小噺 其の十九 とある侯爵家の執事の日記より


4月26日


今日の天気は晴れ。穏やかな日差しが心地良い一日だった。

イル様が居間におられないのでテラスを覗くとアカツキ様の姿で日向ぼっこをなさっておられた。


春の日差しをうけ、完全に安心しきって仰向けで寝ておられる。可愛い。


天気もよくせっかくなので、毛づくろいしましょうか? とお尋ねすると『いいの?!』と目をキラキラさせて尻尾を犬のようにふっておられた。可愛い。


ガヴィ様には「あんまり甘やかすな」とお叱りを受ける。



4月29日


今日の天気は曇り。少し空気が湿気っているようだ。夕方には雨が降り出した。


雨の音を聞きながら夕飯の準備。手伝ってくださったイル様が「雨の日って髪の毛がベタベタして跳ねるんだよねぇ」と眉を下げながら仰る。入浴の際に保湿のための香油をお出しする。


夕食の片付けや家の戸締まりなどを終え、居間に戻るとお部屋に下がられたガヴィ様が降りてこられた。

どうされました? と尋ねると「……枕持ってきて『今日一緒に寝ていい?』だとよ。全く悪気がないのがもう凶悪」もう少し仕事する、と仰って欠伸あくびを噛み殺しておられるので濃いめの紅茶を淹れて差し上げる。



5月3日


本日の天気は雨。

ガヴィ様はこの雨の中、砦の巡回に向かわれる。天気の悪い時ほど警備兵の指揮が下がったり気持ちが緩むとの事。相変わらず職務には真摯なお方だ。


先日作った林檎のジャムが少ない。

イル様はガヴィ様の好きなミュールでジャムを作りたいらしい。ミュールの収穫時期はまだ先だから、収穫時期の早いノールミュールがあればいいのだが……。



5月4日


昨日の雨が嘘のように快晴。

飛ぶように朝の散策に出かけていったイル様が「ノールミュールなってるって!」と興奮して帰ってこられる。今日すぐに採りに行くと仰るがガヴィ様は渋い顔だ。……まあ、ガヴィ様がご心配されるお気持ちはわかる。


私の方からも重々気を付けて出かけられるようお声がけした。「明日一緒にジャム作りしようね!」とお約束する。


……夕方、何故か二人揃って一緒にご帰宅された。

夕食時もお二人とも一言も言葉を交わされず、異様な空気だ。

ガヴィ様からは「今日は早めに上がってくれ」とわざわざ言われる。

イル様は落ち着きのない様子でそわそわされているし……。

入浴をすまされたガヴィ様が「風呂入ったら俺の部屋にこいよ! ……逃げられると思ったら大間違いだからな!」とイル様に宣戦布告されている。


イル様は泣きそうな顔で顔を赤くしたり青くしたりなさっている。


ああ、これは、あれですか。

もしや、いよいよですか。


とりあえず、イル様の入浴時に、アヴェローグ公爵様からいただいた香油をそっとお渡しした。



5月5日


今日も穏やかに晴れ。

こんな日は、いつもならイル様が早朝から飛び出してこられるのだが、今日はイル様もガヴィ様も寝室から出て来られない。


……まあ、そうでしょうとも。


とりあえず、いつ起きてきてもよろしいように、サンドイッチでも作りましょうか。と思っていたらガヴィ様だけ降りてこられる。


上半身裸のまま、……なにも隠す気がないのはいい事なのでしょうか?

ムシャムシャと用意したサンドイッチを召し上がるとレモン水と残りのサンドイッチを少し盆に乗せ、また部屋に戻っていかれた。

去りがけに風呂を用意するかお尋ねしたら、「風呂なんか用意された日にゃ、あいつ憤死するかもしれねえけど」と仰るので、後で部屋の前にお湯とタオルをそっと置いて置くことにする。


あとで夕飯の有無をお部屋に聞きに行ったら、夕食前に何故かアカツキ様の姿で出てこられた。


ジャムを作る約束をイル様としていたが、ノールミュールの実が傷んだらいけないので、ジャムは一人で煮た。



5月6日


本日も晴れ。

イル様は相変わらずアカツキ様の姿でお過ごしになっている。

……まあ、お恥ずかしいのでしょうけど、ガヴィ様が少しイライラしているご様子。

ガヴィ様がお仕事に向かわれた後、毛づくろいをして差し上げると、こちらにぴとりと体を預けて下さる。すっかり甘えて下さる様になったなあと思うと感慨深い。

今日もアカツキ様のままでおられるのですか? と優しく聞くとしばらく置いて小さく『……どんな顔すればいいかわかんないんだもん』と返ってくる。

私は笑って「どんな顔していても可愛く見えるものですから大丈夫ですよ」と返すと再び伏せてしまわれた。



5月7日


屋敷の中の空気とは裏腹に今日も晴れ。

未だアカツキ様のままのイル様に、ついにガヴィ様が「てめぇ、いつまでもそれでいるんなら、外に犬用のハウス作るぞ!」とキレられる。


イル様は(狼姿でも伝わった)泣きそうだ。

『……わかった』としょぼしょぼとお部屋にお着替えに向かわれた。


ガヴィ様のお気持ちもわからなくはないが、イル様はきっと怖いのだ。

私に対しての恥ずかしさもお有りなのだろうけれど、今までの関係から変化して一歩踏み出してしまった事で、新しい自分を見せてガヴィ様に嫌われるのではないかと不安なのだろう。

……そんなはずはないのだけれど。イル様も解っていらっしゃるとは思うのだけれど。


ガヴィ様には、お優しくですよ。戸惑ってらっしゃるだけなのですから、とお声がけすると、チラリとこちらを見て珍しく少年の様にふてた顔をされた。「……わかってるよ」と言って頭をかきながらイル様を迎えにお部屋に行かれる。


……まあ、ガヴィ様も念願叶った相手に拒否されている様な気持ちになるのでしょう。

我が主も、長い間辛抱されましたし、仕方ないと言えば仕方ないでしょう。


明日の朝は、先日作ったノールミュールのジャムをお出ししましょうか。

どんな反応をされるでしょう。


……ちょっと意地悪でしょうか?


まあ、この家の執事として、これくらいの楽しみはお許しいただきたいものです。


2024.5.12 了


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❖あとがき❖


 『甘いジャムは朝食で』後日?談。

 ほのぼのレイ侯爵家の日常的な。


 レンってレイ家のお母さんみたいな存在だと思うんです。男性ですけど(笑)


 家の主はガヴィなので、ガヴィが一番偉いのですが、家の家事や細かいことを取り仕切っているのはレンで、なおかつガヴィは使用人を全く入れようとしないので実際レンは家事作業にてんやわんやだと思われます。

普段はガヴィも留守がちだったのでまあ、あれですが、イルが来てからは作業も増えますし大変ですよねえ。


 ガヴィはレンに負担をかけっぱなしなのを自覚している為にあまり強く出られない様子。


 イルもレンが大好きで。親に甘えられなかった分レンに対して甘え倒している所もありそうな(笑)

人型だろうが、狼姿だろうがイルを甘やかして戯れてる二人が可愛くて好きです。


 そんな仲良しの二人を見て、たまにジリジリとしてるガヴィも好きですけど(笑)

この三人、全員全くの他人なのですが、家族感があっていいなあと思います。


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