。


「本来ならば、念話を通じてライフの回復と防御魔術を展開させるべきだろう」


「ぼ、防御魔術の『鉄壁』は使いました! あと耐水と耐毒効果も付与しています!」


 少しでも名誉挽回せねば、と手を上げてイサが言うと、ジャンはすうと目を眇めて冷ややかな視線を向ける。「それがどうした?」と言わんばかりの非難を含んだ目が恐ろしい。

 イサは思わずうっと喉奥で呻きを上げた。


「どこからの念話だ」


「ディスパニア地方ですっ」


 イサは魔術パッドを操作し広いフロアの真正面に表示されている巨大な念話相手マップの一部を拡大した。マップは魔力によるホログラム映像となっており、各地の詳細は魔術パッドで参照できるようになっている。


 イサの操作により、シュトゥールヴァイセン国全体の地図から一地方が四角い別ウィンドウで表示された。


 ウィンドウの色は赤で、上部にある一行書きの説明には『ディスパニア地方・念話切断』という文字が浮かんでいる。

 そこから地図に向かって伸びた矢印の下には、真っ赤に光る丸い点があり、顧客の現在位置を示していた。


 本来、この点は念話中なら青表示となる。


 今もフロアでは百人近くの案内人達がオペレーションの真っ最中で、イサ達の周りは彼らの声に包まれていた。


 無事に案内が終了した念話は白い表示に代わり、後に消失して再び新たな青い光が点いていく。稀に混じる黄色は顧客の危険度を示す表示だ。危険無しは青、軽度の危険は黄色、重度は赤と色分けで判別できるのだ。


 つまり今回イサが受けた念話の場合は最も危険となり、救助を伴う出張案内が必要な案件というわけだ。


「仕方がない。出張案内だ。ビルニッツ、君はまだ行ったことがなかったな。同行しろ」


「えっ。エキディウスさんじゃないんですか!?」


 ジャンの予想外の命令にイサは素っ頓狂な声を上げた。


 『出張案内』とは、今のように念話が途中で切れて顧客の生死が不明の場合や、対処不可能な魔物と遭遇した者への救済処置である。


 この案内所には主に冒険者からの念話が着信しており、それに対し冒険案内と称するサポートを提供するのがイサ達案内人の仕事だ。案内人は基本的に念話に出るのがメインのため、救助や魔物討伐が多い出張案内には専門の人材が雇われている。

 それがエキディウスという剣士なのだ。


 だというのに、ジャンは当然のようにイサを同行させようとしている。

 これは相当まずい状況である。


 イサはできるだけ、この上司と行動を共にしたくないのだ。それには事情があるのだが、どうにかして切り抜けられないだろうかとイサは頭をフル回転させた。


 が、自分は部下で、相手は上司である。

 断る理由が見つからない。


「確かに普段なら奴だが、今は繁忙期だ。人手が足りん」


「で、でも……」


「元は君が招いた事態だろう。責任を取れ」


「ううっ」


 自分が招いたと言われても、あの場合は不可抗力では、と一瞬思ったがイサは口に出来なかった。

 これ以上は何を言っても無駄だろう。


 ジャン・ムールはイサがこれまで出会った中で一番の完璧主義者だ。


 実際、彼自身が仕事ができる人間だからこその行動論理なのだろうが、その分部下には厳しいことで有名で、ジャンの指導に耐えかねて案内所を退職した者も多い。

 それに、ジャンの意見は全くもって正論なのだ。


 確かに現在、シュトゥールヴァイセン案内所は年内で最も忙しい繁忙期に見舞われている。

 もう少しで夜から月が消える【月食期】という時期に入るからだ。


 闇が増えるこの間は闇の住人である魔物が大量発生し、それに伴い冒険者などのハンター達もせっせと仕事を請け負う。

 一般人ですらスライム等の弱小を相手に小銭稼ぎに出るほどで、ある種の『稼ぎ時』でもあるのだ。

 つまり、案内所ではみな忙しさに苛ついている時期、ということだった。


 その証拠に、ジャンの組んだ腕の先では長い人差し指がせわしないリズムを刻んでいる。

 こんな時に行きたくないなどと口にすれば、リアルに全身氷漬けのうえ死をもって贖うことになりかねない。

 イサも流石にそれは嫌だった。


(これは状況的に断れない……っ)


「君も男なら、一度は現場に出てみるべきだ。その貧弱な身体も、少しは鍛えられるだろう」


 イサを頭のてっぺんからつま先まで眺めたジャンが断言した。

 男なら、という言葉が耳にことさら強く響く。


 このシュトゥールヴァイセン案内所では、男しか案内人オペレーターにはなれない規則となっている。

 女性は月の満ち欠けにより魔力が減退するため、命の危険があるからだ。


 けれど―――


 イサはひく、と口角が引きつるのを感じた。

 もちろん、自分だって客の命は助けたい。

 誰かが死ぬなんて知らない人でも嫌だ。

 ジャンの言う一度は現場に出ろという意味だってちゃんと理解できている。


 だけどこの大人数がいるフロアで、報告するより真っ先にイサの状況に気付いたこの鋭い上司と二人きりで行動して、『秘密』を守りきれる自信なんて小指の爪の先ほどもイサには無い。

 もしもバレたらイサの人生はある意味終わってしまう。


「行くぞ」


「はいぃ……」


 ジャンの有無を言わさぬ命令に逆らえず、イサは観念するしかなかった。

 泣く泣く初めての出張案内準備を始める。


 魔物との直接対峙には装備が必要で、貸与されている案内所の制服の上に特殊な魔術装置などが入ったベルトポーチを着けねばならない。

 客や、ひいては自分の命を守るために必要なのだ。

 

 イサは内心しくしく泣きながら、自分のデスクからポーチを取り出し、茶色いシャツとベストを着た上に装着した。手には分厚めの皮の手袋を履いて、黒いズボンの腰には案内所から配布されたカバー付きククリナイフ(刃が内側に湾曲した短刀)を差す。

 

 そうして準備をしていると、二つ隣で案内をしていた明るい金髪の青年が立ち上がりイサに手を振った。


「おっ、イサもしかして出張案内か? ご愁傷さま! これでお前も一人前の男だな!」


「うるさいユッタ! 仕事しろ!」


 イサが叱り飛ばすと金髪の青年は大きな青い目で孤を描き、にっと口端を上げておどけてみせた。鼻の頭に散らばるそばかすが田舎育ちだという彼の素朴さを際立たせている。

 彼はイサと同じ案内人のユッタ・エルトーラスだ。

 同期入所したせいか、イサとは友人関係のようなものだが、少々馴れ馴れしいのが玉に瑕であった。


「俺はいつものイタ念でさぁ。ま、頑張ってこい! あっはっは!」


 ユッタは悪びれもせずにひひ、と笑って肩を竦め、かりかりしているイサに親指を立てて見せた。

 イサの眉が思わずぎゅむうと寄る。

 なんだよ、ラッキーイタ念かよ、と内心ひとりごちながらユッタに胡乱な目を向ける。


 イタ念とはいわゆるイタズラ電話のことだ。迷惑だが処理は少ないので楽な着信として扱われている。


 完全に面白がっているユッタがひらひらと手を振ってきたが無視して、イサは自席を離れた。


 まったく他人事だと思って良い気なものだ。

 こっちはそれどころじゃないというのに。

 イサはふてくされた。


(とにかく、絶対にばれないようにしないと……)


 案内所フロアから転送陣エリアへと移動しながらイサは決意を固めていた。


 すでに支度を済ませていたジャンが早くしろとばかりに転送陣の上でイサを睨んでいるが、それより恐ろしいのは彼と二人きりで『秘密』が守り通せるかどうかだ。


(ただでさえこの人苦手なのになぁ……ばれたら確実にクビにされる!)


「万一、命の危険を感じた場合は緊急転送装置を使え。わかったな」


「はいっ」


 ジャンと二人、転送陣の上に並ぶと白い光がイサ達を包んだ。魔力が二人の身体をディスパニア地方へと運ぼうとしている。


 この魔力の出処は、隣にいる上司ジャン・ムールだ。

 転送術を行使できるのはシュトゥールヴァイセン国でも限られた人間しかおらず、使用者はその高魔力と高技術を国に買われ、比例するように高い地位と強い権力を手にしている。


 つまりジャンがイサをクビにすることなど、赤子の手を捻るより簡単なのだ。

 特に、規則違反ともなれば。


(だって私、男じゃないんだよなぁ……)


 実はイサは、女だった。

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