小噺 其の四 独占欲⑤


 大人達が自分達のいない所でそんな心配をしているとは露とも思っていないイルは、マーガの心配をよそに、次の日ヒューバート王子と宮殿の来賓用に作られた庭園の東屋あずまやでお茶を飲んでいた。



「え! ヒューって兄弟が三人もいるの?!」

 クリュスランツェから一緒に来たヒューバートの侍女が焼いてくれたと言う自国の伝統菓子をいただきながらイルが目を丸くする。

「うん。上から兄が二人、姉が一人いるよ。そんなに驚く事?」

 イルの表情がおかしくてヒューバートはクスクスと笑った。

「だって私、兄様しかいなくて、年も離れてたから……なんだか楽しそうだね!」

 いいなあと笑うイルにヒューバートは苦笑いを隠せなかった。

「う〜ん、別に楽しくはないかなあ……」

「どうして? 仲が良くないの?」

 イルが不思議そうにたずねる。


 ヒューバートの兄弟は実は上三人は前王妃の子どもで、ヒューバートは現王妃、つまりエヴァンクール国王の実姉だ。

前の王妃は病気で亡くなっており、上三人とは異母兄弟ということになる。

王の実子が四人もいて、母が違えば権力争いがおきそうなものだが、第一王子である兄がすでに次の王位を継ぐことが決まっている事、現在も父王の補佐についている事、二番目の兄もすでに国防業務に従事し国を支える重要な任に就いている。

 現王妃は結婚する際、「跡継ぎがすでにお二人もいらっしゃるのですからわたくしは後継の事を考えなくてよろしいですね」とキッパリと宣言し、それからヒューバートがうまれたが一切我が子の王位継承権を望まなかった。

 ヒューバート自身、兄達に取って代わろうなど欠片も思わないし、ゆくゆくは時期国王となる長兄を支えていくつもりだ。

異母兄達も母の違う弟達を無碍にしなかったので、普通に考えれば王の実子で異母兄弟と言う間柄ながら信じられないくらいに仲は良いと思う。

 王位争いにより兄弟で血で血を洗うような事になっている王家もある中、こんなに男兄弟がいてそのような自体になっていないという事実だけでも幸せなことだろう。

兄達が優しいのは、ヒューバートが王位継承に関わってこず、王にならねばと言う責任もない。ただの子どもだからだろう。

 ただ、幸か不幸か、生まれた時より王位争いに絡んでいない者は、当然のごとく長兄のような緊張感も王族としての自覚も薄く、しかも三番目かつ後妻の子となれば最早王位など他人事に近い。

 しかし立場上王子であることには変わりなく、四人もいれば周りから優劣はどうしてもつけられる。口を開けば皆、兄上様のようにとか兄上を見習ってと耳にタコができるほど聞かされて、出来の良い上の兄二人に比べたら凡人に生まれたヒューバートに残るのは劣等感のみであった。

武芸に関しては兄達に比べればイマイチであるし、勉学についてはそこそこではあるが突出して素晴らしいわけでもない。

見聞を深めよとこうやって留学させられたが、要は早く伴侶を見つけてさっさと城を出ろと言うことだ。


「兄弟の中じゃとくに役に立つわけでもないからさ、父としても早く出て行って欲しいんだろうね。俺は別段要らない子なのさ」


 ヒューバートの自虐めいた呟きにイルが目をぱちくりとさせる。

「まぁでも、留学したおかげでこうやって君と出会えたわけだから結果としては良かったかな」

「……ヒューのその気持ちは父様ちちさまに伝えたの?」

「え?」


 イルの突然の切り返しに今度はヒューバートが目を丸くする。

 イルは怒るでも悲しむでもなく、静かな瞳で淡々と語った。

「ヒューの父様ちちさま母様ははさまは本当にヒューに出て行って欲しいって思ってるの?

 ……いらない子って言われたの?」

 いつも表情豊かで笑顔の印象的なイルに、まるで違う人のように静かに問われてどきりとする。

「い、いや……直接言われたわけではないけれど……」

 ヒューバートの父、クリュスランツェの国王は王自身が優秀な武人だ。

もう五十すぎとは言え、その体躯は長兄よりも大きく、幼かった頃は岩山のように思えて恐ろしかった。

別段冷たい人ではないが、厳しい人で話す時には中々勇気がいる。まともに親子の会話をしたのはここ最近では記憶にない。そもそも自分にそんなに興味があるとも思えない。

 言葉に詰まってしまったヒューバートにイルは少し考えるような顔をしてから「あのね」と言葉を選ぶ様に話しだした。

「私の父様もね、全然喋らない人だったの。いつも眉間にしわを寄せててね、ずっと怖かった。……きっと、私のことは嫌いなんだと思ってたし、私も……自分はいらない子なんだって思ってたよ」

 紅の民の悲劇はクリュスランツェにも届いていた。ただ一人、族長の娘が生き残ったことも。けれどその親子関係まではヒューバートは知る由もない。

イルも、同じような思いを抱えていたとは思わなかった。

 肉親に必要とされず、里を追われ、一人ぼっちになってしまったイルはどんな気持ちで今日まで駆けて来たのだろう。

ヒューバートは気遣わしげにイルを見た。

「でもね、違ったよ」

「え?」

 しかし、ヒューバートの意に反して、言葉に詰まったヒューバートを安心させるようにイルはニコッと微笑んだ。

「父様は私の事を嫌ってはいなかったし、里が襲われた時も最後まで私を逃がそうとしてくれた。……きちんと話は出来なかったけど、今は嫌われてなかったんだってちゃんと解るよ」

 ただ、と遠くを見る。

「……私も、父様も、絶対的に会話が足りてなかった。もっと早く、ケンカしてでも何で? どうして? って聞くべきだったの」

 そうすれば、もし里が無くなる未来が変わらなかったとしても、心に残るお互いの印象はもっと違ったかもしれない。

 父に疎まれてはいないと気づけたが、やはり完全に父を理解するには知らない事が多すぎた。

「ケンカして、話し合って、どうしても分かり会えなかった時は仕方ないけど、お互いを大切に思ってるんだったら……その気持ちを知らない事は寂しい事だよ。悲しい事だよ。

 ……いなくなってからは、話す事は出来ないから」

 ね、と優しく微笑む。



 自分も成人したとはいえ、胸を張って大人だとはまだ言えない。イルはヒューバートよりまだ三つも年下なのに、その微笑みには何も知らない子どもには無い深さがあった。

 ヒューバートは己の幼さを恥じた。 


「――イルは偉いね。ちゃんと逃げずに向き合ってるんだ」

 ヒューバートの言葉にイルは首を左右に振った。

「全然! ……私も逃げてばっかりだったよ。だからわかるの。でも、ここに来て、色んな人に会って色んな事を教えてもらってそう思ったの」


 私、本当に何にも出来なくて……いつもなんでも出来る皆が羨ましかった。

きっと人の役に立てたら、……何か特別な力があれば大切な人に必要とされるんだって思ってた。


 ……でも、わかったんだ。

 なんでも出来るような人だって、悩むし苦しんでるって。

 ……何でもできちゃう人は、自分がやらなきゃって自分を追い込んだり……一人で抱え込んだり。


 だから、私、出来ないからって卑屈になるのはやめようって思ったの。

まずは自分に出来ることを一生懸命やろうって。

 代わりになにかしてあげることはできないかもしれないけど、大切な人が悲しんでたら側にいたいし、悩んでたら一緒に悩む。頑張ってたら応援したいよ。



「私は、ずっと何か特別な何かにならなきゃって思ってたの。そうじゃないと価値がないんだって。

 でも、ある人がね、私は私のまま側にいてくれたらいいって言うから。私のままでいいんだって思えたんだよ」

 唐突に、イルの語る『ある人』はイルの『特別』なんだと察した。

「……イルは、その人の事が好きなんだね」


 ヒューバートの問いかけに、イルは花の蕾がほころぶように柔らかくはにかんだ。



 彼女には初めて出会った時から好ましいと思っていた。

 飴細工の様な大きな金の瞳も、何事にも一生懸命な所も、逆境に置かれても失わない明るさと素直さも。

 可愛いと思った。

 朧気ながら恋の輪郭を見せ始めたと思ったのにこの瞬間、己の失恋が濃厚になった。


 なのに。

 イルが想い人を思ってはにかむ顔を見て、そんな彼女をはっきりと好きだと思うなんて、なんと自分の頭はおめでたいのか。


(ああ、好きだな)


 恥ずかしそうに頬を上気させて視線を泳がせる彼女が可愛いと思う。

イルは言ったではないか、自分の気持ちはちゃんと伝えるべきだと。

それがもし、実らないかもしれなくても。

 意気地なしの自分を奮い立たせ、意を決して口を開きかけた刹那、目の前の金の瞳がこれでもかと見開かれた。

「え」

「ガヴィ!!」

 風のようにヒューバートの隣を駆け抜ける。

 ヒューバートが振り向いた時、イルはすでに燃えるような赤毛の男の腕の中に飛び込んでいた。

 旅装束の赤毛の男は、全身で飛び込んできた少女を難なく受け止めると、ふんわりと抱え上げた。イルを見つめて細められた菫色の目と、勝ち気に上がった唇を見て、ヒューバートは完全な失恋を悟るのだった。


【つづく】

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